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幸福に生きたい不幸なあなたへ  作者: 木鳥
五章・友華 二部
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   壊れる②


「私にとっての、時間ね……」

「そうだ。何度も同じ時間を繰り返して、そのうえで貴様は時間とは何だと思っている?」


 校長の考えを否定したからには、自分なりの答えを示せという事だろう。

 質問内容そのものは漠然としたものだけれど、今の私にとっては心の底に重い何かが圧し掛かってくるような不思議な感覚をもたらす質問だ。

 そうね……。


「私にとっての時間は、瞬間だと思うわ」

「ほう? すまんがどういうことだ」

「過去や未来のように流れがある訳ではなくて……えっと。このチラシ使うわ」


 机の上に乗っていたチラシを取り、印刷されていない面にペンで幾つもの円を描く。

 口で言うよりも図があった方が分かりやすいだろう。


「このチラシは時空の断片部分よ。こんな風に私たちの過ごす今この瞬間は同じ平面上に複数の状況で存在しているの。そこに過去や未来の前後関係なんか無くて、時空から見たら全く同じ瞬間に両社が存在しているのよ。つまり、最初から時間には過去や未来なんて存在しないの。瞬間だけが無限にあるのだから。どう? これなら過去に戻って親を殺しても、存在していていいでしょう」


 校長は私の話を頭の中で整理させているのか、下を向いたまま無言だった。

 しばらくして珍しく薄く笑みを浮かべたまま頷く。


「なるほどな。確かに筋は通っている。しかしそれならばだ」

「何よ。言っとくけどこんなのは全部実証の難しい机上の空論よ。否定なんて幾らでも出来るんだからするだけ無駄」


 大方、校長なりに私の仮説への反論を言おうとしたのだろうけれど。こんな話を続けていてもキリがないので中断させてもらった。

 先輩たちを助けるために役に立ちそうな話でもないし。

 しかし、校長の話は私の予想とは違うものだった。


「そういうことを言いたいのではない。人間の観測にも馬鹿に出来ない力があると思っただけだ」

「観測の、力? 何言ってるの? 馬鹿なのかしら」


 突拍子もなく非科学的な事を言うので、思わず聞き返してしまった。

 私自身がそのような非科学的な存在であるのに、当たり前のように聞き返したから校長は呆れたように苦笑する。


「そう言ってくれるな。例えるなら、二重スリット実験のようなものだ。人間が意識的に観測したことで粒子の動きが変わるように、私たちの意識によってこの時間が形成されているのかもしれんだろ」


 案外ぶっ飛んだ発想もするみたいだ。

 私たちが存在しているからこの時間がある。そんな希望的な思考が瞬時に持てるのは素直に羨ましい。

 少なくとも私は、人間にそこまでの力があるとは到底思えなかった。


「あの実験の観測を、単純に人間の意識によるものとするのは微妙なところだけれど、その考えは嫌いじゃないわ。まるで人間が神様みたいで、私は好きよ」

「神ではないが人間は意思を持った生物だ。何事をするにも意思を持って取り組んでいるだろう。それが強いものが成功するのが常だ」

「何か暑苦しいわね。結局何が言いたいの?」


 妙に感情論のような事を言ってくるので思わず眉を寄せてしまう。

 いつもは傍観者を気取って後ろから見守ってばかりの合理主義者なのに、ここまで人間の不確かな感情に思いを寄せるようなタイプだとは思わなかった。

 何十年も繰り返してきたけど、初めて気づいた。


「つまるところ、貴様は頑張りすぎていると言いたいのだ。どれだけ挑んでも、世の中にはどうにもならないことがある。時間が無数に存在する瞬間の一部であるというのなら山元優作の生きている世界もある筈だ、妥協も考えの一つではないか?」

