【回想】000-2 桜庭碧人は画策する
「だからお願い桜庭くん! 私と付き合って‼︎」
どうして僕のことを、好きになってしまったのか。
そのわけを話した遊薙さんは、まっすぐ僕の方を向いて、祈るように両手を組んだ。
目尻にうっすら溜まった涙が、放課後の夕陽を反射して宝石のように光っていた。
たしかに遊薙さんは、魅力的だ。
今まで出会ったどんな女の子よりも可愛いし、綺麗なのは間違いないだろう。
けれどそれでも、僕の気持ちは変わらない。
「ごめん、やっぱり嫌だ」
「……うそぉ」
遊薙さんは今にも泣き出しそうに口元を歪めながら、両手で頭を抱えた。
そしてうんうんと唸ったあと、一度深く息を吐いてから、また顔を上げた。
「ど、どうして? 桜庭くんには今、特定の恋人はいないと思ってたんだけど……」
「それは、まあ、そうだね……」
「じ、じゃあ……私があなたのタイプとは違った……?」
遊薙さんは自信なさげに顔を伏せて、もじもじと上目遣いで僕を見ていた。
そのあまりの可愛さに、僕はついつい自分の意思が弱まりそうになるのを感じる。
けれどここで折れるわけにはいかない。
そんなことをしたら、自分にとっても彼女にとっても、決していい結果にはならないだろうから。
「もちろん、遊薙さんのことは素敵だと思う。でも僕には今のところ、恋人を作るつもりがないんだよ」
「そ、それじゃあ……私のことは好き、ということ?」
「……いや、好きじゃない」
遊薙さんに恋愛感情があるか。
そう聞かれれば、僕の答えはノーだった。
理由は僕にもわからないけれど、要するに恋心というのは、そんなに簡単なものじゃないということだろう。
遊薙さんはとても複雑そうな表情をしていた。
落ち込んだり、少し喜んだり、やっぱり悲しんだり。
けれどそんな様子から、どうやら彼女が本当に僕のことを好いてくれているらしいことが、嫌でも伝わってきた。
「……これから好きになってもらえるように、努力する。だから……やっぱり付き合って欲しい」
「もし遊薙さんを好きになったとしても、僕は君と付き合わないと思う。だから、ごめん」
「……うぅ」
遊薙さんはまた泣きそうになってしまった。
けれど、絶対に泣かない、と言っているような強い目をしていた。
「……それじゃあ、どうすれば私と付き合ってくれるの?」
「どうすればって……どうしたってダメだ。僕は君とは付き合わない」
「そんなぁ……」
遊薙さんは崩れ落ちそうになっていた。
机に両手をついて、身体を支えているように見える。
いよいよ、罪悪感がすごい。
それにしても、ここまで粘り強いなんて……。
僕は告白というのは、一度断られたら、少なくともその場はそれで諦めるのが普通だと思っていた。
けれど、遊薙さんにとってはそうではないらしい。
「わ、私に原因があるの……?」
「いや、違うよ。たとえ告白してくれたのが遊薙さんじゃなくても、僕は誰とも付き合わない」
「そ、そう……」
また、複雑な顔。
悲しんでいるような、けれども安心したような、不思議な顔だ。
でも、どんな顔をしていても遊薙さんは底無しに可愛かった。
「……どうして誰とも付き合わないの?」
答える必要はない。
そのはずだけれど、こんなに一生懸命な遊薙さんを見ていると、答えてもいいかなと思った。
「一人の時間が好きなんだ。本を読んだり、映画を見たり、考え事をしたり」
「……」
「くだらないって思うかもしれないけど、僕にとってはそれが、何よりも大切なんだよ。わかってくれなくてもいい。だから、放っておいて欲しいんだ」
むしろ、くだらないと思ってくれた方が嬉しかった。
そうすれば彼女も、僕に興味が無くなるだろうから。
けれど遊薙さんは、真剣な表情で何かを考えている様子だった。
そしてしばらくの沈黙を経て、遊薙さんはまた口を開く。
