少し不思議な思い出話⑨
最初に感じたのは、正義感。
目の前にあったわかりやすい悪を打倒してやろうという、誰もが持っている子供ながらの感情だ。
藪の中で、男四人に乱暴されそうな女性を助ける。それこそ漫画ではありそうなおあつらえ向きの状況だ。
「おら! 騒ぐな!」
「離して! こんなつもりで来たんじゃない!」
「うっせえ!」
「う!」
地面に倒れた女性の腹をその上に跨った男が殴った。
次に感じたのは純粋な嫌悪。
同じ性別の人間が、目の前で犯されそうになっている。
その状況で下卑た笑みを浮かべる腐りきった人間に対しての、過呼吸になりそうな程感じる息苦しさ。こんな人間と自分が同じ空気を吸っている生物学的な構造に対する不満だ。
だから、気づいたときには。もう遅かった。
自分で自分を抑えられなくなっていた。
「この、外道どもが! 恥を知りなさい!」
気づけば、私は身を潜めていた木々の間から飛び出して男たちに啖呵を切っていた。
「うわ! 何だこいつ!?」
「誰か呼んでたの!?」
突然現れた私に男の人は驚いていたけれど、それは幸いだった。
「覚悟!」
「が!」
不意打ち上等。
持っていた竹刀で渾身の一撃を、自分に一番近かった女性に跨っていた男に喰らわせる。
完全に油断していた所を突いたので、男は後頭部を押さえて呻き倒れた。
「速く逃げてください!」
女性に手を貸して立ち上がらせる。
「え、あ、はい!」
そして女性は私と走り始めた。
いや、駄目だ。この人の足では追い付かれる。
「あなたは先に行ってください!」
「え!? 何言ってるの!?」
「私が足止めします! あなたは急いで逃げて警察でも呼んでください!」
「わ、わかったわ! ごめんなさい!」
そう言って女性は走り難そうなスーツを着たまま、藪の中に入っていった。
道路からそう離れた場所じゃないし、直ぐに人目の着く場所に行けるはず。動きからして、怪我もそこまで重症ではなかったし。
あの人はもう大丈夫。問題は。
「っち、おい、こいつ何だ? 誰のツレだ?」
「誰でもないよ。俺らこんな女呼んでないもん」
「ったく、見られてたのかよ! ふざけやがって!」
残った三人。
私は竹刀を構えて威嚇する。
流石に高校生以上はありそうな男を三人相手取るのはキツイ。そこまで自分の力に自惚れてはいない。
隙をついて逃げることだけを全力で考える。
「それはこっちのセリフです! 人気の少ないこの場所で、女性を相手に乱暴しているなんて見過ごすことは出来ません!」
「は! ガキが! 舐めたこと言ってんじゃねえぞ!?」
三人は囲むように私との距離を詰めてくる。
やはり喧嘩に慣れている。この状況で激昂して、ドラマのアクションシーンのように一人ずつ攻めてきたらどれだけ楽だったことか。
「なあなあ、こいつ結構可愛くねえか。さっきの女よりも全然好みだ」
「確かにな。制服からして中坊だけど胸もあるな!」
「はっは! なら逆に襲っちまうか! ガキにはしつけをしないとだしな!」
「……下衆が!」
私の顔をライトで照らして観察した途端に、心底気持ちの悪い提案を始めた。
嫌悪感も耐え難いレベルまで来ると、声を出して叫びたいほどにムカムカすると知る。
「威勢のいい女は好きだ、ぜ!」
「やあ!」
「おわっと!」
突っ込もうとしてきた男に、横なぎで牽制する。
身構えている人間に対して、竹刀一撃で仕留められるような攻撃力は無い。
大切なのは距離を取り、隙を伺うことだ。
「なら俺が!」
「はあ!」
「こっちから!」
「ふん!」
竹刀を掴まれたら一巻の終わりなので、死ぬ気で集中して腰と腕を連動させ最速の攻撃を出し続ける。
当てても同様だ。体で受け止められる。
相手が一振りの威力を把握していない現状を利用するしか手は無い。
「こいつ、動き速いぞ!」
「大丈夫だ! 落ち着いて攻めればいけるって!」
集中力が乱れたら一瞬で終わる。
でも大丈夫だ。いまの状況を上手く利用すれば切り抜け――。
「おらあ!」
「え?」
ゴン!
