空虚な最後②
いつもより少し長めです!
俺が今までの自分の人生を振り返るなら、多分幸福だったと言うだろう。
高校三年生になり誕生日が来ていないので十七年生きてきた訳だけど。学校ではノリのいい奴らに囲まれて、自分の居場所を見つけることも出来た。
自分程充実した高校生活を送っている奴もいないんじゃないかと自負できるほどには、山元優作は周囲の人間に恵まれたと思う。
ただ一人を除いて。
問題はその一人が実の母親だということだ。
苦手な人間とは関わらないのが一番だが、一緒に住んでいる以上嫌でも顔を見る。
表現できないような黒いもやもやした感情があの人の前では湧き出てしまう。
それが何なのかは俺自身わからない。
……わかろうともしなかった。
――――――――――――――――――
「到着ですね! さあ、優作さんの自宅にインですよ!」
「先生、今日やけにテンション高いっすね」
「気合を入れてるんです。もし優作さんの将来の夢が否定されてしまったら、全力で抗議しますから任せてください」
「はは、まあ、お願いします」
三者面談当日。
結局母さんは学校まで来るつもりは無かったようで、串木野先生が連絡したら家に直接来てほしいと要望があったそうだ。
普通ならそこで一悶着ありそうなものを串木野先生は二つ返事で了解したようで、俺に知らされたのは全てが決定した後。
「ドラマとかだったら教師が生徒の志望校を否定するんすけどね。何か真逆な状態に見えてきました」
「普通なんてありませんよ。どこの家庭もそれぞれ事情があるんですから。優作さんも大人になったらわかるんじゃないですかー?」
「先生よりは大人っすよ」
「何で!?」
背の低い教師が、からかうように俺の顔を覗き込んできたので冗談で返した。
そんな下らない会話をしているうちに先生が家の戸に手をかける。
思えばこの家に親族以外が入るのは何年ぶりだろうか。
久しく見ていない光景だ。
「こんにちは。山元優作さんの担任をしています串木野です。面談のためにお尋ねしました。いらっしゃいますかー」
先生が戸をノックして家の中に話しかける。
俺が家に入れば確認できるのだが、母さんとの関係を察して先生なりに気遣ってくれたのだろう。
わざわざ遠回しな方法を取ってくれた。
「はーい。今行きます」
家の中からはそんな声が。
誰かが歩いてくる音が聞こえ、ガラリと戸が開かれる。
開けたのはもちろん、母さんだ。
サイズが少し大きいトレーナーを着て、来客を知っていたから化粧もしている。仕事以外で化粧している姿なんて初めて見た。
「あ、こんにちは。串木野と申します」
「優作の担任ですよね。知ってますよ、是非上がっていって下さい。……あなたも一緒だったのね」
「ああ。先生に送ってもらった」
「すみませんね先生」
「いえいえ、気にしないでください!」
先生が母さんの後ろに着いていく。俺は先生の後を追って家に入った。
今朝家を出る前に少し片づけをしていた筈なのに、リビングの床には酒の缶や空の弁当が散らかっていた。
「そちらにどうぞ」
「はい。すみません、お時間いただいてしまって」
串木野先生はそれを意に掛けた様子もなく母さんが座った机の向かいに正座する。
「えっと俺は、ここに座ります」
母さんの横に座るのは嫌だったので、二人の間にあぐらをかいて座った。
特にその点については注意されることもなく、母さんは先生の方を向いて口を開いた。
「ああ、飲み物お持ちしましょうか?」
「ありがとうございます。ですが大丈夫ですよ」
「そうですか。わかりました」
屈託のない笑顔で話す先生とは対照的に、母さんはどこか無感情だ。
心ここにあらずというか、俺がこの人を苦手なのはこの雰囲気も関係している。
