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サクリファイスでフルコース  作者: 司弐紘
第四章 “人類の味方”
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狂気への信頼

 元々、体格が違う。ポルックスはほんの数歩で少女の背後に忍び寄ることに成功した。

 小さな身体の心臓を狙って剣を構える。一突きで決める。決めなければ返り討ちになる。

 本当の意味での決死の覚悟で、ポルックスは剣を突きだそうとした。


 が、その瞬間今まで味方をしてくれていた雨がポルックスを裏切った。あるいは力みすぎていたのかも知れない。踏み出した軸足が、ずるりと滑ったのだ。


「うっ!」


 そのまま転倒することはなかったが、声を出してしまった。最悪だ。

 少女が振り返る。長い髪が雨を巻いてポルックスの顔を打ち付ける。そしてポルックスは見た。この世のモノとは思えぬ、人を越えた美貌の少女を。

 そしてその瞳に宿る純粋な殺意を。


 ――決着は付いた。


 そうポルックスが覚悟を決めた時、再び状況が動いた。

 ポルックスの腹から稲妻の穂先が突然出現したのだ。


 ポルックスは自分を目くらましに使った大神(ゼウス)のこの策に誇りを覚えた。これぞ間違いなく必勝の策。その策に自分が間違いなく役に立っているという高揚感。


 ――どうだ逃れられまい。


 目の前の少女に、そう宣言できないことだけが心残りだ。

 少女の力が、自分の腹をズタズタに引き裂くのを感じる。構いはしない。どんな力を使おうとも、大神(ゼウス)の稲妻を切り裂くことなど不可能だ。


「――まけるもんかーーーーー!!」


 少女が叫ぶ。

 だがもう遅い。例えあの少年がこの場にいたとしても、大神(ゼウス)の稲妻に対抗できる術をあの少年は保有していない。

 少女のワンピースを稲妻が焦がす。穂先がその能力とは不釣り合いな、華奢な身体を貫こうとしたその時、


「やっと見つけたで、さえちゃん」


 声が響いてきた。

 状況にそぐわない、落ち着いたそれでいてどこか楽しげな声だった。


「お兄ちゃん!」


 それに応えるような、さえの希望に満ちた声。

 そしてポルックスは絶望していた。

 全てを貫くはずの大神(ゼウス)の稲妻が、少年の手の中で完全に押さえ込まれているのを見てしまったからだ。これでは大神(ゼウス)に言いつかった仕事を全うすることが出来ない。


 そんな後悔にも似た感情の中で、ポルックスは意識を失った。

 そしてそれとほとんど同時に、さえもまた意識を失った。度重なる緊張と人を越えた力の乱発。そして冷たい雨。

 そのために積み重なった疲労が、二郎の顔を見ることで一気に吹き出してしまったのだろう。


「さえ!」

「さえ坊!」


 そんな妹の様子を見て、二郎に取り憑いている二人の姉はその耳元で大声を上げた。


「落ち着きい。まず命に別状はない……その、風邪ひくぐらいは覚悟しとった方がええかもしれんけどな」

「大事じゃない!」

「先輩、何だってそう呑気なんですか?! 一心同体なのに!」

「ああ、もうどうなっとるんや俺の身体」


 そう二郎が喚いたところで、足下に固形化された稲妻が突き刺さる。


「のわっ!」


 稲妻は一撃ではなかった。次から次へと、二郎めがけて襲いかかってくる。

 こうなれば是非もない。二郎はさえを抱えたままで、近くの団地の屋上にまで飛び上がった。そのままグルリと周りを見渡すと、二棟ほど離れた団地の屋上に大神(ゼウス)の姿があった。

 その右手には、すでに新たな稲妻が握られている。


「なんや、あいつ。さえちゃんには手下けしかけとって俺見たら、自分で戦い始めおった」

「それは単純に二郎さんの方が手強いからじゃないの?」


 二郎の戸惑いの言葉に、命珠みたまが応じる。それにさらに善水よしみが答えた。


「それはおかしいわ。スポーツしてるんじゃないんだから、相手の強さに合わせる必要は全然ないのよ」

「そっか……じゃあ、どういう事なの?」


 そうやって自分の肩の上で姉妹で討論が行われている間にも大神(ゼウス)の稲妻が果断なく襲いかかってくる。二郎はそれをかわし、時には力を使って弾くのが精一杯で、討論に加わる余裕がない。


 それに加えて、まずいことが起こりつつあった。いや、今まで起きなかった事の方が不思議だったのだが、この騒ぎに団地の住人が気付き始めたらしい。

 誰もいなかった団地の合間合間に、バラバラと傘の花が開き始めていた。


「ここを離れるしかないか……」


 だが、それにはさえの身体がどうしても足手まといになる。何しろ大神(ゼウス)の稲妻をかわしながらの撤退行動になるのだ。

 二郎はすでに屋上で逃げ回ることに限界を感じて、力を足がかりにして給水塔の屋上めがけて戦略的撤退を始めていた。とりあえず位置的優位だけでも確保しなければ、という狙いだろう。


