運命の相手
そういうわけで鷲の巣頭(長女談)で、恩も忘れてしまいそうなほどの凶相(次女談)の持ち主で、すっごく優しくて、おかしな言葉を使うお兄ちゃん(三女談)であるところの佐藤二郎は、禮餐家の三姉妹とそれぞれの邂逅を果たすこととなった。
しかしそれが当の三姉妹に発覚するのは夕食後、さえはそろそろ布団に入る時刻で、三人が三人とも寝間着姿になってからのことだった。
「――命珠、本当なの?」
と、まず事実の確認を求めたのは寝間着姿の長女の善水だった。
寝間着姿と言っても、それほど色っぽくならないのは、寒色系のスウェット姿にも一因があるだろう。それになんと言っても佇まいに隙がなさ過ぎる。
三姉妹が揃っているこの場所は、屋敷の中でいわゆる居間と位置づけられている部屋だった。毛足の長い絨毯の上に、斜めに配置されたソファと言うよりは長椅子。これが一脚しかないので、何となく部屋全体がバランスが崩れているような印象を覚える。
あとはガラス製の低いけれどかなり大きなテーブルと、中庭に続く大きな窓の側にポツンと立っている、シェード付きの背の高い電気スタンド。
それがこの居間にある調度品の全てだった。窓の外はすっかり闇の中に沈んでおり、むしり損なった雑草の姿も今は見えない。
鼻腔をくすぐるコーヒーの香りは、テーブルの上に置かれた白いマグカップから漂ってきている。善水が今日一日の事を考えて、ぐるぐる思考を空回りさせる手助けのために用意したのだろう。
その善水自身は長椅子に寝そべっていた。
そんな長女に次女が声を掛ける。
「嘘言っても仕方ないでしょ。でも、おかしいと思ったのよね。さえ坊、夕食の時からなんだかふわふわしてたんだもの。姉さん気付かなかったの?」
風呂上がりの命珠は、一緒にお風呂に入っていたさえの長い髪をドライヤーで丹念に乾かしながら、妹からの情報を姉に報告していた。二人とも絨毯の上にぺたりと座り込んでいる。
「そういえば……」
言われると、間に合わせで準備した夕食をかなりご機嫌に食べていたような気がする。味にうるさいさえのことだから、少しは覚悟していたのだがそんなこともなく、終始ニコニコしていた。
「はい、もういいよ、さえ坊」
命珠はそういって妹を解放した。
さえは乾かして貰った髪を束ねてナイトキャップの中に押し込む。さえの寝巻きはそのナイトキャップに合わせたように、フリルの一杯付いたピンク色のベビードール姿だ。先ほどから頻繁にあくびを繰り返しているので、もう間もなく瞼が落ちてゆくだろう。
命珠の方は下着の上から、大きめの白のトレーナーを羽織っただけの楽な格好だ。随分暖かくなってきたこともあるが、命珠は元々暑がりの部類である。
「さえ、その人は本当に佐藤先輩だったの?」
善水が、突然にさえに話しかける。
さえは髪をナイトキャップに押し込み終わった、そのままの姿勢でしばらく目線を彷徨わせて、
「……うん。『俺は佐藤二郎言うねん。みもとははっきりしとる』って、言ってた」
と返事をした。
善水と命珠の間に生暖かい空気が流れる。悲しいほどの努力だ。そして悲しいほどにいい人であることが伺える。しかも、なんというかさえの敵に回るような、特殊な――最近ではそれほどでもないような気もする――嗜好の持ち主でもないらしい。
さえの言うとおり、
「頭がボサボサで優しいお兄ちゃん」
で、あるだけの可能性が高い。
そこで考え込んだ善水であったが命珠から、驚くべき情報が追加された。
「さえ坊はねぇ、その……佐藤先輩だっけ、その人を好きになったみたいなんだよね」
あっけらかんと言う命珠だったが、善水が敏感に反応した。長椅子から跳ね起きて、命珠の着ているトレーナーの袖を引っ張ると、窓際まで連れて行く。そして、こっそりと怒鳴るという高等テクニックを駆使して、すぐ下の妹を問いつめる。
「――いったいどういうことなの!? まさか本当に佐藤先輩は……」
「いや、話聞いたところによると本当にいい人みたいだったらしくて、なんか泣いていたさえを励ましてくれたらしいんだよね。で、それでコロリと。まぁ、小学生のことだし……」
その言葉に、善水が色めき立った。
「ちょっと、さえが泣いてたっていうのはどういう事なの!?」
「あ、それは佐藤さんとは無関係。そっちの方はあたしがシメておくから姉さんはお願いだから手を出さないで。加減知らないんだもの」
ため息をつく命珠。その間に飲み込まれるようにして、善水も一瞬間を置くが、すぐに問題点がずれていることに気付いた。
「そこじゃないのよ。いったい何がどうなって、私の可愛いさえが佐藤先輩に……」
「それも違うでしょ。問題なのは、その佐藤さんがあたし達全員から“匂い”を感じ取ったってこと。そっちのほうが重要」
もっともな妹の言葉に、思わず黙り込んでしまう善水。そして二人は黙って見つめ合ってしまう。何を言うべきかなのか、お互いに言葉が見つからない。
「……あのお兄ちゃんが“かみがみのてき”なの?」
そんな二人の背後から、眠そうなさえの声が聞こえてくる。
二人の姉は思わず息を呑む。
まさに、そこが肝心なところだった。詰まるところ今日の一連の出来事、いや佐藤二郎が感じ取った匂いが指し示す問題とは、そこに集約してくる。
善水が深く顎を引いて考え込んだ。
「……とにかく一度、じっくりと話をしてみる必要がありそうね」
「父さんへの手がかり……が、あるかもってことね」
姉の意を受けて命珠が、真剣な表情で頷く。
善水は切れ長の瞳をさらに細めて、窓の外を見つめた。
そんなただならぬ姉二人の様子に、さえもそれ以上声をかけることが躊躇われ、絨毯の上に沈み込むようにして座り込んでいる。
もう一度繰り返す――
禮餐家の三姉妹は、父親の手によって“神々の敵”に捧げられた生贄。
だから長女の善水はオードブルの味付けを。
次女の命珠にはメインディッシュの味付けを。
三女の“さえ”と呼ばれる末娘には、デザートの味付けを。
そして、常人には感じられないその味付けを察する者がいるとすれば――
――それこそが三姉妹を食するべき、指輪の相手なのだ。