幽霊少女の願望③
「うん。そんな理由。他の人とは少し違うと思う。……でも、私にはそれが十分すぎる理由になった。毎日胸が締め付けられるような気分になって、親から距離を置かれているように思ったの。それで、このまま楽に死ねるんなら、生き憎いこの世界から離れられるなら、もういいかなって。」
アリスは本当に満足そうにそう語る。
「……だ、駄目だ!」
俺の口から出たのは慰めの言葉はなく、ありふれた否定でしかなかった。
「駄目、か。山元は本当にお人好しだね。私なんかをそこまで気にするなんて。」
「誰だってそうする! 今じゃないはずだ! お前はこれから色んなことを経験して、まだまだいっぱい人生を楽しめるはずなんだ!」
そう言ったところでアリスは目を細めた。まるで俺の解答を既に知っていたかのように。
いや、きっとこの程度の考えならアリスも何度だって思い浮かんでいるはずだ。
「山元。人はね……、みんな違うんだよ」
アリスが壁にもたれ掛かって、俺との視線を合わせる。薄っすらと笑みを浮かべながら。
「野菜が好きな人、嫌いな人。特定の人を好きな人、嫌いな人。色んな人がいるの。そしてそのたくさんの価値観の中で山元は、生きていれば楽しさを感じられる人なんだと思う。すごく、すっごく幸せな価値観。でも、私は違う。そうは思えない。だって、山元と私は違う人間だから。幸せな家族に囲まれて、なに不自由なく生きていける場所で、私は幸せに全身を犯されて生きていく気力すら持てないんだから。」
言葉を失った。
駄目なんだ。きっとアリスは死ぬべきではない。でも、俺はそれを止める言葉を持っていない。
だが、何かを言わなくては。会話を中断することは、アリスの考えを暗に肯定してしまうことに繋がってしまう。
「お前は、本当に死ぬつもりなのか? 幸福を、感じていたんだろ……」
「うん。今日久しぶりにお母さんやお父さんを見て思い出せたから。私は、この人たちの足枷になっているんだって。」
返す言葉が見当たらない。俺と違う人間、違う考えの少女の決意に共感することもできないし、それを否定する権利はあるのだろうか。
「そ、そんなことない。あの人たちは、初対面でもわかるくらい良い人だ……。」
話すだけ自分の声が小さくなっていく。
「山元にはわからないよ。すごく愛されている、非難されない。それが鎖みたいに体に巻き付いて毎日気を使うようになった私の気持ちなんて。」
まるで懺悔のようにアリスは語る。
「いつからか、親の期待に答えるためだけに生きてた。病気になりやすいから、親に嫌われるわけにはいかないんだもん。少しでも迷惑をかけたくないから、私はお利口にしてた。わがままなんて言ったことないくらい……。幸せの対義語は不幸って言うけど、私は違うと思う。きっとその関係は同義。幸せなんて、人の価値観一つで簡単に不幸になるんだもん。嫌な考え方だよね。」
アリスは苦しそうに顔をしかめた。
同時に俺の中ではパズルの最後のピースを得たような衝動が沸き上がる。これまでの自分の行動の意味を、ようやく理解できた気がした。
ああそうか、だから俺は目の前の少女が放っておけなかったんだ。
自分の中でもようやく納得がいく。
親と暮らすのが酷である。その一点において俺はアリスと共通点を持っていた。
その感情の起源は逆にあるのだろうが、同じ気持ちを俺もアリスも持っている。だから、俺はアリスのことが妙に気になっていたのだ。どこかで自分と同じ気配を感じていたから。
本当にどれだけ、こいつは不器用なのだろう。
最初に会ったときもそうだった。記憶を探すとか言いながら、交差点で事故を防いでいた。自分のことで極限まで追い詰められているのに、幽霊になってまで他人を助けるなんてどうしょうもない位のお人好しじゃないか。
アリスは、死ぬべきじゃない。
アリスのことはよく知らないが、知っていることもある。ぶっきらぼうでそれでいて感情は確かにあって、俺みたいな不真面目なやつすら正面から接してくれる。
俺なんかよりも、ずっと良い人間ってやつに近いのだ。
「お前は、意思を変えるつもりは無いんだよな。」
俺がベッドの横を歩いて幽霊のアリスに近づく。アリスはこくりと頷いた。
話しても俺の言葉は今のアリスに絶対に届かない。しかし俺には、少しばかり強引だけど一つだけ取れる行動がある。
「もう、決めたことだから……。」
自分よりも他人を大切にできる人が自殺して良い訳がない。だから。
「わかった。なら、俺も協力してやるよ。お前の自殺に」
言いながら窓を開ける。
うわ、思ったよりも高いんだな。
「え? なに言って――」
俺はアリスの言葉を聞くよりも先に、ベッドに寝転んでいたアリス本体を横向きに抱き上げた。
そして、窓枠に足をかける。
「俺も一緒に死んでやるってことだ!」
笑えていたのかは分からない。恐怖でひきつった笑顔になっていたかもしれないが、俺は足を前に動かし勢いよく四階から飛び出した。
「――っ!?」
アリスの息を飲むような声。
何を言おうとしたのかは不明だ。俺は重力に任せて眠り姫と一緒に落下しているのだから。
世界が、時間が、止まったように感じた。
未練が無いと言えば嘘になる。俺はさっき死にかけたばかりだし。でも、アリスが死ぬのを黙って見ているだけなのは耐えられなかった。
反転した世界で、俺はアリスを抱き抱える。仮に頭から落ちても、死ぬのは俺だけ。アリスは俺の体がクッションになるから命までは無くならない。
最悪の事態は起こらない。
それに、そんな結末はそもそも訪れないんだ。
だってこれは、結果の決まった賭けなのだから。
「うおっと!」
何かに足を掴まれる。
見上げないでもわかったので俺は安堵の息だけを吐いた。こうなるとわかっていても、死の恐怖は俺の体を無意識に硬直させていた。
今、俺は空中に浮いている。
地面に頭から落ちる残り一メートルほどの場所で、足をつかまれて浮いているのだ。
「ありがとうな。アリス」
俺の足をつかんだ幽霊、自ら死ぬことを望んでいる少女アリスに礼を言う。
ずるい方法だ。自分を呪い殺してやりたくなるほど、嫌悪感を抱いている。侮蔑され、悪人と蔑まれても反論できない。
アリスの善意を信頼した、最悪な方法だから。
でも、俺の馬鹿な頭ではこのやり方しか思い浮かばなかったんだ。