七十二話・マスターの憂鬱
「ふうー、今日はこんなもんか」
宿題と自習を終えて、座ったまま思いっきり上に腕を伸ばす。
ずっと机に向かっていたので脳も目もかなり疲労していた。
放課後には毎日下校時間ギリギリまで学校で勉強するのが、三年になってからは日課になったな。
今日はオカ研の部室で勉強していた。
一年ズが雑談していたけど、それが耳に入ってこないくらいには。
「結構長い事やってたわね。ほら、これ使いなさい」
部長席に座っていた友華が俺に何かを投げてきた。
受け取ると、それが目薬だとわかる。さも当然のように投げてきたので、意図がわからない……。
「どうしたこれ? 捨てろって事か?」
それにしては中身も結構入っているな。
俺の質問に友華はムスッと頬を膨らませた。
不味い、何か癇に障ることを言ってしまったようだ。半年以上の付き合いになるので雰囲気でわかる。
「迷惑なら捨てればいいんじゃないかしら?」
「友華! 先輩違いますよ、友華は先輩に使ってほしくて用意してたんです」
「素直じゃないなー。これだから……」
「お前たち。最近私の事を舐めすぎじゃない?」
七海と燈子が言ってくれてようやく理解できた。
なるほど、これは友華なりに俺を気遣っての行動だったのか。だとしたら、それに対して凄く失礼な事をしたな。
「ありがとな。使わせてもらうよ」
「……そ、それでいいのよ」
「「ひゅーひゅー」」
「お前たち……!?」
友華が怒っているのか顔を真っ赤にして二人に詰め寄っていた。
その間に目薬を差すと疲れていた目が奥の方からじんわりとリフレッシュされていく気分になる。何度か瞬きを入れて馴染ませていくと、一気に目が覚醒した。
初めて使ってみたけどこれは凄いな。
「こんにちわー。山元いる?」
現代科学の結晶に感動していると、部室の戸が開く。
俺以外の部外者が来るのは珍しいと思ったが、声で誰が来たのかは分かった。
「アリス先輩! お久しぶりです!」
七海がアリスに駆け寄っていった。
放課後に部室に来ることは珍しいな。アリスは専門学校の面接練習をしているから、今はそちらにいる筈だけど。
「うん、久しぶり。皆も変わりはない?」
「はい。色々と問題も起こりますけど、楽しくさせてもらってます」
「そう。よかった。あ、山元ちょっといい?」
思い出したようにアリスが俺を見てきた。
「俺に用事なのか? 最近は何もやらかしていないと思うんだが」
「ううん。そういうのじゃなくて、一緒に帰りたいなって。今日も家来るんでしょ?」
「ああ、そういうことか。わかった、今準備するな」
アリスの家である喫茶店司に俺はすっかり常連だ。
今日も下校時刻を過ぎたらそっちの方で勉強しようと思っていたのでちょうど良かった。
「……」
アリスと帰ろうとしていたところ、燈子の刺すような視線に気づく。
何故か友華とアリスを交互に見ていたが、最終的に俺の方にジト目を向けてきた。
「先輩たち仲良いんですね」
「仲良いっていうか。普通じゃないか?」
「え、家に行くのが普通なんですか?」
「こいつの家というか、喫茶店の方に行くんだよ。落ち着く場所だし集中できるんだ」
「友華! ライバルですよ!」
「何の?」
「ライバル……!」
アリスの琴線に触れる言葉だったのか隣で目を輝かせ始めた。
こうなったら何かと面倒ごとを起こすので、早めに退散しよう。
「ほら、呼びに来たんだから余計な話はせずにさっさと行くぞ」
「あ、うん」
アリスの手を引いて強引に連れて行った。
オカ研の部室にいるとアリスは普段の数倍トラブルメーカーになるので、これが面倒を回避するには最善の方法だ。
戸が開きっぱなしのオカ研の部室からギャーギャーと声が漏れている。
明日行くと面倒に巻き込まれそうな気配がするな……。図書室で過ごすか。
「それで、どうして俺に声かけたんだ?」
靴箱に着いたところでアリスに聞いてみる。
アリスはわかりやすく焦っていたが必死に隠すように手をバタバタさせた。
「え!? い、いや、たまたまだよ! お母さんに連れて来るように言われたからじゃないから!」
なるほど。マスターが俺を呼んでいるのか。




