転校生は関西弁
下校時間のピークからは僅かにずれているらしい。下駄箱の周りは三々五々という表現がぴったりとくる様相だった。
「その先輩、部活は……してるわけないか」
「うん、そう。転校してきたばっかりっていうのもあるけど、聞く限りは部活動に向く性格とも思えないし」
話したこともない先輩に言いたい放題の楓だが、善水の印象もそれと変わらない。ただ、楓の言葉があまりに伝聞口調が多いので、ある不安が湧き上がりつつあった。
「ねぇ、楓。あなた、その先輩の顔を……」
「来たわ!」
嬉しげに声を上げる楓。どうやら最悪に馬鹿な事態は避けられたらしい。安堵しつつも楓の視線を辿って、近付きつつある人影に目を向ける。
一見は、ごく普通の男子生徒。転校してきて間もないせいだろう、この学校の制服のブレザーではなかったが、変形学生服を着ているわけでもなく、第一ボタンを外して半端な無頼を気取っているわけでもない。かといって詰め襟を止めるほどに堅苦しくもない。背の高さもごく平均的で、つまりは普通なのだ。
顔は……よく見えない。髪の毛がもさもさと頭部を覆っていて、それが庇のように表情ごと顔を隠している。その髪の毛がまた酷い。剛毛とでも言うのだろうか。太い上に針金みたいにあちこちで真っ直ぐに伸びている。鳥の巣頭、とは良く言われる表現だが、この男子生徒の頭はさながら“鷲の巣頭”か。
その鷲の巣頭の下、顔の下半分は、引き締まりすぎている印象もあるが、取りあえず見苦しいということはない。
男子生徒――佐藤という名前の先輩なのだろうが――は後輩の女生徒二人の視線には一向に構わずに、スタスタと下駄箱に近付いてくる。
すると前髪に隠された目が見えてきた。
善水はそこで身体を硬直させた。そして、なるほど問題児だ、と確信してしまった。
それほどに彼の目つきは悪かった。ギラギラと輝きだけは鋭いが、それを右に左にと振り回しているような剣呑な雰囲気がある。しかもその眼の周りにはクマが十重二十重に取り巻いており、健康状態もあまり良さそうでない。
これはヒクわ、と善水は楓の言葉の大半を納得と共に受け入れた。そして、やるべき事をやってしまおうと、心を決めた。
「楓、なにしてるの? あの先輩なんでしょ」
「う、うん、そうなんだけど……思った以上で、ちょっと……」
全く同感だが、ここまで来て見送っても仕方がない。それにあんな凶悪な面相をしていても、まさかいきなり殴られることもないだろう。善水は楓の背中を押して、強引に佐藤先輩とやらの前に押し出した。
これにはさすがに相手の足も止まる。そして、その剣呑な眼差しを楓、ついで善水へと向けた。そして、口を開く。
「何やの?」
関西弁だった。なるほど転校生らしい。
そして、その言葉で楓の覚悟は決まったらしい。
「あ、あの佐藤……佐藤二郎先輩ですよね」
「そやけど、何?」
そんな名前だったのか、と改めて確認しながら事の推移を見守る善水。恐れていたような、いきなり押し倒されたりする事態には当たり前のことだがならなかった。
それにしても、私に好意を持っているという話はどうなったんだろう。そもそも私の存在に気付いていないのではないか。善水は僅かに不満を覚える。
「あ、あの生徒会からの連絡なんですけど」
「はい?」
訝しげな佐藤――二郎の声。これもまた当たり前の反応だ。どうやら問題児なのは目つきだけかも知れない。
「あ、あの姉妹校の話は……」
「それは聞いとるけど、それが俺と何の関係が……って、少し場所、移動してもええか? ここはその、人が多すぎてな」
いくらピークは過ぎたとはいえ、やはりここは学校の玄関口だ。そんな、もっともな意見と、そしてさらに歪められた目つきに押されるままに、楓はコクコクと頷いた。
「ほいじゃ、取りあえず靴履き替えて、そうやなぁ、脇の水飲み場当たりにでも行こか。今やったら、そんなに人もおらんやろ」
確かにあの場所が混むのは体育の後、運動部の部活がはけた後、という特定の時間帯だ。楓は頷き、二郎はそれを確認するかしないかのうちに、さっさと自分の下駄箱へ向かって行ってしまった。