いつからこんな風になってしまったんだろう。
とにかく話し合いを終わらせたい、と思っていたら先生が先に本題に入ってくれた。
「それでは早速なんですけど、優作さんの進路についてどのくらい知っていますか?」
「何も知りません。その辺はこの人に任せているので。私が深入りする部分でもないでしょう」
母さんは、薄く頬を上げたままそう即答した。
「いえいえ、親御さんでよく話し合って決めませんと。高校卒業後の進路は将来に大きく影響するじゃないですか」
「ええ、そうですね。だからこの人に任せてますよ。しっかりしているので変な事は言わないと思いますし」
「ええと、そういう話じゃなくてですね。家族で認識を共通させておくことが大切で……」
「大丈夫ですよ。子供の自主性を大切にしたいので」
母さんは先生の話なんて聞く耳を持っていなかった。
考える素振りもなく真っ向から否定している。
その様子を見ていると、俺のために頑張ってくれている先生に申し訳ないと思うし母さんに対して明確な怒りも湧いてきた。
「あんたな、先生を困らせるなよ」
「ちょ、優作さん……」
「あら、偉く心配するのね。優しい」
「真面目な話をしたいんだ! そもそも放任主義みたいなこと言ってるけど、ここで話を聞かないのは違うだろ!」
イライラして机をたたく。母さんの前では冷静になれない。
自分が自分じゃないような気分だ。
何よりも、俺に居場所をくれた恩人にふざけた態度を取るのが許せなかった。
普段はこうなったら自分の部屋に籠もるけれど今日くらいはっきりと思ってることを言ってやる。
「何を、怒ってるの?」
「てめえ!」
「二人とも落ち着いてください!」
先生に肩を掴まれて少し冷静になる。
母さんはきょとんとした顔でそんな俺を見ていた。自分は何も悪いことをしていない、そう確信しているような気色の悪い顔だ。
「偶には、俺の話を聞けよ……」
「いつも聞いてるじゃない。あなたが、私から距離を置いてるんでしょう」
「ま、まあまあ」
先生が仲裁に入ってくれるが、場は収まりそうになかった。
だから。
俺は胸の内にある経験したことないような怒りの感情が爆発する前に、この場から立ち去りたかったから。
このタイミングで今まで話していなかった進路を話した。
「俺の進路。母さんは何だと思ってるんだよ?」
「そうねえ。……見当もつかない。教えて」
……クソが。
せめて。何か言ってくれよ。
「教師だよ。学校の教師。卒業したら大学入って、免許取って教師になりたいんだ。……もちろん母さんに迷惑はかけないし、お金の方はバイトや奨学金とかで何とかしてみる」
「あ、あの。私もこの学校から出て教師になったので、色々と力になれると思います!」
先生もそんな風に援護してくれる。
久しぶりに自分の話を母さんにしたような気がした。
まあ、この人は俺の事なんて興味が無い。
話したところで反応なんて無いと思うけど――。
「駄目」
「……は?」
母さんの言葉に耳を疑った。
駄目?
普段は何も干渉してこない癖に?
俺がやっと見つけたやりたいことなのに?
こんな時だけ。親のように否定するのか?
――ああ。そうか。
「ふっざけんなよ!?」
気づけば俺はそう叫んでいた。
「何でこんな時だけ、俺がやりたいことを言った時に限って! あんたは真っ向から否定してくるんだよ! いつもは興味なさそうにしてるくせによお!?」
母さんの胸倉を掴み、思うがまま怒りを露にする。
「何でって、あなたのためを思って……」
「ざっけんな! いつもいつもいつも、他人みたいに接してきやがるくせによ! こんな時だけ親のフリしてるんじゃねえよクソが!」
「な、何言って」
「邪魔しかしないなら、俺の前からいなくなれ――」
パチン!
