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サクリファイスでフルコース  作者: 司弐紘
終章 新たな生活
33/34

目覚め

 二郎は目を覚ました。深い井戸の底からはい上がるような心持ちで。


 こんな感覚は久しぶりだ。いや、久しぶりという言い方はおかしいか。


 ――ぐっすり眠った。


 などと、はっきり自覚出来た記憶は、物心ついて以降、一度もなかったような気がする。

 そんな慣れぬ感覚と同時に記憶が蘇ってくる。


 スサノオ――いや、自分は佐藤二郎だ。自分の中にあの三姉妹がいる……わけでもない。 これは、世に言う都合のいい夢落ちか?


 とも疑ったところで、天井の様子が自分の借りている安アパートの、シミが浮き出た天井ではない事に気付いた。

 あまりに綺麗な天井は、二郎にある連想をさせた。


禮餐れいさんさんとのこの屋敷か……? けど……)


 ガバッと上半身を起こす。


「お兄ちゃん!」


 途端に横合いから声がかかる。全部が夢でないのなら、それは間違いなく“さえ”の声だ。


 首だけを横に向けると、そこにはチェック柄のワンピースを着た、喜びに満ちあふれた笑みを浮かべるさえがいる。その美しさは輝かんばかりだった。

 だが、それは失われてしまったのではないのか?


「さえちゃん……やな。ええと身体はあるんやな」


 そのまま周囲の様子を見渡してみる。カーテン越しに入ってくる光の具合から考えて、どうやら朝のようだ。見知らぬ部屋だが、さえがここにいること、そして今、自分が寝ているベッドと、テーブルしかないこのシンプルさ加減は、ほぼ間違いなく禮餐家だろう。


 けれど、そう考える事に何か違和感を感じる。


「お兄ちゃん、大丈夫なの? 三日も眠ったままだったんだよ」


 二郎のそんな思いに気付くはずもなく、さえは、二郎の首に抱きついてきた。


「み、三日? そりゃあ……」


 ぐっすり眠った気分にもなるはずだ。そして身体に感じるさえの身体の感触と暖かみが、さえが間違いなくそこに存在していることを教えてくれた。


「いったい何がどうなっとるんや? 俺は確かさえちゃん達を……」

「うん。さえはお兄ちゃん食べられちゃったよ。もう一度食べる?」


 そう言って、さえは無防備に目を閉じた。それはもう明らかに、キスをねだっているようにしか見えない。


「さ、さえちゃん、いったい何してるんや……もっと自分を大事に……」

「一度やっちゃえば、二回も三回も同じだって、聞いたことがあるよ」

「それは……犯罪者の理屈やで。ん? 一度やっちゃえば?」

「こら! さえ坊」


 その時、やはり二郎の聞き覚えのある声が聞こえてきた。記憶が確かなら、命珠みたまの声のはずだ。そのまま階段を上ってくる音が聞こえる。

 なるほどここは二階らしいと、二郎はほとんどどうでも良いことを考えた。


「二郎さんが目を覚ましたら、あたし達に伝えるように言ってあったでしょ。一体、何をしてるのよ?」

「だってぇ……」


 その姿は確かに命珠だったが、いつもとは違うその様子に、二郎は眼を白黒させる。今までの妹バカぶりから考えられないような厳しさだったからだ。さらに、命珠の格好がかなりとんでもない。


 まずベージュ色のエプロンを身につけている。そこまでは良いとしよう。だが一見、エプロンしか身につけてないように見えるのがどうにも厄介である。早い話が裸エプロンだ。


 いわゆる胸の谷間はくっきりと刻まれいて、実に目の保養――じゃなくて目の毒だ。

 しかもエプロンの下の部分からは、引き締まったすらりとした足が覗いている。


「あ、気付いたね二郎さん。あたしにすぐに反応してくれるなんてうれしいなぁ」


 と言いながら命珠はその場でターンしてみせる。するとショッキングピンクのタンクトップに、水色のホットパンツを身につけているのがわかる。なるほど、この格好にエプロンを身につければ、裸にエプロンを着けているだけのように見えなくもない。