そのまま帰ってやろうか、とも善水は思ったが楓が縋るような眼差しで、自分を見ているのに気付いて、肩をすくめて同行することにする。
少しばかり、あの凶悪な眼差しの先輩に興味が湧いていることも認めざるを得ないし、第一、自分に気があるという話はどこに行ったのか。その辺りを確認して置いた方が、今後の学生生活も平穏に過ごせる見通しが立つ。
楓があたふたと靴を履き替えるをの待って、肩を並べて二郎がいるはずの水飲み場へ。
そのままいなくなっている可能性がふと善水の頭をよぎったが、結局二郎は幾分か和らいだ表情で、二人を待っていた。水飲み場の辺りも木陰。この高校はほとんどが木陰に覆われている。どこかで鴉が汚い声で鳴いていた。
「そいじゃま、説明してくれるか? いきなり生徒会からの話じゃわけがわからんわ」
善水にとっては聞き馴染みのない関西弁の響きが、会う前の想像とは違って、この先輩への印象を正反対の方向へと修正しつつあった。
何より、話も通じないような相手ではなかったことに安堵を覚えた。しかし、それと同時に評判で相手に悪印象を持ってしまっていた自分に軽い嫌悪感を感じる。
楓は善水相手に一度説明していたことが功を奏したのか、先程の説明よりはよほど順序立てて、しかも寄り道もせずに二郎に事の次第を語っていた。
よほどおかしな事になれば、助け船を出すつもりだった善水だったがその必要もなく、楓は説明を終えた。
「……要は、どういう理由か向こうに指名された俺が、その歓迎式典とやらに出ればええんやな」
二郎は楓の話を、ごく短くまとめて見せた。そしてその表情は初めて見た時の表情に似ていた。どこか苦しんでいるような……
そうか、この先輩は何かに苦しんでいるのかもしれない。
善水は漠然とそんなことを感じた。
しかし楓の話自体に“二郎が選ばれた理由”を始めとして、色々不可解な部分があるのも確かだ。そのためにこの先輩が何に苦しんでいるのか、などという推測からして不可能なのだが、楓自身がその理由を知らないらしいのは善水にも察しが付く。
そしてそれは二郎も同じように見当を付けたらしい。それ以上、楓に事情を尋ねることをしなかったからだ。
頭も悪くないみたい、と善水は二郎の判断に感心した。
「……で、それはいつの話なん?」
「え、えっと出ていただけるんですか?」
「そりゃまぁ、特に断る理由もないし。第一、俺が行かんかったら、え~と……」
「諏訪部です。諏訪部楓といいます」
慌てて自己紹介する楓を、呆れたように見つめる善水。
「その諏訪部さんも、困るんやろ。いつか教えてくれたら行けるようにしとくわ」
それまでの覚悟が無駄と思えるほど、二郎はあっさりと楓の申し出を受け入れた。
「あ、はい。式典は二週間後の日曜日に予定されています。その、立食形式でごちそうもでますんで……」
「ああ、ええよ。気ぃつかわんで。事情はようわからんが、せいぜいタダ飯食うて来ることにするわ」
そう言って二郎は笑い、パタパタと手を振った。
どこが問題児だ。気さくな良い先輩ではないか。面相がおっかないのは本人のせいではないだろう。善水は馬鹿馬鹿しくなって肩をすくめた。楓の方は一仕事を終えたことに安心したのか、大きく息を吐いて胸をなで下ろしていた。
「それはそうと、後ろの君はなんなん? 女の子によくある、つきそいゆう奴かな?」
「あ、え、えっとですね。先輩が善水のことを気にしていたって聞いたものですから……」
「俺が?」
自分はわざわざ恥をかきに来たらしい、と善水は観念して、二郎のいささか遠慮のない視線にも無防備に自分をさらけ出した。楓はそのまま、善水がここにいる理由を説明しようとしていたが、もとより「先輩が怖かったので、生贄に連れてきました」とは、なかなかぶっちゃけられないだろう。
どうなるのかな、と善水が他人事のように考えていると、二郎が鼻をひくつかせ始めた。
いくら何でも、これは失礼に過ぎないか、とさすがに善水が口を開きかけたところで、
「これだ、このいい匂い。君が元やったんか」
――残酷に思えるほど無邪気に。
死刑宣告に等しい言葉を、二郎は善水へとぶつけてきた。
善水は一瞬立ち尽くし、そして脇目もふらずに一心に逃げ出した。
――覚悟は決まっていたはずなのに。