五十六話・孝宏の世界
「それじゃあ、今日はもう解散しようか!」
「賛成だ。いい時間だしな」
「私は今から生徒会室に向かうわ……」
鈴音ちゃんと優作が部活を切り上げようと話し始めた。
飛鳥ちゃんは部活中に生徒会の仕事が終わらなかったらしい。
今日は鈴音ちゃんが孤児院の子供に料理を作る当番だから、早めの解散になっている。
部活では珍しく日本古来の妖怪について調べてまとめていた。言い出しっぺはアリスちゃん。何でも昨日見たテレビの特集がきっかけらしい。
「山元と斉場は怪我は大丈夫なの? 歩いて帰れる?」
「そこまで酷くはないって。今日だって普通に学校まで歩いてきたし」
アリスちゃんは朝はあんなに怒っていたのに、放課後は打って変わって僕らの心配をしてきた。説教と心配をここまで切り替えられるので、アリスちゃんの人柄の良さが分かる。
朝のお説教も心配の気持ちからしてくれたんだろうな。
「じゃあ、みんな忘れ物ないか確認して帰ろう!」
鈴音ちゃんが率先して動いて、あっという間に帰る準備が整う。
部室の鍵を持っているのは部長の鈴音ちゃんだけなので、鈴音ちゃんが早帰りするときは皆が部活を早めに切り上げるのだ。
「じゃあな飛鳥」
「はいはーい。はあ、今日もギリギリまで残らないと……」
飛鳥ちゃんは社畜根性を絶賛発揮中。
未来が見えたことはないけれど、社会に出たら仕事を任されすぎていつか爆発させるだろう。まあ、飛鳥ちゃんなら基が優秀だからどうにかする筈だ。
飛鳥ちゃんを見送ってから、今度は優作たちが帰ろうとする。
「あ、悪い。僕も用事があるから別行動で」
「そうなのか?」
優作が意外そうな顔をするけれど、僕の別行動は今に始まったことじゃない。飛鳥ちゃんや鈴音ちゃんは、特に驚いた様子じゃなかった。
「斉場。大事な用事なの?」
「変な聞き方しないでよ。校長先生に呼び出し喰らってたのを思い出しただけだよ」
アリスちゃんは変に勘が鋭いから、何か行動を起こすときには優作の次に注意すべき存在だ。
ここだけの話。僕の未来視は任意の相手の未来も強く念じれば見ることが出来る。どの辺の未来なのかまでは分からないけれど。三人称視点で状況を覗くことが可能なのだ。
でも。どういう訳かアリスちゃんは見ることが出来ない。僕の能力が通用しない唯一の人間だから、アリスちゃんは少し苦手だ。
「そう。気を付けてね」
「死ぬなよ」
「孝宏の犠牲は無駄にしないよ」
「別に怒られる訳じゃないからね!?」
三人の流れるようなコンビネーションに語気を荒げてツッコむ。
僕はそのまま悪態を吐きながら校長室へと向かった。
優作、鈴音ちゃん、アリスちゃんの三人は仲が良い。多分鈴音ちゃんとアリスちゃんは優作の事を異性として好いている。
馬鹿垂れな鈍感男は気付く様子は無いけど、自分がどれだけ恵まれた状況にいるのかを早く気づけばいいのに。
運動部も終わり際でストレッチやグラウンド整備に入っている。日も傾いて辺りは黄土色に包まれた。ひっそりと静まり返った校舎を一人で歩き、僕は校長室に到着する。
スマホの時計に目を移した。
「よし。時間はぴったりだ」
校長先生に事前に言われていた時間通りに到着した。校長先生と二人で話すというのは、何回やっても心臓がきゅっと閉められるような妙な緊張感に包まれる。
襟を正して、一呼吸。意を決し校長室の戸を開けた。
「失礼しまーす」
気だるそうにあくまでも軽い雰囲気を崩さずに中に入る。
シリアスな面持ちで入ると校長の空気に飲まれてしまいそうだからだ。僕はそういった真面目な空気感はそんなに好きじゃない。
「時間通りだな。意外と真面目じゃないか」
校長室に入ると中には黒いスーツを着たサングラスの強面禿げ男が頬杖を突いて僕を待っている。
言わずと知れた我が校の校長先生だ。
「え、知らなかったんですかー? 学年一位ですよ僕」
「相変わらずだな。取り敢えず立ち話でなく、そこのソファにでも座ってくれ」
野太く低い声でそう言われると脅されているような気になるが、この人は誤解されやすいだけで地声がこれだ。年中不機嫌な訳ではない。
「はーい。そんじゃ、失礼します」
どさりと近場にあったソファに腰を下ろした。顔の向き的に左側に校長が座っている状態になる。
僕が座ったのを確認してから、校長は話を続けた。
「それで、貴様の問題は解決したのか?」
今回の件でこの人は何も口出ししてこなかった。校長は優作なら僕の本性を引き出せると分かっていたからだろう。
本当にこの人はどこまで僕たちの事情について把握しているのだろうか。
「はい。お陰様で」
「そうか。なら貴様は能力と向き合って生きていく道を選んだのだな」
「そうっすね、今回の僕はそうすることにしますよ」
校長先生は僕の能力について何故か最初から知っていた。
