狂う世界③
「ここがその、幽霊が出るっていう交差点?」
「ああそうだ。今はいないっぽいけど、昨日は交差点のど真ん中に立ってたよ」
文字通り住宅街のど真ん中。
周囲は家の塀で囲まれているので、何か特別な仕掛けを出来そうな場所ではない。
幽霊と聞いていたので陰鬱な雰囲気の場所かと思っていたけれど、街灯もあるので夜中も十分に明るいだろう。
正直、優作先輩の話の信憑性はかなり薄れてきた。
「こんな場所で幽霊に会ったのね。 私の考えていたような心霊スポットとはだいぶ雰囲気が違う場所だわ。ヤクルトさんと間違えたとかじゃないの?」
「ヤクルトさんは車貫通しないだろ」
「配達時間が押してたらするそうよ。ヤクルトパワーで壁とかすり抜けて時間内に届けるわ」
「いくら俺でもそれは信じないぞ!? 真面目に考えてくれ」
スマホの時計に目を落とすと時刻は午後五時半。日は落ちていないけど、夕方で人通りが多くなり始める頃合いだ。
優作先輩は昨日校長に説教されていたので帰りがかなり遅くなったらしいけれど、このくらいの時間には幽霊は出ないのだろうか?
「わかったわよ、まったく。お前は昨日初めて幽霊を見たのかしら? それまでもこの道は通った事あるのでしょう」
「通ったことはあるけど、あんなのを見たのは生まれて初めてだよ。見たことないくらい顔も現実離れしてた」
顔?
もしかして、この人。
「へえー。可愛い幽霊だったの。よかったわね」
「よくないわ。生きた心地がしなかったっつうの」
「可愛い女の子に話しかけられて、興奮していたと」
「……何か、言い方に棘がないか」
「気のせいじゃないかしら」
前から鈍感だと思っていたけれど、ここまで来ると怒りを覚える。
何でこんな男を好きなんだろう。
「っと、待て友華!」
「ひゃあ! 何よ急に!」
優作先輩が私の肩に手を置いて塀に押し付けてきた。
痛いとか驚きよりも、急にこんな状況になって顔が近いので緊張してしまう。
「し。あっち側を覗いてみろ、幽霊女がいる」
「ほ、ホントに来たの……」
どうやらここからは集中しないといけない時間だ。
交差点の十字路の現在位置から死角になっている位置、そちら側に昨日先輩が出会った幽霊がいる。
それが本物なのか悪戯なのかわからないけれど、会話が出来るのなら怖くはない。
いや、嘘。めっちゃ怖い。優作先輩は私が幽霊が怖い事を知らないの?
好きな人の前で格好つけたいだけなのだけれど、直ぐそこに幽霊がいるとなれば足が震えてきた。
ええい、ままよ。ガツンと一発かましてやろう。
「どうする? 気づかれてないし、逃げるか?」
「落ち着きなさい、ここまで来て何を言ってるのよ。私に任せて、用意してきたこのニンニクで退治してくれるわ。あ、釘が無いわね。ちょっと待ってて、今ネットで注文を」
「お前が落ち着け」
「あう。わかったわよ、もう」
軽いチョップをくらった。
私としたことが我を見失っていたらしい。
先輩のチョップで正気に戻ったので、取り敢えず幽霊を視認しようと塀から道路の方に顔だけ覗かせる。
「――っ!?」
「どうした友華!?」
勢いよく顔を引っ込めて塀に背中を預ける。
幽霊が見えるかどうか不安だったけれど、それは杞憂に終わり幸か不幸かワンピースを着た女性の幽霊を見ることが出来た。
あちらに気づかれたというわけでもない。
私が驚いているのは、そこに立っていた人物そのものについて。
「嘘……。どうして……」
「おい、大丈夫か!? 顔色が急に悪くなったけど、何かされたのか!?」
「だ、大丈夫。少し気が動転しただけよ」
大きく呼吸をして頭の中に酸素を回す。
少し冷静にならなければ。
「優作はここに残ってなさい。私が一度話かけてみるから」
「いや、俺が連れて来たんだから俺も――」
「女同士の方が話が弾むってもんよ。それじゃ」
優作先輩を残して幽霊の方に歩みを進めていく。
さっきまでは幽霊の存在そのものに怯えていたけれど、今はその類の恐れはない。
だから私は、久しぶりに会った友人に話しかける。
「お久しぶり。どういう風の吹きまわしかしら?」
「……どなた?」
高価な絹のように透き通る銀髪、少しだけ幼いあどけなさを残す顔立ち。銀を引き立てる蒼眼。白い肌。
女の私から見ても目を疑うような美少女が、白いワンピースを着て交差点前で佇んでいた。首を傾げて私にくりっとした目を向ける。
「まあ、そうよね……。えっと私は如月友華。お前の話を聞きに来たわ」
「ほんと!?」
銀髪幽霊はそれまでの儚げな表情に一気に生気が宿って目と鼻の先まで顔を近づけてきた。
「ち、近いわよ。嘘なんか吐く必要が無いでしょう。お前にはこっちからも聞きたいこちがあるのだし」
「ほんとに嘘じゃないの……、私幽霊だよ? 記憶ないよ? 怪しいよ?」
「大丈夫よ。今ので何となく察したから。そうね、話も聞くし信じてあげるから、最初に名前を教えてくれるかしら?」
「え、えへへ。いいよ。私はアリス。一年前から幽霊やってます」
かわいらしくはにかんでいる私の先輩になる人物。上赤アリス先輩は、何というかまあ、よくわからない状況に置かれているようだった。
未来で私と会うときは生きた状態で学校にいた。
それなのに何で過去のこの時間に、先輩は亡くなっていることになっている?