 問題なのは、どうしてわざわざそんな格好をしているのかと言うことだ。


「あ、あの……たまさん?」

「あのね、二郎さんに怒鳴られたじゃない。この前」

「あ、あれの仕返しか。いや、変わった趣向で……」


「そうじゃなくて、どうも思い返してみるとあの時から二郎さんのこと好きになっちゃったみたいなんだよね、あたし。Mだったのかなぁ」


 と命珠はあっけらかんと、いろんな意味でカミングアウトした。

「だから、さえ坊とはライバルになっちゃった。で、さえはそんな顔をしているというわけ」


 言われて、目の前のさえの顔を見ると見事なまでにふくれっ面だ。


「さえが先なのに……」

「こういうことは後も先もないのよ。それよりも早く二郎さんから離れなさい」

「いや」

「だめだって、さえ坊。二郎さんもおなか減ってるんだよ。降りてきて一緒に食べよ」


 そこだけはさすがに姉の口調で命珠がさえに告げると、さえもしぶしぶ二郎から離れて、それでも二郎の手を握りしめて放さない。二郎はそんなさえをじっと見つめて、


「……まぁ、確かに腹は減ってるな」

「ね、だからこんな格好してるわけ。準備できてるから行きましょ」


 と言って、命珠は姿を消した。その消えた先からとんとんと階段を下りる音が聞こえる。


(やっぱり、ここは二階なんか。覚えはないなぁ)


 つまり、どうやってここに来たのか覚えがない。大神(ゼウス)の首をはねて……

 それからどうなった?


「お兄ちゃん、おなかすいたの?」


 そんな二郎の表情を、さえはそういう風に解釈したらしい。そうなると、さえに余計な心配をさせても仕方がない。それにその内に善水が


「ああ、そやな。言われてみればごっつぅすいとるわ。こうなったらしゃあないな。ごちそうになるか。さえちゃんはなんか作ってくれたんか?」

「う、うん、またクッキー……」


 恥ずかしそうに顔を伏せるさえに、二郎はいつものごとくさえの頭に手を置いて、


「そりゃあ、いいなぁ。俺はさえちゃんのクッキー好物やからな。よっしゃ行こうか」


 二郎は本格的に起き上がって、ベッドから降りる。そうやって自分の全身改めて見直すと、青のストライプのパジャマを着ていた。髪は……力を注ぎ込んでいないから、いつものもじゃもじゃ頭ではなくて、ずらっとまっすぐに伸びている。

 いや、そもそもあれほど体内で荒れ狂っていた力が、今はかなり落ち着いている。


 一体どうなっているのか? 髭もいい加減伸びているみたいだが、この際それは仕方がないと諦めた。人の家で三日間も寝こけていたとなれば、もはや恥も何もないだろう。

 二郎の横に並んで歩こうとするさえの手を取って、二人で階段を下りると、見覚えのある場所にたどり着いた。間違いなく禮餐家だ。


「あ、先輩よかった」


 と善水よしみの声が聞こえてくる。そちらに目を向けると東洞中高校の制服にライトブルーのエプロンを身につけた善水の姿があった。どうやら、こちらも生身のようだ。

 しかも以前より随分柔らかく微笑んでいる。


「ご無事で何よりです。父が大丈夫だと言っていたんですが、何しろあの父の言うことですから、どうにもアテにできなくて随分心配したんですよ」

「あ、あ、すまんかったな」


「いいんですよ、先輩にはいくらお礼を言っても足りないぐらいなんですから」

「そ、そうや、あの人は? 俺も今の状況がよくわからへんねんけど。説明を……」

「まずはお食事を。その時一緒に説明します」


 そう言うと、善水はさえが握っているのとは反対側の二郎の手を取って、いつかの食堂へと彼を導いた。そして、あの時と同じように二郎を上座に座らせる。


「あ、あの親父さんは……」

「父はまた旅立ちました。スサノオ復活で人類にも十分に勝ち目が出てきたけれど、万全を期すためにロキに会ってくる、と言い残して」

「そ、そうなんや」


 と、応じておいてから二郎は頭を抱えたくなった。どこの世界に、年頃の娘達の住む家に若い男を残したまで、家を留守にする父親がいるだろうか。


 それにしてもスサノオ復活ということは、やっぱり生贄はその役目を全うしたということなのか。あの人がそう言うからには、それは確かなのだろう。

 じゃあ、この状況は一体どう説明されるのか。


 考え込んでいる二郎の目の前で、三姉妹はくるくると動き回り、どんどんと朝食の用意ができあがってゆく。


 こんがり焼けたトーストに、切り分けられたバケット。マーガリンにジャム、マーマレード。スクランブルエッグにコーンポタージュスープ。カリカリに焼いたベーコン。分厚いハム。赤いトマトが眼にも鮮やかな野菜のサラダ。


 食卓が完成に近付くにつれ、だんだん二郎の思考が食欲に乗っ取られていった。


「あ、あの……もう、食べても……」

「はい、お待たせしました。じゃあみんな席について」


 善水の命令一下、命珠とさえも席に着き、


「じゃあ先輩もご一緒に」

「あ、い、いただきます」「いただきま~~す」「……いただきます」


 と言った瞬間に、二郎の中で何かが弾けた。


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