校長も他の人には無い特別な力を持っているからかどうかは未だに不明けど、入学して早々にお前は不思議な力を持っているなって校長から声を掛けられた時は一瞬やばい人かと疑ったものだ。
「それで山元優作についてはどうだ?」
「ああ、相変わらずですかね。あいつの未来は酷いものしか見えませんよ」
「そうか……」
僕と校長の間では度々優作の話題が出る。
優作は未来こそ何通りか見えるのだけれど、そのどれもが凄惨なものだからだ。
ここまで酷い奴は僕も初めて会う。校長はそのことを気にかけており、優作の未来が変化していないか頻繁に気にしているのだ。
「まあ、最初よりはかなりマシなものが見えるようにはなりましたよ」
「坂上鈴音。神谷飛鳥。上赤アリス。その三人の悩みを解決したことでか?」
「タイミング的に間違いないと思います。多分僕も今回あいつに救われたので、未来はまた変わりますよ」
優作の悲惨な未来は、僕たちオカ研の部員との関わりの中で確実に変化していっている。
それはアリスちゃんがこの学校に転校してきた頃から僕の観測する優作の未来が変化し始めた所から気づいた事だ。文化祭の鈴音ちゃん、生徒会選挙の飛鳥ちゃんの件に関わってそれは確信に変わる。
まあ、早く結果を知りたくて鈴音ちゃんの時は強引に行動したから校長先生に怒られたけど……。
どういう訳かオカ研の部員と関わることで優作は悲惨な未来の可能性を回避し始めている。
「でも妙な話ですよね。今でも信じられませんよ、オカ研が優作の未来を変えてるなんて」
「っふ、それだけその場所が大切だということだ。人によって物事から受ける影響には違いがあるからな。山元優作にとっては、部活で信頼できる仲間に囲まれることは何者にも代えがたい経験なのだろう」
「校長って、優作の事妙に理解していますよね。好きなんですか?」
「口は災いの元だぞ」
「うええ、冗談じゃないっすか!」
サングラス越しにも睨まれているのが分かったので、慌てて弁明する。
こんな反応する時点で図星って事じゃないか、なんて思ったけど口には出さないでおいた。睨み死にという史上初の死因を作ってしまいそうだからだ。
「はあ……。貴様の未来視だが、あと何人で山元優作の未来は改善されるんだ?」
「うーん。僕にもはっきりとは言えませんけれど、あと一息なんですよ。何かきっかけになるような人がいれば……」
殆ど完成しているパズルのあと一ピースが見つからない。
今の優作の周囲はそんな状態だった。
僕がそう言うと、校長は珍しく少しだけ頬を緩める。
「そうか。それならようやく、変えられそうだな」
ぽつりとその最後のピースを自分は知っているかのように、校長は呟いた。
その反応を見て、僕も最後のピースが誰なのかを予想できた。やっぱり、あの人がいないと優作が救われることはないのか。
「最後は、友華ちゃんですか?」
如月友華。
この世界では僕と校長しか、かつての彼女を覚えていない。
大胆不敵でいつも悪巧みをしていた誰よりもお茶目な女の子。僕たちの上級生として様々な手助けをしてくれた紛れもない天才だ。
彼女も一つの能力を持っている。
その力の影響で、今は殆どの人がかつての友華ちゃんを忘れている。それに今後も思い出すことは無いだろう。
でも、大丈夫だ。
友華ちゃんは絶対に僕たちの前に現れるから。年上の如月友華ではなく、来年あたり新入生として。
「そうだ。奴の抱える悩みを解決できれば、山元優作の未来は変化するだろうな。それがどの方向に転ぶのかは分からんが」
それはまた、簡単に言ってくれるな。
友華ちゃんの悩みの解決は僕と校長で挑戦して一度完全に失敗している。その結末が三年生の如月友華の消失に繋がったのだから。
「僕も今まで通り裏から手を回すつもりですけど、多分優作じゃないと根本的な解決は無理でしょうよ。今回は校長にも頼りますからね。生徒の立場だけじゃそろそろ限界そうですし」
それでも。
僕は諦める訳にはいかない。
優作が僕を救って、七海と向き合う勇気をくれたから。その恩返しをしたいんだ。
それに。
「友華ちゃんは僕の尊敬する人ですから。優作の件なんて関係なしに今度こそ、救ってみせますよ」
中学時代に交友関係を全て遮断した僕には、高校での居場所なんてないと思ってた。
そんな僕を優作やオカ研の皆と引き合わせてくれたのは、他でもない彼女だ。友華ちゃんのためなら、僕は文字通り何だってしてやる。
「ふ。以前とは別人のように顔つきが良くなったな。だが――」
「一人で抱え込むな。友人を頼れ、でしょう?」
「ああ」
校長が安心したように優しい笑みを浮かべる。
その笑みはどこかで見覚えがあったけれど、感情が高ぶっていた僕は冷静に分析する余裕もなかった。
多分、気のせいだろう。
「頼むぞ斉場。最後のピースは時間逆行の能力者、如月友華だ」




