ああ、世界は美しい⑤
唐突に。
それまで当たり前のように流れていた時間が嘘のように。
俺の唇に柔らかい何かが当たった。
……な。
「最初に言ったわよね。私はやられたことは、仕返しをしないと気が済まないの」
俺の脳が情報を処理し終わるよりも早く、前置きも何もなしにその行動を仕掛けてきた友華が自分の唇を押さえながら呟く。
余裕ぶった発言の割に、その顔は若干赤く染まっているのは何故だ。
って、んなことより!
「お、お前何してむぐ!」
俺が声を荒げようとすると、もう一度友華の鼻が俺の鼻に接触。
唇にも、先ほどと同じ感覚が訪れる。
だが、不思議と、先程と比べたらそこまで驚きはしなかった。
どこか懐かしいような、いまの状況とよく似た出来事を経験したことがあるような。
そんな気分になっていた。
俺は、女子とキスしたのは初めてだ。
だから、友華の仕返しとやらがわからない。いったい何を根に持って、こんなことをしているんだ?
初めて。いや、本当にそうなのか?
まずい、頭が混乱してきた……。
俺は――。
「野暮なことは言ったら駄目よ。オカ研を頼んだわ――優作先輩」
自分でもわからないなぞの感情に翻弄されていると、そう言って友華は部室から出て行ってしまった。
スキップでもしそうな程に上機嫌に。
あ、えっと、うわ。
え?
「……れ、レモンの味だ」
必死に口から出てきたのは自分でも訳の分からない、謎の言葉。
俺は、友華から、キスをされた。
二回もされたら流石に疑いようのない。
俺は今、女の子とキスをした!?
「わ、え、うわあ……ええ!?」
しばらく現実を受け止めることが出来なくて、その場にあわあわしながら直立していた。
俺が我に返ったのは多分十分以上経過した後。
しかし、それだけ経っても唇には、友華の感触が残っている。
な、なんだってあいつはこんなことをしたんだ!?
「……今度会ったら、聞くか」
独り言を呟いて、衝撃で朦朧としている意識を引きずりながら家へと帰った。
今度会ったら、友華に聞かなければ。
何で俺に今の行動をしたのか。
驚きすぎて頭に入ってこなかったが、去り際に何と言っていたのかを。
――――――――――――――――――――――
その日の夜。
携帯の着信音で目が覚める。
開いていない瞼のまま、手探りでスマホの位置を見つけた。
後は慣れ親しんだ画面操作で通話に出るだけだ。
「……もしもし」
脳が起きていないけど、習慣からそう言葉を発する。
「優作!? 今家にいるのか!」
電話越しからの声でその相手が孝宏だったとわかる。
こいつからの電話だから遊びの誘いか。悪いが今日はもう眠いので、断っておこう。
「悪いな。今日はもう眠たいんだよ」
「そうじゃない! いいか、落ち着いて聞けよ! いま連絡が入ったんだけど」
孝宏の動揺した声で、俺は今回の用事が何か大変なものだと察する。
深夜に連絡してきたのは、そのくらい緊迫したものだという事なんだろう。
何故か。
心臓がこれ以上話を聞いてはいけないと感じたように、どくどくと激しく脈打ち始めていた。
いけない。これ以上は。何かが、決定的な何かが変わってしまう、と告げている。
しかし、俺の行動よりも孝宏の言葉の方が早い。
「友華ちゃんが、学校の屋上から飛び降りたんだよ! 今日の夕方! 何で何回も連絡してるのに反応しないんだ!?」
「……あ?」
孝宏の怒声にも近い大声が耳に響く。
俺の口からは、呆けた声が出るのみ。
また今度会える。
今度?
それはいつのことだ。
会える?
どうして俺は、当たり前のように、それが出来ると思っていた。
如月友華は、他の人間とはどこか違う。天才で、わからないことなんて殆どなくて。よく突拍子のない事をして。
そんな彼女は。
何の前触れもなく。
俺にキスをした。
そして。
何の前触れもなく。
「さっき、息を引き取っ――」
俺たちの前から消えてしまった。
孝宏の言葉は最後まで聞いていない。
手からスマホを落としたから。
「……友華?」
俺の声は、部屋に不気味なほど響いた。