「先輩」


 その最中、善水が二郎の耳元で囁いた。


「何や?」

「相手はもしかすると、さえの中にある元は先輩の何かを恐れたのかも知れません」

「何かって?」

「そこまでは……」

「二郎さん、さえも食べちゃって」


 命珠が決定的な言葉を口にする。だが、二郎もその言葉は予測していた。そして首を横に振る。


「それだけはあかへんで、たまさん」

「ほかに手はないよ、二郎さん。状況の変化にはあたしも気付いてる。今の状態じゃ逃げるに逃げれないでしょ」

「それとこれとは話が別や」

「お姉ちゃん達、お兄ちゃんに食べられちゃったの?」


 不意に二郎の腕の中から声がする。さえが目覚めたらしい。


「さえちゃん!」「さえ!」「さえ坊!」

 めいめいが声を掛けて安否を確かめるが、さえの表情は硬いままだ。息も上がっている。


「答えて、お姉ちゃん。さえを仲間外れにするの?」

「さえちゃん、そういう類の話やないんや。二度と戻られへんかも……」

「さえはお兄ちゃんと一緒になりたい。それが出来るなら他に何にもいらない。それに――」

「なんや?」

「あの人、許せない。さえのこの気持ちを馬鹿にして……」


 再びさえの双眸に殺意が灯る。


「さえちゃん! そんなん思うたらあかんって、俺と話をしたやないか!」

「お兄ちゃん、これは我慢できる事じゃない。でも、さえじゃあの人に届かない。だからさえを食べて!」


 あの時とは違う――いや、同じ意味だが、より切実でそしてさらに利己的な言葉。

 そんな末の妹の言葉に、善水は二郎の体の中に引っ込んだ。そしてさらに命珠を呼び寄せる。


「命珠、意見を聞かせて欲しいの」

 そして突然切り出される姉の言葉。命珠は戸惑いながらもまず、こう切り返した。


「……引っ込んだって事は、さえ坊には内緒って事? それって今の二郎さんと私たちの状態だと意味がないんじゃない?」

 もっともな妹の忠告に、善水は少し逡巡した後、自分が整理した周囲の星々の輝き――すなわち二郎の力に手を加えた。


「……確信は持てないけど、これで私たちのことは先輩に知られることはないはず。だからあなたの意見を聞かせて。父さんはどこまで普通じゃないのかを」

 姉の行動に空恐ろしさを感じながら、いやだからこそ命珠は慎重に善水に尋ね返す。


「どういうこと……?」

「娘を生け生け贄に捧げるなんて事は、もちろん議論の余地なく普通じゃない事よ。でもそれ以上に普通じゃないとしたら、生け贄に捧げた命を都合良く取り戻そうと考えてるんじゃないかって、そんな風には考えられない?」

「……つまり、私たちが元に戻れる可能性があるか? ってこと?」

「もしくは、そういう準備を父さんがしていたかどうかって事よ」


 姉のその言葉に、命珠は腕を組んで考え込んだ。

 あの馬鹿親父は普通じゃない。どう普通じゃないかというと、自分の思った通りに事を進めるためにはどんな犠牲も労力も厭わないというところだ。

 だからこそ、自分は今このあり得ない状況で存在している。


 しかし、だからこそ娘達を生け贄に捧げて、それでよし、とあの父親は思うだろうか?

 ……なるほど、姉の疑問ももっともだ。


 そしてもし、不本意ながらもあの父親がとことんまで普通でないとするなら、今一番の問題点が解決され、二郎に強い力を取り戻させることが出来る――のかもしれない。


「むーーーーーーー」


 命珠は唸る。あまりにも推定的な材料ばかりだからだ。

 賭けに出るには代償が大きすぎる。自分の命はすでに仕方ないにしても、さえの命がかかっているとなると……


『聞こえるか、二人とも』

 その時、二郎の声が響いてきた。


「あ、はい、先輩?」

『すまんけど、ちょっと出てきてくれるか。少しばっかりやばいことなってもうたわ』

 気軽そうな言葉とは裏腹に、二郎の声には緊張が充ち満ちていた。


 善水と命珠は頷き合って、再び二郎の両肩に顔を出す。そして、そのまま固まってしまう。息を呑む、唾を飲み込む、そんな事も出来ないまま、先ほどとは一変したその光景に、心を縛られてしまった。


 すでに二郎は給水塔の上にたどり着いている。

 周りにあるのは、すでに灰色の空ばかりだ。だがその暗雲立ちこめる空に、見慣れないものが浮かんでいた。


 それは言うなれば雷の固まり。それは電撃だけで構成される雲。太陽が雲を割って姿を現したかのような圧倒的な光量。

 誰が見ても明らかな破滅的なエネルギーの固まりが、ニュータウン全域を覆うようにして、空で渦を巻いている。


 ――少しやばい?


 慎み深いにも程があるぞ、佐藤二郎。


「お兄ちゃん、これって何?」

「わ、わけがわからん……けど、相手が相当怒っているのはようわかる」


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