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幸福に生きたい不幸なあなたへ  作者: 木鳥
五章・友華 二部
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   残りの時間③

 夏休み。 

 去年までなら、ひゃっほい長期休みだ万歳。となっていた所だけど、三年の夏休みは正直地獄だ。


「皆さん! 三年生の夏休みは勝負の時期ですよー! ガンバです!」


 夏休み前に串木野先生が背伸びしながらそんな事を言っていたが、その可愛い仕草とは裏腹に極悪な所業が用意されていた。

 勉強漬けの毎日。

 最近は少しだけ勉強に慣れてきていたと思ったけれど、その程度じゃ到底太刀打ちできないものだった。既に始まって二週間だが、二回ほど三途の川を見たような気さえする。


「あ、あはは……。オバアチャン、ナニシテルノ……」


 前の席に突っ伏している鈴音は既に川を渡った後だろう。

 周りから聞こえるペンの音が俺の焦りを加速させる。何で皆すらすら解けてるんだよ。


「くうう、頭が痛いな」

「山元、大丈夫?」


 隣の席のアリスが気にしてくれるが、問題に頭がいってたので構う余裕もなかった。


「先生! 少し質問したいのですがいいですか!?」

「何ですか大門寺さん。問題が分からなかったですか?」

「いえ、うんこに行きたいです!」

「行ってきてください! ていうかセクハラですよそれ!」

「ふ、幼女に怒られるのも悪くないですね……」

「だから大人ですー! むきー!」


 大門寺はいつも通り余裕そうな調子だった。

 串木野先生をからかうくらいには体力が有り余っているようだった。


「ちなみにもう一歩でも動けば出そうだから、優作おぶってもらってもいいか?」

「ええ……。なんで俺が」


 その時、大門寺が俺に視線を重ねて思わせぶりに微笑んでいた。

 ああ、そういうこと。


「わかったよ。ほれ」

「がはは、悪いな」


 大門寺の意図を何となく察したので、俺は言われるがままにおぶって歩き出した。

 クラスの皆や串木野先生からは訝し気な視線を向けられたけれど、立って少し歩いただけでも頭がかなりリフレッシュされた気分なので気にせずに教室から出た。


「ふうー。もういいぞ、すまんな」


 教室から十メートル程歩くと、大門寺は俺の背中から離れた。


「やっぱり嘘だったんだな。何だってこんなことしたんだよ」

「なに、あんな空間にずっといては気が滅入るからな。サボりに付き合ってほしかったんだ」

「副会長がそれでいいのかよ」

「お前も頭が痛そうだっただろ? 悪い話じゃあるまい」


 話ながら大門寺は歩き出す。

 どこに向かっているのかは分からないが、多分近くの自販機がある場所だろう。

 


―――――――――――――



 俺の予想は的中していたようで、大門寺は夏休みなので誰もいない購買前の自販機に来た。購買の横にはベンチが二個ほど置かれた四角形の喫煙スペースがあり、そこなら真横に来ないと中に誰がいるのか見えないのでサボりには持って来いだ。

