六話・いつだって、命の終わりは突然だ
視線の先に人はいなかった。
さっきまで俺の横にいた少女は姿形がその場に存在していなかった。
どういうことだ。
自分の状態がわかって消えた? 成仏したのか?
それとも俺にすら遂に見えなくなってしまった?
わからない。わからないんだが、心臓が妙に速く脈打っていいる。警戒アラームのように何かを状況への理解が追い付かない脳みそに伝えようとしているようだった。
そうだ、確かに今の状況は何もわからない。やらなければいけないことがあるのは、何となくわかる。
「アリス!」
名前を呼ぶ。当然幻想的な幽霊少女からの返答は無い。
最初から世界に存在していなかったかのように驚くほどあっさりと消えてしまった。
その現実を否定するために俺は立ち上がり、勢いよく駆け出す。
「あ、マスター! 幸耀さん! アリスのことありがとうございます! ご馳走さまでした、また来ます!」
時間が一秒でも惜しいのでそう言い残して俺は店を出た。
飛鳥が俺の行動に驚いて止めようと何か口にしたが、それが聞こえるよりも先に俺は店を出ていた。
「……なんやったんや?」
「優作……。いつも変だけど、今日はとびきりおかしいわ」
「まあまあ。男の子だからね。やらないといけないことが、きっとあるんだよ」
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俺は夜の町を駆けた。アリスを探して。
自分の足が無くなったのではないかと思うほど無我夢中で走り続けた。
駅前。
いない。
学校の部室。
いない。
屋上。
いない。
最初に出会った交差点。
ここにもいない。
肺が酸素を求めているので口が激しく呼吸をしようとする。そんな時間のロスになるようなことをしている場合ではない、一秒でも致命的な何かに繋がりそうな状況の気がするのに体は意思に反して限界を訴えていた。
いま探した場所以外にアリスの行きそうなところが浮かばなかい。
だって、俺はアリスについて全く知らないからだ。そりゃ、出会ってまだ三日目だ。まともに話したのは二日前からだし、知っている方がおかしい。
……あいつの行きそうな所。
「はあ! はあ! 何か、何かヒントはなかったか!?」
交差点前で前屈みに膝に手を置き、息を落ち着かせる。
町は広い。闇雲に探しても見つかるはずがない。
アリスとの会話を思い出せ。あいつは、あいつなら、こんなときどこに。
普段は全く使うことのない頭をフル回転させて俺はアリスの情報を必死に探る。
親から自分が生きていることを聞いて、そしてあいつは多分思い出したんだ。自分が忘れていた過去を。
俺に探してくれと頼み、乞い願う程求めていたものの答えを得た。
それは確実にアリスに変化を与えた。アリスがどんな事を考えたのかは不明だが、妙に嫌な予感がする。虫の知らせとでも言うべきなのか、自分でも理解不能の衝動に駆られて体を突き動かされていた。
「……あ」
ある一言が頭をよぎる。
そして、それはヒントではなく答えだ。アリスがどこにいるのか、とっくの前に答えを手にいれていたのだ。
「あそこしかない……!」
酸欠のせいか上手く考えがまとまらない。もはや本能で足を動かし続けているような状態だ。
心臓も音が聞こえるほど激しく脈打っている。持久走大会でもここまでキツく自分を追い込みはしないだろう。
それでも俺は足を動かすのを止めない。止めれないんだ。ここで走らなかったら、きっと俺は一生後悔する。
多分、きっと、いや絶対にだ。
そう思う方が自分を納得させられた。確信にも似たただの思い込み。
アリスが何かを抱えているのなら、それから救えるのはあいつが見える俺しかいない。
他人をを自分の力で救えるのならそれは何物にも代え難い、人生にもそう多くない瞬間だろう。だから、俺は走っているんだ。
いや、不思議な感情だが、多分今のは綺麗ごとで、別な目的が俺にはある。
それが何なのか今は激しい運動のせいで考える余裕が無い。
「あと少し――だ!」
目的地手前の国道に差しかかる。
目と鼻の先にこの町で一番大きなそれがあった。
だが、ちょうど信号に止められる。夜の暗さで信号機の赤い光がくっきりと見える。限界まで力を振り絞っている俺をあざ笑うかのように闇の中で怪しく光っていた。
数秒が数時間のように感じられる。信号を待っている間も、心臓の鼓動が俺を急かし続けた。
神経が速く動け、さっさと行動しろという脳の命令を伝達するが虚しくそれは体から地面に通り過ぎていく。
「くそ! じれったい!」
気づけば眼球が無意識に動いていて周りを手早く見渡す。……車は無いよな。
それがわかればここで無意味に足止めされる必要はない。再び下肢に力を込めて全力で動かし始める。
今なら!
信号無視になるが、俺は時間を優先して横断歩道へと侵入した。
暗闇の中にぼんやりと光があったのに気付かずに。酸欠で焦冷静な判断力が失われた脳は、落ち着いて周囲の情報を吟味する手間すらとっくに失われていたんだ。
次の瞬間。
真横から金切り声のような音がなる。その音の正体は深く考えるまでもなかった。コンマ一秒もかからず俺の頭に浮かび上がる。
ブレーキだ。車が急ブレーキを踏んだ音だ。
「……あ」
反射的に音の方を見る。予想は当たっていた。
声も出せない程すぐそこ。数十センチの距離に軽トラが接近している。ブレーキ音が聞こえた瞬間が近かったので、おそらくスピードはそう緩まない。
鉄の塊は俺の人生最大の頑張りすら嘲笑い、小馬鹿にするように甲高い声を出していた。
守らければいけない。俺じゃないと助けられない少女がいる。
他の誰でも無い俺にしかできないこと。それを成し遂げたかった。……それだけだったんだ。
ああ、死んだ。
痛みとか悔恨の念が増幅することが無かったのだけは幸いだ。
それくらい唐突にテレビのモニターのように、プツリと俺の視界は暗転した。