「……以前の校長にも同じような事を言われたわ」

「同じ人間だからな。わかりやすく傷ついた人間を見て放っておけるほど、教育者として落ちぶれてはいない」


 ……なるほど。

 何でそんな事を言うのか疑問だったけれど、この人なりに私を励まそうとしてくれていたのか。気負いすぎて、自分自身を追い詰めているのを見抜かれていたんだろう。


「っふ、ふふふ」


 そう思うと、誰かさんみたいに不器用な手段を取るので可笑しくて笑みがこぼれる。


「何故笑う。私はいたって真面目に言ったのだが」

「ええ、ありがとう。お前の気遣いはよく伝わってきたわ」


 自分の境遇を知っている人に同情してもらえるのは、意外と心を落ち着かせられるものだ。心臓に巻き付いていた鎖が取れたように、気持ちが楽になった。


 自分にしか分からないこの気持ちを、他人に暴露してしまうのは押しつけだ。

 相手を困らせてしまう。

 ずっとそう考えていた。

 でも。この時間だけは、少しだけ素直になってもいいかもしれない。


「感謝の印に、私が一番困っていることを教えてあげましょう」

「ほう。それはいいな。貴様が自分から悩みを打ち明けてくれるとは意外だが」


 いちいち一言多い人だ。

 まあ、実際そうなのだけれど。


「私の悩みは、こんなの口で言ったら自覚が強くなるから、意識して考えないようにしてたのだけれど……」


 誰かのために、他人に協力を求めることはあった。

 でも偶には、自分のために誰かを頼ってもいいのかもしれない。

 あの部活にいた頃はこんなこと簡単に出来ていたのだけれど。いつの間にか、忘れていた。

 どこか懐かしいこの気持ちは、そんな事を思い返していたから湧き出ているのだろう。


「私は、どんなに頑張っても優作先輩を救うことが出来ないの。絶対に」


 ああ。口に出した。

 これまでの全ての行動を自分から否定してしまった。


「何故だ」

「簡単な話よ。優作先輩が亡くなるのは今から一年後、あの人が三年の時なの。その時には入学しているのよ、この時代の私が。能力のルールで校長と孝宏先輩みたいな能力者以外にバレてしまうと、強制的に過去に戻されるっていうのがあったでしょう。もう一人の私が学校にいる状態で、私が二人いる事実を隠しながら先輩を救うのなんて無理よ」

「……貴様は、いつからそれに気づいていた?」


 話すたびに、少しずつ自分の涙腺が潤んできているのが分かる。

 私はこんなにも弱くて脆い人間だ。

 過去に戻って好きな人ひとり救う根性のない。

 この事実を心の奥底に隠し続けていたのは、諦めたくないからじゃなくて自分を守りたかったから。

 自分のやっていることは無駄じゃない。

 いつか必ず報われる行為だと。

 そう自分に言い聞かせていただけだった。


「多分、最初の一回目からよ。気づいていたけど、考えなかっただけ。先輩たちと過ごしている時間を馬鹿みたいに楽しんで、何もできない自分を見ないようにしていた、それ、だけなのよ」


 声が震えてきた。

 ああ、本当に駄目だ。

 こんな話をしてしまうと直ぐにでも諦めて、全部を投げ出したくなる。

 いっそ、もう――。


「そうか。よく頑張ったな」

「……え?」


 言われる筈のない言葉が聞こえた。


「無駄だと思いながら、八十年も同じことに費やしたのだ。並みの人間に出来ることではあるまい。しかも、相手は時間だろう。その根気を称賛する以外に何をする?」


 校長はそれが当然の事であるように、不思議そうに首を傾げていた。


「何をって……。折角時間を戻れる力があるのだから! これでどんなことでも出来ると思っていたのに! やればやる程、可能性は遠くなっていくの……」

「そうか。なら、今回で終わりにするんだな。泣くほど辛いならやめればいい。生徒一人くらい、一生養える程度の資金はある」

「何で、お前は。平然とそんな、事が言えるのよお」

「大人だからだ。子供を守るのも大人の責任だ」


 この日。

 私は過去に戻り始めて八十年。

 その間に初めて、自分の感情を爆発させた。

 ずっと溜め込んでいた涙が、一晩中流れて止まらなかった。

 そして。

 一つ決めたことがある。

  

 今回で終わりにしよう。

 鈴音先輩の件を解決させて、私は優作先輩を見殺しにする。

 自分を誤魔化していただけで、何十年も前に心は壊れていたのだから。


次回の更新は明日になります

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