 俺たちは煙草を吸うわけではないが喫煙スペースに入り、ベンチに座る。


「あー、疲れた! がはは!」

「本当だ。殆ど監禁状態で勉強させるとか、もう犯罪だろこれ」


 何が面白いのか大門寺は大きな声で笑っている。

 こんなところでサボっているのがバレれば大目玉を喰らいそうだけど、そんなこと気にもしてないんだろう。


「すまんな、財布があれば飲み物でも奢るんだが」

「別にいいよ。そんなに長居する気もないし」

「はは。お前、真面目だな。一年の頃は心配だったが、まさかここまで受験に真剣になるとは思わなかったぞ」

「あの頃はガキだったんだ」

「今も十分ガキだろうが」


 思えば大門寺とゆっくり話をするなんて久しぶりな気がする。

 仲が悪いわけじゃないけれど、二人で会話するような状況にならなかった。いつも近くに誰かがいたもんな。

 そんな事を考えながら大きく息を吐く。


「ああ、やっぱりサボるんなら金持ってくるんだったな。甘いもの飲みたい気分だ」

「はは、確かにな。俺も頭が回っていなかったのかもしれん」

「まったく二人ともしょうがないですね。はい、苺ミルクです」

「うむ? ありがたい」

「サンキューって――串木野先生!?」

「何故ここに!?」


 何故か自然な流れで俺と大門寺の会話に串木野先生が入って来た。

 二つのペットボトルを俺たちに持たせて、小さな体でちょこんと向かい側のベンチに座る。


「違うんすよ先生。これは大門寺が言い出したんだ」

「いや、優作から唆されたぞ」

「安心してください、説教じゃないです。……いえ、本当は怒るつもりだったんですけど二人とも頑張っているので特別です。他の生徒には内緒ですよー」


 本当にこの先生は人間として出来すぎていないか。

 身長と心の大きさが反比例している女神のような先生に甘えて俺は受け取った苺ミルクを飲んだ。


「優作さんは将来教師になりたいんですもんね。勉強中の適度な休憩は重要ですよー」

「む、教師になりたいのか?」

「ああ、どんどんバレていくなこりゃ」


 友華の時といい、必死に隠しているのに口を滑らせる人たちがいるので頭を抱える。


「別に恥ずかしいことではあるまい。どうして隠すんだ」

「いや、その。こんな話って、何でそれを目指しているのかまで聞かれることが多いだろ。それが恥ずかしくてな」

「ええ!? 私に憧れて教師を目指してくれるんじゃないんですか!? 進路相談ではそう言ってくれたのに!」

「先生!?」


 生徒の個人情報をこの人はどうして平気で話してしまうんだ。

 きっと無自覚でやっているから質が悪い!

 現に先生は、あれ、私また何かやってしまいましたか? 的な顔できょとんとしている。


「はは! なるほどな! 確かにお前らしくは無いな!」

「だああ、もう。こうなるから知られたくなかったんだ」


 頭をかきむしった。

 まさか大門寺にこんなことを知られてしまうなんて。

 まあ、口は堅い奴だからこいつに限って誰かに話すなんて事はしないだろうけれど。


「ちなみに先生のどこに憧れたんだ? お前はロリコンではないだろ?」

「大門寺さん。後で反省室に来てくださいね。そういえば私も聞いたことありませんでした。ほれほれー、話してくださいー」

「ほれほれー」


 大門寺が先生の横に座って二人で謎の手招きをしてくる。

 みょんみょんと音が出そうな不思議な動きだった。


「――はあ。まあ、二人にならいいですよ。でも、お願いだから人前で話さないでください」

「もちろんです! 私は大人なので!」


 心配だな。

 取り敢えず決心はついたので、あまり気乗りしないが話すことにした。


「まあ、あれです。俺って母子家庭で親とも上手くいってないじゃないっすか。しかも一年の頃はヤンチャしてましたし。でも串木野先生はそんな俺に、最初から変わらない態度で接してくれますし、俺以外の生徒からも慕われて悩みを解決してあげてるじゃないっすか。俺は碌な大人に会ってませんが、先生だけは尊敬できる人だったんですよ。尊敬する人に憧れるのは、自然な流れじゃないですか。まあ、こんな感じです」


 ああ、恥ずかしい。

 何より本人を目の前にしてこんなことを言うのは罰ゲーム以外の何物でもなくないか!?

 何故か告白した学生のように心臓がどきどきしている。

 串木野先生も顔が真っ赤だ。


「な、あばば、なるほど! まあ、理由としては良いんじゃないですか!? 立派です!」

「がっはっは! 優作、お前に恥じらいは無いんだな!」

「お前が言わしたんだろうが! いいか、本当に誰にも言うなよ!?」

「そ、それでは私は、も、戻ります! ふ、二人とも遅くなりすぎないように!」


 ロボットのような動きで先生が教室に戻っていく。

 普段褒められていないから、先生の方こそ格段に恥ずかしがっているように見えた。


「ふうー、俺たちも戻るか! いいリフレッシュになったな!」

「お前だけだろうが。ったく」


 俺たちもその後に続くように教室へと歩を進める。

 本当ならこんな話するつもりもなかったんだが、どうしてか串木野先生の前だと自分の本心をさらけ出してしまう。

 俺だけじゃなく、他の生徒もそうだろう。

 串木野先生には相手の心を和らげるような不思議な力がある。

 俺の目標は、そんな凄い力を持った頼りがいのない背丈の先生なのだ。


「うし! 残りの日も頑張るぞ! この夏でお前らに追いついてやるよ!」

「はっはっは! 俺も舐められたものだ! 一年もブランクのある奴に越されてたまるか」


 そんな軽口を言い合いながら教室に入る。

 よし、気合も十分に補填できた。こっから頑張るぞ。

 気持ち新たに教室の戸を開く。


「山元。随分楽しそうに話してたね。串木野先生が顔真っ赤で帰って来たけど、セクハラしたのなら……許さない」

「サボリ、ユルサナイ。アケメネス」

「……はは、さーいあく」


 俺の夏休みは結果として文字通り地獄だった。


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