マスターの憂鬱③
「前から思ってたけど、山元ってかなり鈍いよね。普通一年以上も私の年齢に気づかないとかある?」
「鈍くはないぞ。ただ気づかなかっただけだ」
「あかんで山元。そういうのに鈍いと、いつか女子に愛想着かされるで。うちはそれでもええけど」
「何であんたは普通に話に混ざってるんだよ……」
テーブルの向こうにはアリスとマスターが座っていた。
マスターのやつ、俺たちが注文した食べ物を運んで来たらそのまま席に座ったから元々仕事を放棄する気だったな。
店内に客がいないからよかったけど、普通に大問題の行動じゃないか。
「アリスはお前と違ってもう酒も飲んでいいんや、せや! 今日の夜一杯やらへんか?」
「娘に未成年飲酒を勧めないでよ」
「マスターはやってそうだもんな」
アリスが少しマスターを睨んでいる。
母親だからか、アリスは結構マスターに厳しいんだよな。他の人がお酒を飲んでいたとしても、ここまであからさまに不機嫌にはならないだろう。
「お母さん……。後で話がある」
「お、おうおう、了解や……。あ、そういえばアリス、幸燿さんが呼んでたで! 厨房の方で!」
「お父さんが?」
話を誤魔化そうとしているのか、マスターがそんなことを言い出す。
でもまあ、アリスもアリスで基本的に人を疑うことをしないので普通に頷いていた。
「わかった、じゃあ一回行ってくる。あ、山元少し待っててね」
「俺は構わないぞ」
「山元はウチが相手しとくから大丈夫や! 心配せずに行って来や!」
「それが心配なの」
不満そうにしながらもアリスは厨房の方に入っていった。
厨房は店内の奥にあるのでこちらから様子を見ることは出来ない。出入り口も一か所しかないし、あっちからも同じような条件だろう。
「ふう、何とか誤魔化せたわ」
マスターが額の汗を拭う。
そういえばアリスは隠していたつもりだったけど、今日はマスターが俺を呼び出したんだったな。
「……それで、話って何だ?」
「おお、何や知っとったんか?」
「アリスを見ていたら何となくわかるよ。あいつ隠し事とか苦手だし、マスターも俺と二人で話がしたいからアリスを離したんだろ?」
「ま、そんなとこや。アリスの前でするには少しあれな話やしな」
マスターがそう言ってテーブルの対面からぐっと俺の方向に身を乗り出してきた。
ガラの悪いチンピラにカツアゲされるような気分だが、俺も抵抗することなくマスターの顔が近づいてくるのを受け入れる。
この人は何だかんだでアリスの事を第一に考えるいい大人だ。
俺に話があるという事は何かしらの事情がきちんとあるのだろうから、早くそれを聞きたい。
「山元、アリスと付き合ってるんか?」
しかしそれは、俺が心配したような悪い意味の質問ではなかった。
意味が分からなさ過ぎて一瞬体が固まるくらいには、謎だったけど。
「はあ!? 何言ってるんだあんた!」
「言葉のまんまや! 二人とも半年もしないで卒業やろ!? 何でここまで仲良くて、浮いた話の一つもないん!?」
マスターが必死になって詰め寄って来る。
この人、本気でそれを聞くためだけに俺を呼んだんだな。必死さで何となくわかる。
「んなもんあるか! 第一、アリスと俺はそんな関係じゃない!」
「毎日のようにここに来てて、部活も一緒で、そもそも高校に転入する前からの知り合いで、アリスは山元に弁当を作っていってるのに?」
「……何もない!」
「無理あるやろ」
た、確かに話だけ聞けば恋人のような状況にいることはわかるけど、実際には付き合っていないしそんなこと確認したこともない。
「……そもそも。俺は偶々部活が一緒なだけで、アリスは男女なんて関係なしに全員に優しいだろ。……だからモテるし」
「あったりまえや! ウチの娘やから顔は世界一可愛いし、幸燿さんの子供やから優しいに決まっとるやろ」
「あんたは何がしたいんだよ……」
アリスについて何度も熱弁していることをまた意気揚々と語られた。ついでに自己評価の高さもわかった。
しかしその直後、マスターは少し視線を落として残念そうな顔をする。
「山元、これ見てみい」
マスターはおもむろにポケットから大量の手紙や写真を取りだす。
「何だこれ、アリスと知らない奴が映ってるけど」
写真を一枚手に取ってみると、それはアリスが店先で見たこともない男たちに囲まれている写真だった。少し嫌な予感がした。それを実感させるように、心臓がどくりと鳴る。
「アリスがこの一年でもらったラブレターや、お店で告白された時の写真や。もちろん全部断っとるけど」
「そ、そうなのか。なるほど」
マスターの台詞に心の底から安堵する。
それにしてもかなりの量だぞ、二桁はいってるな。
「一年でこれだけって、やっぱりアリスは相当モテるんだな」
「ま、顔で昔から男をコロッと落としてたからなー。あれやで、こん中にも店に来てその日に手伝いしてたアリスに告ったやつおる」
「それを写真に撮ってるマスターもヤバイと思うけど、まあ凄いのはよくわかった」
マスターが娘自慢を終えて満足げに写真を懐に戻す。
そして。
少し真面目な顔で俺と視線を合わせた。普段は見ない表情に、否が応でも緊張させられた。
「それでや、話の本筋はな、アリスがそれを断る時に好きな人がおるって言ってることなんよ」
「なるほど、それが俺って事か、娘さんは貰っていく」
「話は最後まで聞かんかクソ殺すで。ま、その可能性が高いって思ったんや。それで、山元がアリスをどう思っているのか聞きたくて呼び出したって訳やな」
マスターの話は大体わかった。
でも、好きな人がいると言って断るのはそういう時の常套句じゃないだろうか。
アリスの事だから相手を傷つけないように配慮してそういった可能性は高い。
「俺はアリスをどう思っているか、か?」
「せや、思春期の若造がアリスみたいなプリティーを見てどう思うかって話や。正直に言ってみ。今回は怒らんといてやるさかい」
まあ。
アリスの思いはこの際無視したとしても、マスターにはいつも世話になっているし。
俺の感情は話してもいいか。