いや、今の考えは安直すぎる。目の前にいる先輩は死人だとは限らない。確かによく見たら体に透けている部分もあるし、近くの空き缶が足を貫通しているけれど、この現象は死後の怨念による霊体によるものだと決めつけてはいけない。
「幽霊やってますって……。アリスとか言ったわね、お前は死んでいるの?」
「えっと、多分」
「煮え切らない返事ね。何か心残りでもあるのかしら?」
「ううんと、記憶がないから。名前以外ほとんど何もわからなくて、自分が何で死んだのかもわからない」
「それは……、災難ね」
なるほど。
アリス先輩は記憶喪失で、自分の死んだ原因を探している、といった感じか。この交差点にいる理由はわからないけど。
「まあ、それとなく察しはついたわ。あっちにもう一人お前が見える奴がいるからついてきて」
「あっちに、奴?」
「昨日お前が話しかけた男よ。そこの角の所で待機させてるの。私をここに連れてきたのも、そいつなんだから」
「あ、あの人の友達だったんだ」
「友達というか上司ね。私はあいつが甲斐性無しの度胸無しの愚図だから、わざわざこんな所に付き添ってやったの」
「あはは、友華さんは優しいんだね、ツンデレ?」
「それだと意味が変わって来るじゃない、まったくもう」
アリス先輩とそんな会話をしながら角を曲がる。
「――あら?」
優作先輩がいなくなっていた。
「ここで待っているように言ったのだけれど……待機も出来ないのかしら」
「もぬけの殻?」
スマホを出して優作先輩に電話をかける。
何も言わずにいなくなるのはあの人らしくない。
つまりこの状況は何かがあったから生まれた、という事で。
……妙な胸騒ぎが止まらない。
『お、友華か。幽霊とどうなった?』
「どうなったって。全部人任せにして、お前はどこに行ってるのよ」
流石にこんな仕打ちを受けてしまうと、苛立ちを覚える。
『ああ悪い。お前が行った直ぐ後に鈴音から連絡が来てさ。迷ってるから場所教えてくれって。この住宅街結構入り組んでる場所あるから迎えに行ってるんだよ』
「――は?」
迎えに行った? この場を離れて、鈴音先輩を?
孝宏先輩の言っていたことが脳裏をよぎる。
「鈴音先輩との待ち合わせ場所はどこよ!?」
『わ! そんな怒んなよ、置いてったのは悪かったって! お前なら大丈夫だろうと思って』
「いいから! 質問に答えなさい!」
『何で不機嫌なんだよ。交差点だよ、直ぐ近くの。そこにあるポストの近くにいるっていったから向かってる途中で――』
その瞬間、電話越しから甲高いブレーキ音が鳴り響いた。
「ちょ、何よ今の音! ねえ、答えなさいったら!」
反応が無い。
風を切る音だけが聞こえる。
優作先輩がスマホを持ったまま走っているという事だ。
『……鈴音っ! 友華、鈴音が!』
「聞こえたわ! 直ぐに行くから!」
スマホを耳に当てたまま、駆け出そうとしたけどアリス先輩を忘れていた。
「あ、えっと、友華さん、大丈夫?」
「ええ! ごめんだけど続きは明日にさせてもらうわ! 必ず来るから待っていて!」
最悪だ。
ミスをした。
油断していた。
自責の念が頭の中で無限に湧き上がってきていた。
でも、今はそんなことよりも優先しないといけない事がある。
運動をしないので心臓が爆発しそうな勢いで動いている胸を抑えながら、私は。
一周目の終わりを迎えようとしていた。