少し不思議な思い出話⑪
「ここが、孝宏先輩の入院している病院……」
列車に乗って二十分ほど移動し、郷田先輩が教えてくれた病院に到着する。
結構大きな建物でこんなところに入るのは生まれて初めてだ。
緊張しながらも事前にネットで調べていたように、受付を済ませて病室に向かう。
放課後なので、学校が終わって直ぐに来たけれど面会時間は殆どない。むしろ少し無理に入れてもらったので、早足になっていた。
「ここ、だよね」
部屋は孝宏先輩の名札しか掛かっていなかった。
ここまで来て怖じ気づくつもりはないけれど、素直に引き戸を引く度胸はない。
だから、まずはレールが音を立てないような速度でゆっくりと数センチ開けて覗き込んでみる。
ベッドが見える程度まで開けてみたけど、その上には誰も乗っていなかった。
「あれ? 間違えた?」
「七海じゃん、何してるの?」
「わひゃあ!」
背後から突然声をかけられてびくりと跳ねる。
「な、何するんですか!?」
「ええ……。トイレから帰ってきただけなんですけど」
孝宏先輩は青緑の入院患者っぽい服を着て、意外そうな顔で私を見ていた。
「ま、立ち話も何だし入ってよ」
「あ。は、はい」
先輩に続くように病室に足を踏み入れる。病院独特の匂いがした。
先輩はベッドに腰を下ろして、近くにあった丸椅子を足で寄せた。あれは私用なのだろう。
そのまま私も用意された椅子に腰かける。
第一声は謝罪ではなかった。それよりももっと、聞かなければならない事を見つけたからだ。
「……その腕。どうしたんですか?」
先輩は顔こそ多少の包帯が巻かれている程度だったが、左手は完全に固定されていた。
見たこともないくらい包帯が巻かれている。その様子から怪我が本当に只事ではないと理解した。
左腕以外には目立った部分はないけど、足は見えないのでもしかしたら大怪我しているかもしれない。
「まあ、今日辺りで報道もされるから言うけど。実はバイクに跳ねられたんだ」
「ば、バイク!? 大丈夫だったんですか!?」
「うん。医者は大袈裟に言ってたけど、この程度何でもないよ」
そう言って私の前で足をバタバタ動かす。
「……っ!」
「先輩!」
お腹を押さえて踞った先輩に駆け寄る。
大丈夫な筈がない。いくら先輩でも車に轢かれて平気なわけがない。
「あ、あはは。恥ずかしいところ見せちゃった……」
「その、本当の事を教えてください。怪我はどのくらい悪いんですか……」
質問しても、先輩は無言。
しかし、堪忍したように目を細めて口を開く。
「左腕は、後遺症が残るだろうって。脳に少しダメージがあって、左手の麻痺だけで済んだのも奇跡だって言われたよ」
「……そ、そんな」
嘘、だ。
何で先輩が。よりによって、何でこの人の腕が!
「ま、安心してよ! あいつらはバイクで僕にぶつかった奴含めて、全員拳骨喰らわしたから!」
「大丈夫じゃないです!」
声を荒げてしまう。
誰よりも辛いのは、先輩なのに。
それでも、そうせずにはいられなかった。だって、余りにも残酷すぎる。
「先輩はまた全国一位になって、将来は空手の道で生きていくんですよね……。すみません! わた、私の、私が悪いです!」
この人はこんなところで怪我をしていい人間じゃない。
誰にでも優しくて、必要以上に他人に気を遣って、そのくせ誰よりも臆病な所がある先輩。これからもっと多くの人を孝宏先輩は救っていくのだ。将来は世界的な選手になっている可能性だってあった。
私が、それを潰した。
私の軽率な行動が、孝宏先輩を壊した。
胸の奥からどす黒い何かが混み上がってくる。自責の念が、窒息させられそうな程体を蝕んでいく。
私、何かが……!
