姉妹校のリクエスト
東洞中高校――
朝の三姉妹の会話の中でも出たが、善水が通う高校である。
洞中市の北地区には高度経済成長期に集中して建設された団地群があり、その一帯と昔からある住宅街との間には緩衝地域であるかのように緑豊かな公園が設置されている。
その緑の中にぽっかりと浮かぶようにして東洞中高校が建っていた。
環境だけは文句のない高校だったが、あるいはその良すぎる環境が、生徒達の間から闘争心といった類のモノを拭い去ってしまっているのかも知れない。結果として学区内でも中ランクの位置づけられたまま、浮上もしないし下降もしない。
そんな温い高校に善水が通っている理由は――家から近いから。他の理由は全くない。
何しろ生贄に供される予定なので、先のことを考える趣味は持ち合わせていないのだ。
当座を生き抜くための手段――有り体に言って金――は現在のところ困ってはいない。父が三年前突然行方不明になって、それからしばらくは混乱もしたが、今ではそれも乗り越えて、それなりに安定した生活を送っている。
しかし収入のアテもなく食いつぶしているだけの現状では、底が見えている状況とあまり変わらない。このまま生贄にされることなく二十年、いや十年も時を過ごせば色んな意味で自滅してしまう。
いっそ株にでも手を出そうか。安定した銘柄ならリスクは最小限に抑えられるはずだし、何よりハイリターンを求めているわけではない。
どうしたものかな、と自分の席で考えていると、その耳にプワ~~~~と気の抜けた音が届いた。吹奏楽部の練習開始の合図だ。いつの間にやら放課後になっていたらしい。
今日の授業も華麗にスルーしてしまった。
鬱蒼と生い茂る木々の中に立っているせいで、昼日中でもあまり明るくはならない教室の中は、善水には居心地が良すぎた。充分に上の高校を狙える学力を保有していた善水だったが、この学校の居心地の良さは、老い先短い予定の善水にとっても思いもかけない余録だった。
さて帰って洗濯を済ませて明日の朝食の準備をしよう。いや、その前に家の掃除……いや、ヤブ蚊が出る前に草むしりを……
「よっしみ~~」
善水の思考の壁を突き破る鋭角的な高い声。眼鏡越しの視線を善水が声の方向に向けると、そこには中学時代からの友人、諏訪部楓の姿があった。
背は小柄な方だが、それを感じさせないほどにいつも身体全体を躍動させるようにして、いつも学校中を飛び回っている。しかも髪型がポニーテール。今もその馬の尻尾をぶんぶかと左右に揺らして善水へと駆け寄ってくる。
小柄な背丈に比例するかのように、女性としての発育はあまり顕著ではないから、そんな風にはしゃいだ様子は、スカートがなければほとんど元気が有り余っている男子中学生だ。
「少しつきあって!」
「主語を言って」
楓の興奮に巻き込まれることなく、善水は冷静に対処した。
「あ、えっとね、生徒会の仕事を手伝っていてね、あ、善水もやりなよ、中学の時はやってたじゃない。正直、善水がいないと私つまんないのよ」
「そんな気はないわ。話はそれだけ?」
「あ、ごめん。全然違って、ちょっと待って整理するから……」
そのままウーン、ウーンと唸り出す楓。それをジッと見つめる善水。
(……確かに私はそんなに長く生きるつもりはないけれど、このコが一番の友人というのは問題があるんじゃないかしら。もちろん、友人なんかいらないとシニカルだったりアナーキストだったりするわけじゃないけれど、もう少しやりようがあったのじゃないかしら。見返りを求めないのが友情というものなのかも知れないけれど、自分自身の感情が正の方へと振れることも利益と考えるなら、このコは明らかに友人というカテゴリからは外れまくっているわ。依存されるばっかりで私は――)
高速で回転する善水の思考。命珠が指摘したように、善水は一つのことに集中しすぎる癖がある。それは、こんな風に自分の頭の中でグルグルと思考を空転させる癖があるからなのだ。
