六十九話・壊れる
鈴音先輩が自殺した。
その知らせを受けたのは、校長の家のリビングで宿題をしていた時だ。
「そう。また、駄目だったのね」
「如月」
校長が私の名前を呼ぶ。
大丈夫か、と言葉を続けたかったのだろうけどそれを言ったら私は怒るから。察して名前だけで留めたのだろう。
この苦労は私にしか分からないから。下手な同情の言葉を掛けられたら溜まっている物が一気に吐き出てしまいそうで、怖い。
「大丈夫よ。もう一度、やり直すから」
「貴様の頑張りは驚嘆に値するものだ。だが、一体いつまで繰り返すつもりだ?」
「優作先輩が死なない世界を作るまで、もちろんそこには他の皆も揃っていないと駄目よ」
私の目標は最初から変わらない。
大切な人が生きている世界を作りたいだけだ。誰も不幸になってほしくない、それだけ。
「貴様の心は大丈夫なのか? 出会った時と比べて、ひどく疲れているように見えるぞ」
「……大丈夫。全員を救えるのは私だけだもの。鈴音の父親を死なせないようにしても駄目だというのなら、次は今までで一度も辿ったたことのない方法を試すだけよ」
「その案はあるのか? 貴様は既に七十回以上、繰り返しているのだろう」
「ええ、いつの間にか精神的にはお祖母ちゃんになっちゃったわ」
鈴音先輩の心に抱えている闇を強引に解こうとすると、先輩は自殺する。
先輩が自分から一歩踏み出すのを待っていると、文化祭に来なくなり精神的に病んでしまう。
その他、鈴音先輩以外の誰かが死んでしまう事もある。全くもって理解不能。
自嘲気味に笑う私に校長が歩み寄ってきた。
「妥協して、山元優作がいない世界を認めるのも一つの手だ。奴を犠牲にすれば、簡単に物事は運ぶだろう」
「ふざけないで。幾ら校長でも、そんな事を言ったら怒るわよ」
校長はいつだって合理的な大人。
妥協して、元の世界を受容しろといっているのだ。
優作先輩のいない世界。それを認めて私に元居た世界に帰れと言っているのだ。帰り方なんてわからないけれど、二回やり直す分の二年を費やせば見つかるかもしれない。今の手持無沙汰な状況で何十回もやり直しているよりは、効率的な時間の使い方だと思う。
「そんなことしたら、私が私を殺してやりたくなるわ……」
はっきりと屈託のない本気の意見を口にした。
「一つ聞かせろ。どうせすぐにいなくなるのだろう」
「いいわ。この時間では最後なんだし何だって答えてあげるわよ」
「貴様は言ったな。全員が揃った世界を作る、と。その全員に如月友華という人物は入っているのか?」
今更そんな質問。
答えは決まっている。
「……そんなの、当たり前じゃない」
そういって私はその場を後にした。適当な道端にいる人に、自分の能力について説明する。それだけで、私は一年前のあの場所に戻るのだから。
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アリスの件はいつものパターンで乗り切り、七十八回目になる鈴音先輩の話を迎える。
今日の午後、鈴音先輩の父親が遺体で発見されたばかりだ。この人を生存させようとするとこの人自身が確実に殺人を犯す。だから、鈴音先輩の父親を生かす選択肢はとってはいけない。数十回やり直しているけれど、一回も無駄に出来る時間は無いのだから。
過去をやり直す能力。
最初は恐ろしいくらいに凄い力だと思ったが、私の予想以上に一人の人間が使うには身に余る力だった。
「ふふ。あなたの家で過ごすのも、時間だと八十年近くになるのね」
「やめろ、生徒をそんなに住まわせるなど教育者としてあってはならない」
いや、少しでも住ませる時点で駄目だと思うけれど。
リビングで机に頭をこてんと預けながら、校長と他愛のない話をする。
殆ど意識していなかったけど、熟年夫婦のような年数私はこの人を見て来たのか。しかし生徒と教師という関係か、それとも禿げ頭は生理的に受け付けないのか、校長に対して卑しい気持ちを抱いたことが無い。
「優作先輩にはそういう気持ち持つ時あるのに……」
「山元がどうした? 顔が赤いぞ」
「何でもないわ。気が滅入っておかしな思考になってるみたい」
「貴様がそうなる程苦労するという事は、時間というのは存外厄介な強制力を持っているらしいな」
突然よくわからないことを口走られる。
「時間の強制力ねえ……」
「そうだろう。聞いた話だと、貴様は周囲の人間が死ぬのを防ぎたい。しかし、どれだけ頑張ろうと何かしらの形で誰かが死ぬ。つまり、時間が何かしらの法則や強制力を持って貴様らの誰かが死ぬ世界線を作っている、または原則として、そうなるよう決まっているといった考えになるだろう」
それは私も五回目くらいで考えていた。
この世のあらゆるものには法則性があるように、時間という概念そのものにも幾つかのルールがある。その中で私の身の回りの人間が死ぬことが定められていたとしたら、今までのくそったれな出来事はその法則に従って発生したという事だ。
「でも、それは多分間違いでしょうね。時間が一本の線のようにあるのなら、親殺しのパラドックスの説明が難解だわ」
「それはあれか。過去に戻って自分を生むはずの親を殺害した場合、自分が生まれる未来が消滅するため本来存在しない人間が存在してしまう矛盾を抱えるとかいうやつだったか?」
「その通りよ。時間が過去、現在、未来に流れるならその現象の説明がつかないわ。つまりは決まった直線状での出来事や、枝分かれした複数のパラレルワールド的な事象がある訳ではないという事」
校長が顎に手を当てて相槌を打つ。
時間の存在を証明できれば、私がやろうとしている過去の改変も計算で狙った通りに出来そうなものなのに。
天体の動きを元に定めている時間なんて、観測しようとしても間接的にしか出来ないのだから。今後も、時間はこれだ! みたいな証明は出ないと思う。
人間が理解しているようで理解していない。そんな漠然とした概念こそ、私たちが大昔に生み出した数字と星の動きを織り交ぜた時間というものなのだから。
考えれば考えるほど、時間とは何なのか。
私が過ごすこの瞬間の存在証明はどうするのか。
そんな事ばかり頭をよぎってしまい、気分が沈んでしまう。ただでさえ精神的にきついのに、目の前のこと以上に頭を回す余裕なんてないのだ。
「話したら少しだけ、気がまぎれたわ。お祖母ちゃんの与太話に付き合ってくれて、ありがとう」
「なに。興味本位で聞いていただけだ。それに質問もしたかったしな」
校長の雰囲気が少し変わったのがわかった。
一番聞きたかった事は、今からされる質問なのだろうと察する。
「質問?」
「ああ。貴様は時間が流れるものであることは否定した。それなら、貴様にとっての時間とはどんなものなのだ?」




