6.決断
テツヤは1人、自室でため息をついていた。
自分を奮い立たせて、各班からの報告にもう一度目を通す。
ディスノミアの巣が、数カ所確認された。
未だ本体を見たものはいないが、その存在は確実なものだろう。
そのせいかフォボスも殺気立っている。
以前よりも活動が活発化し、頻繁に上陸するようになった。
資源採集に出る回数を絞ったため、物資の備蓄が減少し始めた。
今はまだ大丈夫だが、いずれ頭を悩ます種になるだろう。
警戒のため見回りや見張りの回数を増やしたことで、人員の負担は高まっている。
そして何より、テツヤも肌で感じていることだが、コミュニティの空気が日に日に重くなっている。
「はあ...」
テツヤはもう何度目かわからないため息をついた。
コミュニティの雰囲気の悪化はイコール、モチベーションの低下を招く。
そしてそれはありとあらゆる活動に悪影響を及ぼすため、非常に危険な問題であった。
しかし...
「原因は、やはりあれか...」
様々な問題が複合的に起きている今の状況で、モチベーションを保つのは難しい。
今までその悪化を防いでいたメロディは、もう1週間以上聞こえなくなっている。
「誰が演奏しているのかも知れないただの音楽に、これほどまでに依存していたとはな...」
誰もが死地をくぐり抜け、等しく死の淵に立っている。
ひと時でもそれを忘れさせてくれるということがいかに重要だったのか、失ってみて初めて身にしみたのであった。
「だが現状、打てる手がないか...」
これ以上人員に負担をかけるわけにもいかない。
だが、このままでは遠からずコミュニティは崩壊するだろう。
1人頭を抱えるテツヤの耳に、ノックの音が響いた。
「入っていいよ」
ドアを開けて顔を出したのは、優しげな面影の男性である。
「ユウヤさん?どうしました?」
「実は、相談したいことがありまして。」
「相談?何を?」
「あの...俺思うんですけど。」
ユウヤは少し間を置いて言った。
「探しに行きませんか、彼女を。」
ユウヤはテツヤに告げる。
これは、単なる思いつきではなかった。
今のコミュニティの状況、自身の思いを含めて熟考した結果であった。
「彼女...例のトランペッターだな?」
「はい。」
テツヤは考え込むように言った。
「しかし、今の状況でこれ以上皆に負担をかけるわけにもいかない。」
「それは理解しています。だからこれは、私個人でやろうと思っています。」
「1人で?それは危険すぎる。」
「どうせ彼女がいなければあの時死んでいた身です。」
テツヤは彼がこのコミュニティに来た経緯を思い出した。
「しかし...」
「テツヤさん、私はね、あの人に失われたものを重ねています。」
「...失われたもの?」
「不完全だけど完璧だった世界。
大事な人がいて、忙しくて、ただ平和に生きることができた世界。
私はあのメロディを通してそれを見ている。
たぶん、私だけじゃない。誰もが皆、何かを、誰かを投影している。
だから心に響くんだ。
テツヤさんだってそうじゃないんですか?」
「私は...そうだな。」
テツヤの胸に、湿った塊が充満する。
それは形を成し、くっきりとまぶたの裏に虚像が浮かんだ。
「理香子、理恵...」
誰もが皆、喪失を経験している。
傷口は今も口を開けてそこにある。
日々、皆はそれを誤魔化しながら生きていた。
だが無視するだけでは傷口は塞がらないのだ。
辛い記憶に優しく向き合って。
許し、許されて。
そういった時間をもたらしてくれていたのがあの、トランペットであった。
「だから、誰かが取り戻さなくちゃいけない。心が死ぬ前に。」
「...希望はないかもしれんぞ?」
すでにメロディが失われて1週間が経過している。
今の世界でそのことが何を意味するのか、ユウヤもよく承知しているはずであった。
「でも、0じゃない。希望がないとしても、結果をこの目で見届けなきゃ進むこともできない。
それに、恩人を勝手に見捨てて生きるなんて、人としての品性まで失いたくはない。」
テツヤはユウヤの目を見た。
どちらかというと優柔不断な男だと思っていた。
がしかし、今はその目に強い光がある。
「コミュニティの活動には絶対影響しないようにします。だからどうか...」
「...わかった。認めよう。だが、3班のメンバーにも相談してからだ。」
「ありがとうございます。」
「待ってくれ、今呼ぶから。」
テツヤがトランシーバーでツヨシを呼び出した。
集まった3班の面々とテツヤに向けて、ユウヤは改めて話した。
トランペッターを探したいこと、その理由を。
ツヨシたちは黙って聞いてる。
「班のみんなには迷惑はかけない。だから...」
「ダメだ。」
ツヨシが強く、遮った。
ユウヤは慌てて言い募ろうとする。
「いや、でも、」
「まあ待ちなさいユウヤくん。ツヨシにも意見はあるはずだ。」
目で促したテツヤに応えて、ツヨシが言った。
「はい。1人で活動するのは認められません。俺たち3班はもう、一蓮托生の身です。」
「それは...そうですが...」
「だから、捜索も班全員であたります。」
ツヨシは当たり前のようにそう言った。
テツヤは思わず苦笑した。
何となくそうなるだろうと思っていたのだった。
「いや、それだとみんなに負担が...」
「だから、当たり前だろうが。俺たちゃ5人で1つなんだ。誰かの望みは、自分の望みと一緒なんだよ。」
慌てるユウヤにコウジが説明する。
「グレートフォールで、俺たちは全部無くしたんだ。
だからもう、無くさない。
人や物だけじゃない。その想いも全部、もう無くしたくない。
そのために最善の行動をする。
いいですね、テツヤさん?」
「はあ...君は昔から言い出したら聞かないからな...好きにしなさい。期待している。」
その日から、3班のトランペッター捜索が始まった。