突然。
背後から鈍い音がした。
「お、お前起きてたのかよ!」
「ったりまえだろ、あんなので気絶するほど柔じゃねえよ」
何が起きたのか。
それを理解するのにそう時間はかからなかった。
何故なら、私の真左には地面があり先程まで睨み合っていた男たちは、横に延びるように写っている。
いや、横になったのは私だ。
後頭部の激しい痛み。誰かに後ろから思い切り殴られたのだろう。衝撃が強くて、意識がぼんやりとしている。
「で、どうするよこいつ」
「取り敢えず、ヤってていいんじゃね?」
「お預けくらってたからな、その分使わせてもらおうぜ」
動けない。抵抗できない。
肉体の構造的に男性は女性と比べて筋肉が多く骨も太い。私もそれなりに鍛えている方だと思ってたけど、ここまで差があったなんて……。
「俺からでいいだろ? 殴られた頭が痛いからな、慰謝料代わりにこっちの方も満足させてもらうぜ」
私は、さっきの人みたいになるのか?
いや、それ以上かもしれない。
それ以上……、駄目だ、考えるな。
「やめ、て」
ああ。
言ってしまった。
「は?」
「やめ、て、くだ……さい」
震える。
恐怖で。
負けた。
こんな奴らに。
奪われる。
無理矢理。
「は、はは! ははははは! やっべ、腹痛い!」
「聞いたか!? 自分から首突っ込んでこれだぜ!」
私は強い自分でいたかった。
誰にも負けない意思を持って、悪を挫いて弱きを助ける。そんなヒーローに憧れていた。
でも、本当に追い詰められてわかった。
本来の自分は弱虫で、怖がりだと。今までの性格はそれを隠すための見栄みたいなものだったのだ。
「おい、暴れないように押さえとけ! こんな顔で誘われたらちんたら出来ねえよ!」
「へいへい、お前一人で壊すなよ? 皆で回すんだから」
仰向けにされて万歳した状態で腕を押さえられる。
足の方は私の上にいる男が体重で押さえてきた。
「いや、やめて」
「おいおい! さっきまでの元気はどうした!? ガキがしおらしくなっちまったな!」
「大人を舐めたらダメでちゅよー?」
嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
胸に手を当てられる。服の上からだけど、はっきりとわかるくらい強く掴まれた。
「っ! や……」
「おいおい、やっぱり結構あるぞ! こりゃ、ラッキーだったな!」
歓喜し笑い声をあげる男。周りも同調するように下卑た笑みを浮かべている。
「おね、がいです! それ以上は!」
「あ? それ以上って何だ? わかんねえなあ」
胸に当てられた手が、体をなぞるようにへそに近づいていく。そして、服の中に手を入れられお腹を触られた。
「ひゃ!」
突然の感触に驚く。まったく準備が出来ていたかったので、変な声が漏れた。
「はは! 良いねお前! 待ってろや、直ぐこんなの気にならないくらいおかしくしてやるからよ」
腹部にある生暖かい感覚。指がまるで別々な生き物のように私の肌をなぞる。
下半身に向かっていく。
その際にもう一つ余っている手で制服のボタンを器用に外され、下着をみられる。運動用の下着だけれど、私はいま泣きそうになっていた。
「さてと、そろそろメインに行くか」
「や、だ! うう!」
涙が頬に流れている。
自分はこんなにも弱くて、情けない人間だった。
助けて、誰か……。
孝宏先輩。
何故か、この場に来る筈のない人の顔が浮かぶ。
どうせなら、初めては。こんな奴らにやるくらいなら……。
