五十九話・デジャブ
何だかんだで高校の学年も三年になった。
学年が変わって初めての登校日。見たことのある顔から無い顔まで、多くの人間が同じ学生服を着て通学している。新入生は制服の肩も崩れていないからわかりやすい。
桜満開の坂道を上る時、柄にもなく入学した時の気分を思い出して感慨にふけってしまう。あの時はこんな夢を持っていたなとか、こんな奴と歩いていたなとか。
……。
まあ、俺に関しては一人で歩いて高校では誰とも関わらずに過ごしたいなんてガキじみた事を考えていた訳で。
そんな黒歴史にも近い記憶を春色の雪の中で思い出すと、自然と苦笑いが込み上げた。同時にあのころと比べて自分が少しは大人になったのだと実感する。
桜は常に同じように、不気味な程に綺麗に咲くけれど、それを見るたび俺は自分自身の成長を考えることになるのかもしれない。何てな。高三にもなってこの考えは痛すぎるか。
そんな事を考えながら歩いていると、背後から聞きなれた声がした。
「優作! おっはよー!」
「おはよう鈴音。今日も元気だな」
三年になっても出会った時そのままのハイテンションで話しかけてきたのは、我らがオカ研の部長坂上鈴音だ。
「そうだね、私は元気なのが取り柄だから! それとも、こっちの話し方の方が好みですか?」
「どっちでもいいよ、鈴音は鈴音だ」
若干多重人格っぽいキャラの使い分けを行える鈴音は、からかうように俺にそう言ってきたので素直に返答しておく。
「……その返し方はズルいです、優作はこういう時恥ずかしがってオロオロしてくれませんと。三年生デビューですか?」
「何で知ってる奴しかいないのにデビューしないといけないんだ――って、鈴音。その紙袋何だ?」
今気づいたが鈴音の手元には紙袋が掲げられていた。
中には束ねられた紙が見える。
「ああ、今日の部活勧誘のチラシですよ。活動場所とか、内容とかを書いてみた人が分かりやすいように色々工夫して作った自信作です」
えへんと小さな胸を張る鈴音。どことなく微笑ましい光景だった。
新入生が三人入らなければ廃部という横暴でしかない条件を叩きつけられた訳だが、考えてみると今回は結構楽だ。最悪名前だけ貸してもらう感じでもいいしな……。
鈴音の手前口には出さなかったが、これも手段の一つとして考えておこう。
「悪いな、ポスターの方鈴音に任せきりにしちゃって」
「いえいえ。私が好きでやったことなので気にしないでください。無くなったら困るのは全員じゃないですか」
「それでもだよ。というかお前そういうの得意だったのか? 結構率先して受け入れてたよな」
「まあー、そうですね。家で子供たちとお絵描きや折り紙で遊ぶことも多いので手先は器用な方だと思います」
「凄いな、俺なんて子供と関わると怖がられそうだ」
「そんなことないですよ。優作は結構子供に好かれる方じゃないですか、まあ一番好かれそうなのはアリスちゃんですけど」
「確かに。それは言えてるな」
そんな他愛のないやり取りをしながら、鈴音と一緒に登校する。
鈴音も学校では人気の女子生徒なので、その横を歩いていると他の生徒からの視線が気になった。
早朝の通学路を美少女と一緒に。そんな高校生男子諸君なら憧れるようなシチュエーションであるが、俺は素直に喜ぶことは出来ない。これに関しては捻くれている訳でもなく、単純に過去の経験から嫌な予感を察知しているから。
鈴音との通学は碌な目にあった試しが無い。
「あ、優作! あんなところに猫がいますよ! 木の上から降りられなくなってるようですね……」
「そうだな」
「優作が登って助けてくれませんか? 私、木登りは下手糞で……」
「……おう、任せろ」
ほらな。
何となく問題が起きそうな予感はしていたので、すんなりと受け入れる。いやまあ、まさかこの年にもなって木登りとは思わなかったが、猫が困っているのなら仕方がない。
鈴音の面倒ごとにしては結構マシな理由だ。断れるはずがないよな。猫可愛いし。
鞄を木に立て掛けて手頃な位置にあった太い枝を掴み、タイミングよく腕で体を引いて足を別の枝に掛ける。そのままグレーの猫が縮こまっている枝の先に近づいていった。
小学生の頃は一人遊びでよく木登りをしていたから、実は得意分野だ。鈴音も俺がすんなりと登っていくので感心したように拍手している。
「ほえー、見事なものですね。上手いです」
「まあな。出来れば勉強もこのくらい簡単だと良いんだ、けど!」
猫のいる枝までかなり近づいた。
これ以上は足や手を乗せると折れてしまいそうな太さなのでここから手を伸ばすしかない。
「頼むからいい子にしとけよ……」
ドキドキしながら手を伸ばすと幸いにも人間嫌いな奴じゃないらしく、動かずに相変わらず固まったままだった。猫らしく鳴くこともなく、相当怖がっているのが伝わってくる。
「優作―! 大丈夫そうですかー!」
「ああ! 暴れないから多分いけると思う!」
猫にそのまま腕を伸ばす。少し手荒になるが片腕は体を支えるのに使っているので、もう片方の腕で首根っこを掴むように触る。
よし、このまま運べば――ん?
