四十八話・飛鳥の世界
「うう、今朝も冷えるなあ」
自分の肩を抱きながら震える。
秋から冬に移行するこの時期は日によって気温の落差が激しい。
私は今朝マフラーを巻くのを忘れていたので、登校中に地獄のような寒さに襲われていた。首辺りに冷たい風が当たると全身が身震いしてしまう。
「明日からは絶対マフラー忘れないようにしよう……」
恨み言のように呟いて学校に向かう。その道中。
「あ、飛鳥おはよう」
「おはようアリス。すごい偶然ね」
バス停の近くでアリスに声をかけられた。
偶然なんて言ったけど、多分この子は私を待っていてくれたんだろう。遠目からでも目立つ銀髪の美少女が周りをキョロキョロしていたら流石に気付く。
アリスなりに私を気にかけてくれてるのはわかっているから、変にからかうのはやめておこう。
「最近朝が一緒になること多いね。え、えへへ」
「……そ、そうね」
妙に気持ち悪い笑い方をするので少したじろぐ。
何でアリスは容姿が良いのにたまにおじさんみたいになるんだろう。
待ってることは触れたら困るだろうからスルーしてるのに、女子に慣れてない男子みたいな反応されたら怖い。
「そういえばアリスは最近学校はどうなの? もう慣れた?」
演技下手なのを見ていられないから話題をすり替える。
「うん。皆優しいからすごく楽しいよ。たまに変な人いるけど」
「それならよかった。変な人はオカ研の皆でしょ、注意しとくわ」
「やめて! 昨日も山元と鈴音が校長先生にクリームパイぶつけて、今はお説教されて落ち込んでるから!」
「何をしたらそんな状況になるの?」
ここ数日顔を出せていなかったけれど、そろそろ行った方がよさそうだ。私が学校内でオカルト研究会の安全装置って呼ばれてる理由がよくわかった気がする。
「……飛鳥は最近どう?」
アリスが突然おずおずと聞いてくる。
今朝待っていてくれたのはこれを聞くためだったのだと何となく伝わった。
「別に変わりないわよ。慣れない作業が多くて少しだけ忙しいけどね」
「ん。わかった」
どうやら今の返答でも満足したらしく、アリスはコクりと頷いて静かになった。
ちょうど正門近くなのでそろそろ登校も終わる。
そんな頃合いに正門から一際大きな声が聞こえた。
「おーほっほっほ! これが私の力ですわー!」
「うわあ! 千夜子ちゃんが負けたあ!」
「ふふ、私も、老いました、ね……」
見覚えのある三人が何やら騒いでいる。
「……聞きたくもないけど、何があったの?」
「あ、飛鳥ちゃん! それが、全国の茶葉生産量でここ一年分のが出されて、鹿児島が二位だったんだ。千夜子ちゃん、アイドル総選挙のファン並みに鹿児島が一位って信じてたからそのデータを節子ちゃんに見せられて撃沈してるの」
案の定どうでもいいような理由だった。
「それ、節子は関係ないじゃない。私の力とか言ってなかった?」
「多分節子は千夜子に勝てるならもうなんでも良いんだよ」
後ろで状況を見聞きしていたアリスがボソリと話す。
節子のプライドが日々小さくなっていることに驚いたけれど、今はそんなことよりこの場を落ち着かせることが大切だ。
騒ぎを聞き付けて他の生徒の足が止まっている。
「はいはい! 取り敢えず一回落ち着きなさい! 授業始まるわよ!」
手を叩いて注意すると周りの生徒は蜘蛛の子を散らすように去っていった。
「今朝は気分が良いので従いますわよ! さらばですわー!」
節子もテンション高く校舎に駆けていく。
「うう、こんな現実残酷すぎます……」
「千夜子ちゃん遅れちゃうよー。元気だそ? 自販機でお茶買ってこようか?」
「千夜子はお茶の話になると本当に人が変わるね」
「あんたらも早く教室に向かいなさい……!」
撃沈している千夜子を連れて私たちも教室に向かうのだった。
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「うわああ! 大門寺が、大門寺が!」
昼休み。
購買にパンを買いに行った帰り道で廊下から悲鳴が聞こえた。
その余りにも必死な雰囲気に全力で現場に向かう。
「い、今の声は何!?」
声が聞こえた廊下に顔を出すと、孝宏が血相を変えて震えていた。
これは唯ならない事態だ。一体何が――。
「って、孝宏。何をしてるの?」
「あ、飛鳥ちゃん。見ての通り大門寺が昼食のプロテインを一気飲みして、鼻から吹き出したところだよ」
「ねえ、本当に何をしてるの?」
どうやらさっきの興奮気味の声はかなり下らない遊びの最中だったかららしい。
孝宏が覗いていた教室を見ると、殺人現場のように大門寺が鼻からプロテインを垂らして地面に仰向けに倒れていた。
「何でも大門寺はこの前の事を結構気にしてるらしくて、オカ研の部員にはそれぞれ謝罪しに行ってるんだって」
「そんなことしてたの? 私にも散々謝ってきたけど、意外に女々しいんだ。まあ、こんな状況になった理由にはならないけど」
「ああ、いや、何か罪滅ぼしをさせてくれ、何でもする! って言ったから鼻からプロテイン飲んでもらったんだ。もうすぐいけそうだった……」
「くだらな」
「ふ、女子にはわからないのさ」
顎に手を当てて決め顔をしてくる孝宏にかちんと来たけど、今は大門寺の様態を先に確認した方がいいわよね。
頬を軽くぺちぺちと叩いてみる。
「ぐう、飛鳥か。こんなみっともない姿を見ないでくれ」
「本当にみっともないわよ。あんたねえ、一応副会長なんだから変な事しないの」
「はは。いや、思ったよりいけそうだったんだけどな。最後の最後に噴射してしまった」
「うんうん。僕も正直あそこまで飲めるなんて思ってなかった」
「次はもっといけるように練習しなければな」
「っふ、付き合うよ」
「感謝する!」
「ああ、男って本当に馬鹿」
これは多分誰が見てもそう思うだろう。
孝宏と大門寺は訳の分からないことで意気投合して、熱い男の握手を交わしていた。スポーツ漫画では胸熱シーンなんだろうけど、内容が内容だけに私はがっくりと頭を抱えてしまった。
「飛鳥ちゃんもやってみる?」
「ふふ、本当に怒るわよ?」
「すみませんでした」
思ったよりもイライラしていたらしく顔を真っ青にした孝宏がその場で土下座して、私が周りにいた生徒に誤解された。
「よーし! それじゃあ二本目のプロテイン行ってみるか! 孝宏手本を見せてくれ!」
「え? いやいや協力するってそういう意味じゃ……」
「遠慮するな、ほら」
「や、やめろお! あ、お前あれだな! ちょっと根に持ってるんだろ、離せ! あのお願いします。そんなの絶対無理で――ああああ!」
「……仲いいわね」
取り敢えずこの場にいても疲れるだけだと悟ったので私は足早に立ち去った。