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5.喪失

和やかな空気の中、ドアがノックされる。

「はーい?」

「ツヨシだ。ちょっといいか?」

「あっ、ちょうどよかった!入って入って!」

招き入れられたツヨシが目を見開いた。

「まさか、ビール?どこから?」

宙を舞う銀色のラベルを華麗に受け取り、プルトップを開ける。

「....うんめぇーー!!」

あっという間にビールを飲み干すと心底幸せそうな顔がそこにあった。


ヒュッとさらにもう1本缶ビールが飛ぶ。

空いた手でそれも受け取り、ツヨシはさらに黄金色の液体を流し込む。

イメージ通り、相当酒に強いようだ。

どかっと空いた場所に座り、さらにもう1本と手を伸ばしている。

「それで最後だよ」

と渡された缶を、今度は後生大事にチビチビと飲み始めた。

「いい飲みっぷりですねぇ」

アキナがほくほくした顔で言った。

「いや、久しぶりだからうまいの何の...」

「ふふふ。また今度仕入れてくるかな。それで?何か用があったんじゃないの?」

レイコがそう問いただすと、ふやけていたツヨシの顔が硬く引き締まる。


そして、告げた。

「ディスノミアが、出た」


プレデターのうち、特に危険と認定された個体についてはそれを表す名前が付けられている。

命名は、基本的には天体から取る。

ディスノミアは冥王星の衛星で、不和・争いの女神エリスの娘、無法の女神「ディスノミア」がその名の由来だそうだ。


集会に向かう廊下で、コウジがそんなことを教えてくれた。

ユウヤ自身は、そのプレデターについてよく知らない。

しかしこのコミュニティの面々にとっては忘れがたい名前であるようだ。


集まったメンバーの前に、厳しい表情のテツヤが立った。

「皆もう聞いていると思うが、忌まわしいあのプレデターがまた現れた。」

空気がタールのように重くなった気がした。

皆の発する様々な負の感情が、酸素を食い尽くしているようだ。

無性に窓を開けたくなる。

「知らない者もいるから少し説明しよう。」


ディスノミアとは、トラクターほども大きな蜘蛛型のプレデターである。

まるでマグマが入っているかのように、その体はオレンジ色に発光している。

強靭な表皮と毒牙を持ち、あらゆる生物を捕食する。

その巣は極めて粘性が高く、一度絡まってしまうと人間の力では到底抜け出すことはできない。

ディスノミアはかつて、このコミュニティに大きな被害をもたらしたことがあるらしい。

闇に紛れてビルからビルを音もなく移動し、誰にも気づかれることなくビルに侵入。

一夜のうちに、10人近くがその毒牙にかかった。

捕まった者はマグマ色の毒を注入され、まるで潰れたトマトのように溶かされ、捕食された。

コミュニティ全員で迎撃したが為す術もなく、次々に訪れる惨劇に、全員が死を覚悟したそうだ。

結局朝日が登り、フォボスが怒り狂って姿を表したことでようやくその悪夢は終わりを告げる。

ディスノミアはその巨体に似合わぬ速度で逃げ去り、あとには茫然自失となった人々が残された。


「昨日、川沿いのビルに探索に出たメンバーが奴のものと思われる巣を見つけた。」

テツヤが淡々と告げる。

「それと、脱皮痕と思われる抜け殻。前回現れた時よりも明らかに大きい。」

次々に天秤に載せられる負の情報に、その場の雰囲気はどんどんと暗く傾いていく。

ただでさえ危険なプレデターが、さらに危険になって戻ってきたのだ。

「楽観的に考えれば、またフォボスが奴を追い払うかもしれん。しかし希望的観測が死を招くことは皆も承知だろう。よってしばらくは厳戒態勢を敷こうと思う。異論はあるか?」

誰も、何も答えなかった。凝り固まった沈黙だけがある。

「よし、では見張りの人員を今より増やす。それに、ビル内の見回り、装備の点検...」

あくまでも淡々と、テツヤが仕事を割り振っていく。

あえて事務的に徹することで皆の意識を恐怖から現実に向けさせたいのだろう。

「...ではみんな。怖いだろうが、今までのことを思い出そう。私達なら乗り越えられるはずだ。手を取り合って生き抜くんだ。思うことがあれば何でも言ってくれ。解散。」

そうして、気の重い集会は終わった。


「なあ、コウジはその、ディスノミアって奴を見たことがあるのか?」

夜。

コウジと共に見張りに立ったユウヤはそう尋ねた。

「...ある。あんなにヤバイ奴は...他に見たことがないな。」

ポツリポツリとコウジが語る。

普段のおどけた様子は一切見られない。


「ユウヤが来る少し前のことだよ、あいつが出たのは。当時の3班のメンバーも1人やられちまった。」

まるでいがぐりでも吐き出すように、コウジは言った。

生き死にを共にした仲間との絆は、「前」とは比べ物にならない程固い。

失われた絆はまだ、その傷口を閉じてはいないのだろう。

「そうか...ごめん、嫌なこと聞いた」

「まあ...しょうがないよ。またあいつが来たんだ。今度は誰も...」

そういってコウジは言葉を切った。

誰も死なない、それが何よりも難しいことなのを知っているのだ。


川沿いの湿気を帯びた空気が、ベタベタと肌に絡みつく。

ユウヤは無性に体を洗い流したくなった。


暗く重い沈黙を破ったのは、やはりと言うべきか、トランペットだった。

「お、夜の演奏か。」

この、誰が奏でているのかわからないメロディに、ユウヤ達は何度も救われてきた。

見捨てられた世界で、人の心はいとも簡単に壊れてしまう。

恐怖や狂気、絶望が染み込む前に振り払い、メロディは心を守ってくれていた。


再び沈黙が、2人の間に落ちる。

しかし今度の空白は暖かく、柔らかい。

なんとなくホッとした気分になり、コウジに話しかけようとした、その時であった。

突如、大きく音が乱れた。

狂ったような音が響き渡り、そして消える。

ユウヤとコウジは彫像のようにその場で固まった。

互いに顔を見合わせるが、言葉はない。

何が起きたのか、お互いの想像は同じだろう。

ユウヤはそれを、言葉にしたくなかった。


その時以降、メロディは失われた。

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