そこで初めて違和感に気づいた。あれ、これって。
「優作―! 下に投げたらキャッチできますよー!」
「おう、わかった」
「急すぎませんか!?」
手に持ったそれをひょいっと投げる。鈴音は直ぐに投げるとは思っていなかったのか慌てて受け止めていた。
そして、俺と同じように顔をしかめていた。
「わあ……。かわいい猫……」
「可愛い猫、の人形だな……」
どこのどいつだ。こんなところに猫の人形ひっかけた馬鹿は。
どうやら俺の苦労は完全に水の泡だったらしい。そう考えると今の一連の動きはどっと疲れた……。
「あ、あはは。すみません早とちりでした!」
「早とちりってなあ。ったく勘弁してくれよ」
「すみません! 後で缶ジュース奢りますから!」
申し訳なさそうに謝る鈴音をしり目に俺はそそくさと木から降りようと動く。
朝から災難な日だ。
そう思っていたら気を抜いていたからなのか、久しぶりの木登りだったからなのか。綺麗に足を滑らせてしまった。
「おわ!」
「あ、危ない!」
情けない声を挙げてそのまま落下していく。
その時だ。落下地点に見知らぬ学生がいるのに気づいた。黒髪長髪の女子生徒だ。
大門寺クラスの巨漢だったらありがたく下敷きにするけれど、流石に女子生徒の上に落ちたら洒落にならない大怪我に繋がる。
瞬時にそう判断して体を捻った。
「よけろ!」
「え、ひゃああああ!」
耳に入ってきたのはか弱そうな悲鳴。だがそれは俺がぶつからずに落下できた証拠だ。
体を少し回転させたことでギリギリ回避に成功して地面に落ちた。確かに自分の体は痛いが、まあ、許容範囲だ。
そんなことよりも黒髪女子の方が心配なので痛む体に鞭打って、目を見開き状況を確認する。
「い、たた……。すまん、大丈夫か?」
「それはこっちの台詞なのだけれど、ひとまずその手を放してくれるかしら」
「手?」
転んだ姿勢から何かを掴んで立ち上がったのだが、女子生徒が突っ込んだのはそこだった。俺も咄嗟に手を伸ばしたもので、何を触っているのかはわからなかったがそう言われて視線を向け感謝、いや驚愕する。
「す、すまん!」
「よくもまあ、会って二回目の女の子の胸を揉んだわね。確か優作とかいったかしら……」
「お、お前は……如月友華!」
そこに立っていて俺に胸を事故で揉まれたのは、以前あったことのある生意気な中学生。如月友華が俺たちの学校の制服を着て、俺の事を睨みつけていた。
「優作! 大丈夫ですか!?」
鈴音が駆け寄って来る。
「さてと、社会的に抹消させましょうか」
不味い。物騒な事を言ってる。
このままでは鈴音に嫌われ、俺の唯一の居場所であるオカ研に居づらくなってしまう。
どうにかしなければ!
「よ、よーし! お前に良い事をしてやろう!」
「無駄よ。あーあ、汚されたわー。痴漢よー」
くそ!
このままだと絶対に説得できない。というか、この短時間じゃこの捻くれ女を言いくるめるなんて誰にも出来ない。
なら少し強引だが、あれしかない。
鈴音を納得させて、俺もこの場を逃れられる方法は。
「喜べ! 俺たちの部活、オカルト研究会の部員一号としてお前をスカウトする!」
「え? 嫌よ」
「ええ! 新入部員見つけたの!? やったああああああああ!」
「え、待って、入らないって――」
「だよな! やっほううううう! よーし、部室に行こうぜ!」
爽やかな笑顔で後輩の腕を掴む。
喜んでハイテンションの鈴音には最早友華の声は聞こえていない。今はこうしてこの場を逃れるしかなかった。