それを外見上は全く表情を動かさないで行うものだから、善水には自然にクールビューティという評価がついて回ることになる。
「……えっとね事の始まりは姉妹校の話なのよ。善水知ってる? イタリアのアグリッパ学院っていう、ヨーロッパじゃ有名な学校なんだけど。凄い話よね。どうしてウチの学校と姉妹校になったのかしら?」
楓という娘は、ちょうど善水を裏返したような癖を持っている。何も考えずにしゃべり出し、そのまま言葉を空転させることにかけては右に出る者がいない。
「……整理して、それなの? 生徒会の話はどこで繋がるの?」
たまりかねた善水が助け船を出す。姉妹校の話は、朝食の時に妹たちと話題になったおかげで繰り返して聞き返す必要はなかった。相手の学校が名前がわかったのが成果といえば成果かも知れない。
「ああ、ええっとね、近々向こうの学校の親善使節みたいなのが来るんだけど」
親善使節、というところに違和感を感じる。楓の言葉の奔流の中には、時々大仰な言葉が混ざり込んでくるのが特徴だ。
「こちらでも代表者を出して、お出迎えっていうか、要するにホテルで歓迎会みたいなのをするから、全員呼ぶわけにも行かないっていう経済的な事情もあるんだけど、その代表は自動的に生徒会の先輩達なのね」
少しは話がまとまってきた。出口は未だに見えないが。
「で、そのまま話が進むところだったんだけど、向こうの学校から要望があって、こっちの面子にリクエストを出してきたの」
善水は眉をひそめた。そのリクエストに自分の名前でも挙がったのだろうか? 正直、薬指のリングとこの髪の色のせいで、教師受けは良くないはずなのだが。
だが楓の言葉は意外な方向にジャンプした。
「それは佐藤先輩って人なんだけど。あたし、その先輩への連絡をすることになったの」
なるほど話はわかった。そして結論も出た
「――別に私が付いていく必要ないじゃない。どうして、そんな面倒な話になっているのか知らないけど」
「それがね、佐藤先輩って人最近転校してきたばっかりで、それも前の学校で問題を起こしたかららしいの」
「いわゆる問題児ね。どうしてリクエストされたのかしら?」
湧き上がってきた好奇心とシンクロするかのように、善水は小首を傾げてみせる。
そこに楓が嬉しそうな声で応じた。
「ね、ね、おかしいでしょう。そこで善水の出番なのよ」
いっそ殴ってやろうかしら、と善水らしからぬシンプルな思考。しかし、そこは一家の長としてじっと堪える。
「……相変わらず、私との関連性が見えないんだけど」
「つまりね、あたし一人で行くと怖いじゃない。で……」
「私が一緒に行ったって、ぜぇ~~~たいにあなたなんか助けないわよ」
「うん、それは期待してない。ただ、善水は佐藤先輩に対して抑止力たり得るのよ」
また、難しいことを言い出した。
「あたしもバカじゃない訳よ。だから、佐藤先輩について調べられる限りは調べたのよ。で、とある情報提供者の証言によると、普段は無口な人なのに、善水と廊下ですれ違った時だけは『あの一年生は誰だ?』と自分から尋ねたらしいのよね。その事実から推測される事実は――」
「もういい、わかった」
つまり善水に好意を抱いているらしいから、その善水の前では乱暴な事はしないだろうという、ただそれだけの話なのだ。無下にうち捨てても構わないが、このまま放置しておくと雪だるま式に面倒を起こした楓が、もう一度自分を頼ってくる可能性は――遺憾ながら相当高いと善水は判断する。
今のウチに片づけておくのが賢明な道だろう。
善水の肩ががっくりと落ちた。
「……それで、その先輩のクラスに行けばいいの?」
「あ、え~~っと、善水が遅いからもう手遅れだわ。下駄箱に行きましょう」
挙げ句、人のせいか。つくづく友人づきあいを考えた方が良い。
善水はため息をつきながら、再び駆け出した楓の後を足を引きづりながら付いていった。