【書籍化記念SS】「もっと一緒に」と彼らは言った
お久しぶりです、作者の丸深まろやかです!
突然ですが、なんとこのたび、本作の【書籍化】が決定いたしました!
5年越し書籍化を記念し、今回は特別SSを公開いたします!
ちょっと大人になった桜庭くんと遊薙さんのお話、楽しんでいただけたら嬉しいです!
『飲みに行こう』
授業が終わってスマホを見ると、メッセージが来ていた。
騒がしいところも、お酒も苦手な人なのに。
不思議に思ったけれど、やっぱり嬉しくて、幸せで。
『行くーっ!』
ほとんどなにも考えず、私はすぐにそう返事をしていた。
彼と恋人同士になって、もう五年。
なのに私は、未だに彼の言葉にときめくのを、やめられないでいる。
「遊薙さん」
待ち合わせ場所に向かうと、桜庭くんは先に待っていてくれた。
夏の夜は暑いけれど、彼は涼しげな顔をして、私に向かってヒラヒラと手を振った。
「ごめんね、急に誘って」
「ううん、嬉しい! デートだね!」
私が言うと、桜庭くんは照れくさそうに笑いながらも、小さく頷いた。
私の好きな人は、出会った頃から恥ずかしがり屋で、だけどけっこう、素直だ。
「今日も授業?」
「うん、宇宙学。おもしろいよー、気が遠くなるけど」
「もう卒業単位足りてるのに、熱心だね」
「だって、せっかくラストイヤーだもん。大学生活、やりきらなきゃ」
「そこでやることが遊びじゃなくて勉強なのが、遊薙さんのすごいところだよ」
そんな他愛無い話をしながら、私たちは手を繋いで歩き出した。
桜庭くんの手はやっぱりひんやりしていて、気持ちいい。
思わず指を絡めてしまっても、受け入れてくれるのが嬉しかった。
「ここ」
桜庭くんに連れられてたどり着いたのは、少し奥まったところにある、雰囲気のいい居酒屋さんだった。
たぶん、大学生がふらっと入るには、ちょっとだけお高い。
店員さんに名前を言う桜庭くんについて中に入ると、個室の座敷に通された。
高校生の頃から、桜庭くんは和食が好きだ。
このお店もお寿司や天ぷらが名物みたいで、彼らしいチョイスだなと思った。
最初の飲み物を注文して、メニューを開く。
私はティーフィズで、彼もアルコール、カシスウーロンだった。
「でも、珍しいね。桜庭くんが、飲みに行こう、なんて」
「まあ……たまにはね」
「……どうしたの?」
桜庭くんがふっと、かすかに目を伏せた。
流石に気になってしまって、私は少し首を傾げて、彼の顔を覗き込んだ。
浮かれてしまっていたせいで、今まで気が付かなかったけれど。
思えば今日の桜庭くんは、いつもより元気がないような気がする。
……いや、今彼が落ち込んでるとすれば、原因はひとつしかない。
「もしかして……結果出た?」
おそるおそる、そう尋ねた。
この前、桜庭くんは就活で東京に行って、面接を受けた。
去年から今まで、ずっと目指してた出版社の、最後の一社だった。
「……」
桜庭くんは、すぐには答えなかった。
出版社の採用試験は、倍率がとにかく高い。
エントリーシートも、そのあとの筆記試験も、面接も、全部が狭き門だ。
去年から、すごく勉強して、対策もしてる姿を、私はそばで見ていた。
けれどやっぱり、なかなかうまくはいかなくて。
気がつけばいつの間にか、あと一社になっていた。
だけどその面接も、桜庭くんは「手応えがなかった」と言っていた。
まだ一次面接だけど、面接官の人と会話のペースが合わなかった、と。
それがもう、一週間前のこと。
その会社に落ちれば、出版社は全滅。
そして、私たちは……。
「お待たせいたしました」
と、そこへ店員さんが、飲み物を運んできた。
慌てて受け取って、料理の注文は少し後に回してもらう。
そのあいだも、桜庭くんは強張った顔で黙っていた。
店員さんが部屋の戸を閉める音を最後に、静けさが私たちを包む。
「……桜庭くん。あの……あのねっ――」
「これ」
なにか言わなきゃ。
そう思って口にした私のまとまらない言葉を、桜庭くんが遮った。
スマホをこっちに向けて、彼はまばたきもせずに私を見た。
画面には、私が予想していたところとは、別の社名が書かれていた。
「こ、これって……?」
「補欠」
桜庭くんが、掠れた声で短く言った。
『先日は弊社の採用選考にご参加いただき、誠にありがとうございました。』
『当初の選考結果ではご希望に添えず、申し訳ございませんでした。しかしこのたび、一名内定辞退者が出たことを受け、再度選考結果の見直しを行いました。』
『その結果、ぜひとも桜庭碧人様を採用候補者として、あらためてご連絡差し上げた次第です。つきましては――』
驚きで、最後の方はもう、読めなくなっていた。
塞がらない口に両手を当てて、桜庭くんを見る。
半分は苦笑い、けれどもう半分は、やっぱり本当に嬉しそうに。
彼の細まった目の端に、小さな雫が溜まっていた。
「あ……お、おめでとうっ!」
「うん。……ありがとう、遊薙さん」
緊張がほどけて、全身から力が抜けた。
それでもやっぱりまだ手は震えていて、お酒を持つのが少し不安だった。
「ごめんね。どう伝えるのがいいのか、僕もわからなくて」
「ううん! ホントによかった! よかったね……」
グラスを差し出すと、桜庭くんも同じようにしてくれた。
チン、と澄んだ音がする。
お酒に口をつけると、甘くて爽やかで、顔がぽわんと熱くなった。
結局、桜庭くんは当初の第一志望だった大手出版社から、内定をもらうことになった。