「私に、何か出来ることはありませんか……!? 何でもいいです! 一生を使って、先輩を助けたい! お願いします!」
ベッドに手をついて、先輩の顔が目と鼻の先にあるくらい近づく。
私はどうなってもいい。
ただ、私のせいで将来を失った孝宏先輩にだけは幸せになってもらわないといけない。
それくらいしか、私の罪を和らげる手段はない。
「……七海」
孝宏先輩が腕を伸ばしてくる。
そして、私の顔は先輩の胸にぽすんと埋められた。
「ひゃ! せ、先輩、何をしてててて!?」
「落ち着いて。あと、ごめん」
「先輩?」
顔を上げると私を見下ろしていた先輩と視線が重なる。
その目はひどく悲しそうだ。
「いいんだ。七海は何も悪くない。何も、気に病む必要はない」
「それでも、私がいなければ先輩は……」
「悲しいこと言うなよ、怒るぞ?」
「あう、すみません」
「僕は七海に会えて本当に楽しかった。こんなに気を許せた人なんて女子では生まれて初めてだから。七海といると心から自分を出せたし、安心できた。僕も七海に負けないくらい、幸せになってほしいって思ってる」
先輩はにっこりと微笑んだ。
私は、どう反応すればいいのか分からなくて先輩に抱き締められたまま自分の鼓動が速まるのだけを鮮明に感じる。
「だから、一生なんて大切な言葉はとっといてくれ。少なくとも、僕なんかに使っちゃ駄目だ」
次の瞬間、孝宏先輩はナースの呼び出しボタンを押した。
「せ、先輩!?」
「ごめん七海。でも嬉しかったよ、ありがとう」
まるで待機していたかのように、ナースが入ってくる。
「その子、外に出してください」
「先輩!」
肩を掴まれて、私は引きずられるように病室の外に連れていかれる。
こ、この人は最初からこうするつもりだったのか?
私と金輪際関わりたくないから、こんなことをしたのか?
「さようなら、七海」
先輩が別れの言葉を口にすると同時に。
戸が、閉められた。
「ごめんなさいね。もう時間も遅いから」
ナースが私の腕を引っ張る。
多分あの先輩は、私を引き離すためにこんなことをした。
私があの人に対して、どう思っているかも知っていて諦めさせるために最後に呼んだのだ。このナースの人もタイミングが良すぎるし、郷田先輩の別れ際の表情にも合点がいく。
最初から、全て仕組まれたものだった。
そんなの、そんなの。
「ふっざけんなああああああああ!」
掴まれた腕を振りほどいて私は病室の戸を開ける。
「な、七海!?」
驚いたように目を白黒させている先輩に、ずかずかと近づく。
「何がさようなら七海ですか!? 何で一方的に別れようとしてるんですか!」
「ちょ、やめなさい!」
「黙りなさい、このスットコどっこい!」
「ひい!」
ナースが止めに来たが乱暴な言葉で威嚇した。
ベッドに座り込んでいた先輩に股がり、病院服の胸ぐらを掴む。
「私は孝宏先輩が好きです! 大好きです! 超好きです! 先輩じゃなきゃ嫌なんです! 私の幸せを願うんなら、結婚を前提に付き合いなさい!」
「け、結婚!? 七海、落ち着けって!」
「こんなふざけた茶番見せられて落ち着ける筈ないでしょう! 先輩は演技が分かりやすいんですよ! もう私が悪いとか悪くないとか、どうっでもいいです!」
その時病室に白衣の男が数人入ってきた。
あのナースが応援を呼んだらしい。
「黙って私と一生いなさい! 絶対に幸せにしますから!」
「おい! やめろ!」
「引き剥がせ!」
大の大人に両サイドから掴まれた。
体は宙に浮き、足をバタつかせてもびくともしない。
「先輩、愛してます!」
「な、七海……」
ついに病室から出されて、私は連れていかれる。戸がしまる直前に呆然としている先輩と目があった。
私の大好きな人は、顔を真っ赤にしている。
この人は自分からナルシスト的な事はするけど、人に何かされるのには滅法弱い。そんなところも愛おしくて堪らない。
過ごした時間は短いし、私はまだまだ子供。
それでも、いま私の意志は孝宏先輩以上の男なんてこの世にいないと断言している。
だから、最後に目一杯声を張って伝えた。
「何回振られても諦めませんから! 絶対に先輩を惚れさせますから、覚悟してくださいー!」
ムードもへったくれもない、女性らしくない告白だった。でも、私はそうするべきだと強く感じていたから行動した。
病院で騒いだのをこってりと怒られ、出禁になりかけたけど後悔はない。
だってそれが、孝宏先輩と対面した最後の会話だったから。次への希望も何も残せないなんて、私自身を許せない。
この時だけは、自分の突発的な行動を誉めることが出来る。
孝宏先輩とは、必ずまた出会う。
どれだけ時間が掛かっても、この思いが消えることのない限り私は先輩を求め続けてやる。そう固く心に誓った。