「そ、それなら私は、絶対にあなたの邪魔をしない……! 私に時間を使ってくれなくてもいいから。構ってくれなくてもいいから。だから、私と付き合って。お願い、桜庭くん!」
遊薙さんはそんなことを言って、また祈るようにギュッと手を合わせた。
思わず、僕は頭を掻く。
告白を断るのって、こんなに難しかったっけ……。
いったいどうすれば、彼女は僕を諦めてくれるんだろうか。
ここまで食い下がられるなんて、まったくの予想外だ。
対処法がわからない。
さらに厄介なことに、僕は少しだけ彼女のことを、いいと思ってしまっていた。
恋愛感情とは違う、純粋な好意。
綺麗過ぎる外見に負けないくらい、彼女はきっと、内面も素敵なんだろう。
もったいない。
よりによって、僕のことを好きになってしまうなんて。
彼女なら、もっといい相手を選び放題だろうに。
せめて友達なら。
友達になるだけなら、僕だって歓迎なのに。
……あぁ、そうか。
その手があったか。
「……やっぱり、僕は君とは付き合えない」
遊薙さんはこの世の終わりのような顔をした。
だが僕の返事には、まだ続きがある。
「でも、友達から始めてみるっていうのはどうかな? いきなり付き合うっていうのは、さすがに」
「やだ! それじゃダメなの! 付き合って欲しいの!」
僕の言葉を遮って、遊薙さんは叫んだ。
完全にお手上げだった。
……あー、もう。
「嫌だって言ってるでしょ。聞き分けが悪いにも程がある」
「それくらい好きなの! 付き合ってくれるまで諦めないもん!」
「絶対に付き合わない。君が諦めるまで、僕は拒否し続ける」
僕たちはついに、教室の中央で睨み合った。
どうしてこんなことになってしまったのかは、もはやわからない。
遊薙さんとの間にバチバチと不毛な火花を散らしながら、僕は考える。
話し合いで意見が対立し、どちらも折れる気がない場合。
人間は、果たしてどうやって物事を決定するのだろう。
この状況を打開する方法が、何かないものか……。
考えて考えて、さらに考えた結果として。
「……わかった。じゃあこうしよう」
僕は例の3つの条件を、遊薙さんに提示した。
すなわち
・僕の行動を一切制限しない
・僕が遊薙さんを好きになることを期待しない
・僕に告白したこと、僕と付き合っていることを周囲にバラさない
ここまで遊薙さんの意志が強いとなると、きっとまともに断り切るのは難しい。
それならいっそ、形だけの交際を始めてしまって、向こうが僕に愛想を尽かしてフる。
そういう展開の方が現実的だし、なにより後腐れがない。
この条件が守られているうちは、僕だって今までと変わらない生活ができる。
けれど彼女にとって、この条件はきっとすごくつまらないはずだ。
それに付き合っていればどうせ、遊薙さんにも僕が大したことない人間だってことが、すぐにわかるだろう。
そうして彼女が僕を手放せば、僕はただ、身の程知らずにも遊薙さんと付き合って、そしてフラれたバカな男になる。
その肩書きができるのは、この際仕方ない。
少しの時間と、その後の周囲の哀れみさえ、我慢すれば。
それで僕は、またいつもの暮らしに戻れる。
多少の罪悪感を含んだ僕の提案を、しかし遊薙さんは驚くほど素直に聞き入れた。
あまりにあっさり了承が取れたせいで、僕はひょっとすると、彼女にもなにか複雑な意図があるのかと疑った。
けれど遊薙さんは、そんな策略や計略とは無縁そうに、ただ「やったぁ!」とか、「ありがとう!」とか言って無邪気にはしゃいでいた。
その姿は、その日の遊薙さんの中でも、抜群に可愛らしくて。
自分の心臓が、少しだけキュッと苦しくなるのが、僕には分かってしまって。
これは、気を付けないといけないかもしれないなぁ。
不覚にも僕は、そんなことを思ってしまっていたのだった。