「……え?」
自分の頬にひりひりと痺れるような痛みが走った。
それが何かわかるまでそう時間はかからない。
何故なら痛みの方向を見ると串木野先生が俺を叩いていたのが分かったから。
「なん、で?」
「謝ってください」
先生は自分も痛かったのか叩いた手を庇うようにそう言ってくる。
目尻には涙が浮かんでいた。
予想もしなかった行動に驚いて、俺の手は既に母さんを放している。
「自分の親に、育ててくれた人に、絶対に言ったらいけないことを言いました! だから謝りなさい!」
見たこともないくらい、串木野先生が怒っている。
その姿を見て、自分がしてしまった事の残酷さに気づいた。
「あ、ちが、俺は……」
視線を母さんの方に移す。
俺の事を心底睨んでいるであろう、顔を覗き込んだ。
「母さん」
しかし、俺の言葉には反応しない。
何かをブツブツと念仏のように唱えている。
それが気になって耳を傾けた。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。何で優作が教師何かに? 何であいつと同じ仕事に? どうしてどうしてどうして? また見放される。誰も頼れなくなる。嫌、そんなの嫌」
「っ!?」
恨みごとのように訳の分からないことを呟いていた。
驚いて母さんから咄嗟に距離を置いてしまう。
その時、母さんが顔を上げて俺を見た。
「お前が、お前がいなければ」
母さんは突然立ち上がり近くにあった台所に歩いていく。
「あ、あの優作さんも勢いで言ってしまっただけで、本気でそんな事は思ってないですよ……」
串木野先生が落ち込んで俺から離れたと思い、母さんに近づいた。
次の瞬間。
「お前が。優作に教師なんて目指させたのね」
「え、ひゃ……」
先生が固まる。
母さんは先生を親の仇のような目で見ていた。
その異様な雰囲気に俺も立ち上がって先生に近づく。そこで母さんの手元に握られている物に気づいた。
「か、母さん。何で包丁なんか持ってるんだよ」
母さんの手には包丁が握られていた。
そのまま俺たちのところに歩いてくる。
一歩一歩確実に。
「っ! 先生、こっちに!」
異様な空気にそれが威嚇ではないと悟り俺は後ずさったが、串木野先生は完全に怯えていて動けなかった。
もう母さんは一メートル程先まで近づいている。
視線からわかる程の、明確な殺意を持って。
「お前がいなければ!」
「……い、いや」
「先生!」
一瞬の事だった。
母さんが包丁を構えて勢いよく先生に突っ込んだのは。
もう、俺じゃあ包丁を奪うのは無理だ。
だから。
「あ?」
「いやあ、嫌……」
母さんの呆けたような声と、先生の絶望したような声が聞こえる。
「ねえ、何で? 何で優作が刺されてるの?」
俺は先生を庇うように体を入れて刃物から守るしか出来なかった。
背中の肉が抉れ、細胞がぐちゃぐちゃに引きちぎられる。
痛いとかそういう次元じゃなく、火傷したような熱さが伝わってきた。
「あ、が、かは!」
肺に傷がついたのか口から血を吐いて地面に倒れる。
「優作さん! 何で、ああ、ええと救急車! いま直ぐに呼びますから! 必ず助かりますから!」
先生の声が聞こえるけど、それよりも自分の意識が薄れてきた感覚の方が強く。
何を言ってるかは分からない。
「……嘘。……ああ、嫌! 優作! ねえ! 返事をして!」
「揺らさないでください! 血が、血がもっと出てしまいます!」
二人の動揺した声が、どんどん聞こえなくなっていく。
これは相当刺さりどころが悪かったらしい。
嫌だ。
死にたくない。
でも、多分死ぬ。
そう思うと、もう口の中は血でいっぱいでまともに言葉も出せないから涙が出てきた。
「大丈夫ですよ! 大丈夫です! 直ぐに助けが来ますから!」
「やあ! 置いていかないで! いやあああああああああああああああ!」
ああ、駄目だ。
もう意識が途切れる。
脳裏に浮かぶのは何故か関係のない過去の記憶。
学校で皆とバカをしていた、幸せだった毎日の事。
これが走馬灯ってやつか。
人生なんてどれだけ不幸でも、最後の最後に成功すればそれまでの全ては帳消しで幸福だったと思えるものだと思う。
なら、今の俺の状態はどうだ?
誰かに認められて、居場所を見つけて、やりたいことがあって。
その為に寝る間も惜しんで努力している最中なのに。
こんなに、嘘みたいに呆気なく終わる俺の人生は、幸福なんて思える訳がない。
ああ、不幸だよ。
俺は挑戦する事も出来ないまま、終わるしかない。
クソだ。
こんな人生、くそったれだ。
こんな最後のために、今まで生きてきたんじゃない。
ちくしょう。
ちくしょう。
ちく――。




