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幸福に生きたい不幸なあなたへ  作者: 木鳥
四章・孝宏
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   少し不思議な思い出話④


 剣道部に入ってから早くも一ヶ月が過ぎた。

 中学の勉強もようやく本格的に始まった感じで、毎日がすごく楽しい。


 体もいまの生活リズムに馴染んできて、それと同時に入学時の初々しい気分が抜け始めた今日この頃。

 いつものように武道館で練習に励んでいた。


「九十! 九十一! 九十二! 九十三!」


 調子は絶好調。

 竹刀も綺麗に一直線上で動かせている。


 ちらりと視線を武道館の入り口に向ける。この位置からだと少しだけ見えるのだが、そこにはいつものように女子生徒が集まっていた。

 正直煩くて敵わない。練習中にも何度集中を妨げられたことか。


「百!」

「きゃー!」


 ほら、こんな風に。

 素振りの最後は、入り口の声に驚いて軌道が少し乱れ斜めになってしまった。


 ……わ、やばい。イライラする。

 それもこれも元凶は一人の先輩だ。三年の空手部の、あのウザイ人だ。


「お、今日も見に来てくれてるの? ありがとね、頑張るよ!」

「きゃー!」

「孝宏先輩ー!」

「わあ……うっざ」

「はは。枕崎、声に出てるぞ」


 入り口付近を親の仇のように見つめていたら、ちょうど休憩が被った空手部の先輩に話しかけられた。


 孝宏先輩と同じ三年で、空手部主将の郷田先輩だ。


 180センチ以上の巨体で、ギザギザした頭が特徴的な人。男気溢れる性格で、昔の熱血スポコン漫画の登場人物みたいな感じだ。孝宏先輩とは一番仲良く一緒にいるのを校内でも見かける。

 ちなみに、初対面で私の肩を掴んで武道館から引きずり出そうとした人でもある。


「悪態も吐きたくなりますよ。こう毎日コンサート会場みたいな光景見せられたらイライラします」

「正直なやつだな。まあ、女のお前でそれなら男はもっと酷いってことはわかれよ」


 郷田先輩が指さした方を見ると空手部の男子たちが文字通り鬼の形相で孝宏先輩を見ていた。


「おお、本当に凄いですね。般若みたいになってます」

「あんだけ女子にちやほやされたら多少はな。でも、あいつはあんなんでも憎めないところがある奴なんだよ」

「ええ……、嘘はいいですよ」


 郷田先輩が私の言葉を聞いて面白そうに笑った。

 孝宏先輩は女子を軽く扱っていて部活の練習にさえ不真面目だ。


 それなのに確かに実力はあるらしく、練習中の組手でも負けているところは見たことが無い。でも、それは組手に限った話だ。


「私知ってます。郷田先輩の方が型は綺麗ですよ。孝宏先輩はいっつも組手するか筋トレするかで、真面目に空手と向き合ってるところは見たことありませんもん」

「まあ、そう言ってやるな。あいつにも色々あるんだよ。それに、ここまで大っぴらにキザ男をしていて、みんなから慕われているってことはクズじゃないって事だろ」

「慕われている……」


 今この瞬間。


 入り口付近から戻ってきて壁で外の女子からは見えない位置で空手部からの集団リンチを受けているあれが、か。


 少なくとも私には慕われているようには見えない。


「孝宏先輩は苦手です。何かちゃらんぽらんですし」

「お前は本当に孝宏に厳しいな。ま、そのうちわかると思うぞ」

「どうだか。私からしたら郷田先輩の方が百倍男前ですよ」

「はは。そいつは光栄だ。枕崎にそこまで言われるとは俺も鼻が高い」

「世事はいいですよー」


 この人も大概だ。孝宏先輩と一緒にいるせいか偶にこんなことを言う。


「いや、お前は実際モテるんだろ? もう同級生から告白されたって聞いたが」

「関係ないです。とにかく、孝宏先輩には伝えといてくださいね! 剣道部が迷惑してるって」

「わかった。枕崎が切れてたと伝えとく」

「け、ん、ど、う、ぶ!」

「部員が一人なんだから変わらないだろ」


 そういって郷田先輩は背を向けて行ってしまう。


 中学三年生の先輩はあんな人ばかりなんだろうか。それに、何で郷田先輩は孝宏先輩の肩をあそこまで持つのだろう。


 何も擁護できるような点は無いと思うのに。



―――――――――――――――



 時刻は午後七時。


 完全に日も落ちて五月でも周囲は真っ暗になっている。

 そんな中私は一人武道館に向かっていた。


「まさか、鞄ごと忘れるなんて……。たるんでるわ」


 頭を抱えたくなるような状況だが事実だ。私は竹刀だけ背負って鞄を忘れてしまったのである。


 これでは、なっちゃんに剣道馬鹿といわれても本格的に否定できなくなってきた。


「まだ、明かりはついてるんだ」


 武道館は既に消灯していると思っていたけれど、一部分だけ明かりが灯っていた。


「鍵も――開いてる。誰かいるのかな?」


 ドアに手をかけると普通に横にスライドできたので、幸いまだ閉め切られてはいなかった。

 これなら宿題を取るのも容易だ。


 中には多分先生か、ここの管理人さんが残っているだろうから用件だけ伝えておこう。


 そう思って、武道館の中に入り人の気配がする場所に向かう。明かりがついていたのは武道館の半分。剣道部の活動スペースだった。


 そして、私はそこで信じられないものを見る。


 最初に違和感を感じたのは、音。ドン、ドンと床に強く何かが打ち付けられる音がする。一定のリズムでまるでダンスのように。

 顔だけこっそりと覗かせてみた。


「な、何で……!?」


 絶句する。その光景を見て。


「何で孝宏先輩がここに!?」


 武道館の中には孝宏先輩が一人で残って、型の練習をしていた。

 その動きは流水のようで、滑らかに力強く空を切る。

 恥ずかしい話、その動きをしている先輩に私は目を奪われていたと断言できる。


 今まで見たどんな動きよりも、そうすることが定められていたように自然にそれでいて自由に先輩は動いていた。

 極限の集中の中にいるのか、私の声は聞こえていない。


「ふっ! ……はあ、はあ! はあ、あ!」


 型が終わると孝宏先輩は水の中にいたかのように酸素を吸い始めた。膝に手を置いて、体も汗びっしょりである。


 その姿は一時間ほど前の軽く女子に対応していた人とは別人のよう。


「す、凄い」

「ん? あれ!? 何で枕崎がここにいるの!?」


 ようやく私に気づいたのか幽霊でも見たかのように驚かれてしまった。けれど興奮気味の私はそれに気を配る余裕もない。

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