恐怖で震える声。こんなか細い声が誰かに届く訳もない。
だから、あり得ないと思った。誰かが、都合よく助けに来てくれるなんて。
……あり得ないと思っていた。
「……え?」
「あがあ!」
私に覆い被さっていた男が鼻を押さえて踞る。
「何だこいつ!? う!」
腕を押さえていた人も顔に蹴りを喰らってふっ飛んだ。
なん、で……。
どうして、この人がここに。
「先、輩……」
孝宏先輩が、いま目の前で二人の男を殴り飛ばした。
振り向いた先輩と目が合う。視線が重なる。それは、凄く優しい目だった。
そして、先輩は私には何も言わず残り二人の方を向き直った。
「てめえら……。七海に何してんだあああああああああああ!」
唸るように、吠えるように、先輩から聞いたこともないような声が出た。
そこからは、一瞬。
私があれほど警戒した人達を先輩はそれぞれ一撃で地面に倒していた。男たちは腹や顔を押さえ苦しそうに呻いている。
「おま! 急に何を! が! やめ!」
ご! ご! ご!
私に手を出していた男の髪をつかんで、何度も地面に打ち付ける。
普段の温厚な雰囲気ではなく、ただ力任せに相手を殴る様は見ている私でも萎縮してしまう程だった。
「先輩、もうやめて!」
背後から抱きついて、先輩を止める。
冷たくまるで別人のような顔をしていた先輩の瞳にようやく色が戻った。
「七海……。 七海!」
私の方を向いて名前を呼ばれる。
まるで噛み締めるように、確認するように。
「な、七海! 大丈夫!?」
私の肩を抱いて心配そうに見てくる。
「だ、大丈夫です。それよりも、先輩は……」
「僕は大丈夫だ! それよりも早く逃げよう!」
先輩が私の手を握って駆け出す。
私も鞄と竹刀を背負って後を続いた。
大きくてごつごつしていて、男の人の手って感じがするそれに握られていると、先程まで恐怖に支配されていた心がすーっと軽くなる。
ついに私と先輩は道路に出た。
ここまで来れば安心。ほっと、胸を撫で下ろす。
「七海、君は先に帰ってて」
「……え? 先輩は?」
先輩は何故か来た道を戻ろうとしていた。
「あいつら、この辺ではグループを作ってる不良たちなんだ。七海も僕も顔を見られているから、いつまた襲われるかわからない。だから、二度と関わらないようにしてくる」
「な、何で!?」
「四人だけじゃないからね。たぶん今ごろ他の連中に連絡してるだろうから、僕はさっきの所でそれを迎え撃つよ」
駄目だ。
いくら先輩でも、不良グループを丸々一つ相手にするなんて出きる筈がない。
そもそも今回のは私が首を突っ込んでしまったのが原因だ。
この人だけを行かせるわけにはいかない。
「それなら、私も行きます! 竹刀もありますし、少しくらい力に――」
「っせえなあ! 黙って帰れって言ってるだろ!」
「っ!」
初めて。
孝宏先輩から初めて怒声を浴びて、固まってしまう。
「足手まといはいらないんだよ。僕一人で十分だから、七海は帰ってくれ」
先輩はそう言って来た道を引き返して言った。
嫌だ。
このままこの場で別れるなんて嫌だ。
明日もいつものように、この人と二人で居残り練習をして、他愛ない話で先輩は盛り上がって私は呆れて。
そんな日々を過ごせた筈なのだから。
「せ、先輩!」
何とか喉を絞って声をだし、先輩を止める。
「ま、また、明日……」
「うん。また明日ね」
私の口からはそんな言葉しか出てこなかった。
最後の最後に、いつものように微笑んでくれた先輩は、そのまま手を振りながら木々に隠れて消えていった。