元々最終面接まで進んでいただけあって、やっぱり相性がよかったんだと思う。
数ヶ月前に不採用の連絡が来たときは、普段冷静な桜庭くんも、かなり落胆していた。
彼女としてあんまり癒してあげられなかったのは、今でもちょっと心残りだ。
でも……よかった、ホントに。
「遊薙さんには、心配かけちゃったね」
「心配したよーーっ! 難しいっていうのはわかってたけど、悲しそうな桜庭くんがかわいそうで……」
「実際、かなりしんどかったからね。二度とやりたくないよ、就活なんて」
「ふふっ。面接とか、向いてなさそうだもんね、桜庭くん」
なんて、こんな冗談も、昨日までは言えなかった。
うまくいってない友達もすごく不安そうだし、やっぱり就活って怖い。
「いいよね、遊薙さんは。面接大得意だし」
「えっ……あ、あはは、恐縮です」
「まあ、僕が面接官でも、絶対落とさないもんね、きみが来たら」
セリフとは裏腹に、桜庭くんは呆れ顔だった。
ありがたいことに、私の就活は第一志望の企業に内定をもらって、かなり早めに終了した。
私だけ先に、来年の春から東京に出ることが決まって……それで。
「よかった……遠距離にならなくて」
「……」
「ホントに……よかったぁ」
言葉に出すと、途端に涙が出そうになった。
鼻の奥が熱くなって、くちびるが震える。
この数ヶ月、私は桜庭くんを心配しながら、同時に、彼と離れることを恐れていた。
でも、そんなこと桜庭くんに言えるわけはなくて。
この気持ちを、どうすればいいかわからなくて。
でもずっと考えていたらつらくて、無理やり、頭から追い出すようにしていて――。
「遊薙さん」
いつの間にか、桜庭くんは私の隣に移動していた。
それから、私の肩を抱いて、ゆっくり頭を撫でてくれた。
「ごめんね。その話も、ちゃんとできてなくて」
「……ううんっ。桜庭くんだって……不安だったもんね」
「それは……そうだけど。でも、ごめん」
「……怖かった。遠距離だって、大丈夫だと思うけど……でもっ……寂しくて……っ!」
「うん……そうだね。僕も、そう思ってた。本当に」
溢れてしまった気持ちを落ち着けようと、私は桜庭くんの手を握って、何度か深呼吸をした。
もう、心配しなくていいんだ。
今日はお祝いなんだから、泣いてちゃダメだ。
「……ん」
桜庭くんが、私を抱きしめた。
私は彼の方に顔を埋めて、何度か鼻をすすった。
席が個室じゃなければ、どうなっていただろう。
よかった。本当によかった。
彼はここにいる。
私たちは 今も、これからも。
「遊薙さん」
耳元で、彼が私の名前を呼んだ。
優しくて、でも、どこか緊張したような、硬い声だった。
その声音につられるように、私は自分の身体が強張るのを感じた。
今度は、なにを言われるんだろう。
そんなことを考える前に、桜庭くんは言った。
「来年から、一緒に住もう」
えっ……。
「……桜庭くん?」
彼が、私の方をまっすぐ見つめていた。
一緒に、住む。
今、そう聞こえた。
いや……間違いなく、彼は。
「……いいの?」
「うん。……せっかく、一緒に東京に行くんだし。それに……」
そこで言葉を切って、桜庭くんが視線をそらす。
けれどすぐにまたこっちを見て、言った。
「……今よりも、もっと一緒にいたいんだ」
ああ。
私は、幸せだ。
きっと今、この瞬間、私は世界で一番、幸せな女の子だ。
ううん……五年前のあの日から、ずっと――。
「……うんっ。そうする」
「え……そ、そんな、すぐに決めていいの……?」
「いいの! だって……私も、もっと一緒にいたいよ」
今さら、なにを言ってるんだろう、この人は。
恋人同士になったときから……ううん、それよりも前から。
私は、ずっとあなたと一緒にいたかったのに。
桜庭くんがいやがらないように、我慢してたのに。
「ふふっ……楽しみ」
「……うん。僕もだよ」
「あ! じゃあ家探さなきゃ!」
「ちょっと、まだ早いんじゃない?」
「早くないってば。いいところなくなっちゃうもん」
「……はいはい。わかりました」
私たちはそのあとも、しばらくくっついたままだった。
離れたあとも名残惜しくて、テーブルの下で手を繋いだ。
料理はどれも美味しそうだったけれど、あんまり味がわからなかった。
帰り道も、ずっと手を繋いで歩いた。
どうしてか、五年前に彼の部屋に押しかけて、そして恋人になって、駅まで送ってもらった日のことを思い出した。
ケンカも、すれ違いも、あれから何度もあった。
それでもそのたびに仲直りして、私たちは今こうして、まだ一緒に歩いている。
「桜庭くん」「遊薙さん」
思いがけず、声が重なった。
だけど、言いたいことはきっと、ふたりとも同じだった。
「大好き」
「うん。僕も、大好きです」
季節は巡る。
けれど想いは深まるばかりで、ますます、彼に惹かれる。
彼も、そうだったらいいな。
ううん、きっとそうだ。
自惚れかもしれない。思い上がりかもしれない。
けれど、でも。
私たちは、きっとこれからも惹かれ合う。
お互いのことを、もっともっと好きになる。
ああ。
まだまだ、ずっと、楽しみだなぁ。
ね、桜庭くん。
発売日は2025年5月23日!
書籍化についての詳しい内容は、活動報告をご覧ください!
【書籍化】5年ぶりのお知らせ
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