第一の生贄
あまりの不条理さに、善水は思わずのけぞってしまった。
「ど、どうして?」
そのまま父に尋ねる。
「ここから先は推測だが、無限連鎖さえ可能にする核融合の技術は、人類から神という概念を消失させかねないからじゃないだろうかと僕は思っている。概念の消失は、そのまま神の消失に繋がる。それを神々は恐れているのではないだろうか?」
柳全はそこでいったん言葉を切り、大神の反応を伺う。が、その表情に変化は見られない。柳全は肩をすくめ、
「それはともかく、問題は今の人類の状況がまさに“そう”なってるって事だ。ボクがここまで辿り着いた苦労話を、君たちに伝えようとしたまさにその時、大神に監禁されてしまってね」
「それで、私たちを生贄に……」
「善水!!」
聞いたこともないような鋭い父の声が善水の口を塞ぐ。
その一瞬の行動で、善水は父の叱咤の声の意味と、大神の企みを理解した。
――考えるな。
父に自由に喋らせていたのは、それで私の心の動きを読むためだ。
その話が本当なら“神々の敵”とはいわゆる“人類の味方”。
その可能性を大神に知らせてはいけない。
だが……だが……今まで、あの先輩のことを考えたりはしなかっただろうか?
「その不安は、手遅れだよミズ」
大神が笑みを見せる。
「君はね、随分前から一人の男の事を考えていた。あんまり簡単すぎるので、少し疑っていたんだが間違いないようだな」
「善水、まさかもう接触していたのか?!」
驚きの声を上げる父の姿に、善水は自分の失敗を完全に悟った。だが、それを取り戻すための時間はないらしい。
大神の右手には白い光――固定化された稲妻が輝いていた。
「さて、どうする魔術師。君一人だけならば耐えられようが、娘を守るとなればそうもいくまい。さぁ選べ。自分の命か娘の命か」
魔術師に二者択一を迫る大神。しかし魔術師はなおも余裕のある態度を崩さない。
「何度も言うが、ここは僕の家。言わば僕の縄張りだ。いかな大神と言えども……」
「そのための防御術を先程の一撃でほとんど潰しておいたことに君は気付いていないのか?」
優しげに語る大神。その言葉にさすがに魔術師の表情から余裕が消えた。
「君一人では殺しようもなかったが、このように弱点と共にいる場合は話は別だ。足手まといと共に消え失せるがいい」
稲妻を振り上げる大神。
――ドカンッ!!!!
突然、派手な音が居間に響く。
善水は大神の稲妻が炸裂したものだと思いこんで床に身を投げ出す。しかし、伏せた姿勢から大神の方を盗み見ると手には未だ稲妻が握られたままだ。
思い起こしてみれば、音がしたのは自分の背後。伏せたまま振り返ってみると、そこには――
「先輩!?」
どういうわけか壁をぶち破ったらしい、二郎の姿がそこにあった。
「無事か!? 禮餐さん……ってグレゴリーもおるなぁ。何や物騒なもん持ち出しおって、アホとちゃうか」
とんでもないことをしでかした割りには、二郎は異様なほど落ち着いていた。
崩れた壁の向こうで、どこかのほほんとした雰囲気のまま居間の中を見渡して状況を確認している。そんな中、さすがの魔術師も圧倒されたように、恐る恐る二郎に声を掛ける。
「き、君は……」
「ええっと、もしかして行方不明だった……」
「そうよ、先輩。そこにいるのが私の父、禮餐柳全よ」
「そ、その君のデタラメな力は何なんだ?」
娘からの紹介に応じることなく、柳全は二郎に詰め寄る。
「いや、俺の力が通じないもんで、頭に来て殴って壊すことにしたんです。力の調節は難しいんですけど、力一杯殴らなあかん時は、むしろ調節せん方が便利です」
(――先輩、何かおかしい?)
善水は二郎のあまりの挙動不審さに首を傾げる。声も何だか上擦っていた。
もちろん、この部屋がかなり異常な状況であることはわかる。しかし、どこまで異常な状態であるのかは、今やって来たばかりらしい二郎には理解できるはずもない。
となると、あの人のいい先輩がこういった態度に出るわけは……
(さえと命珠が近くにいる……?)
「君か。いつぞやのパーティ以来だな。名は……なんと言ったかな」
善水の思考を遮るように、大神が声を掛ける。
「佐藤二郎――人間の名前覚えるのは苦手なんか、人間以外」
状況になれてきたのか、二郎の声にいつも通りの響きが戻ってきた。
「そんな無粋な君の名は覚えていない。君にはもっと古い名があって、先日、古い片目の友に過去に何があったのかを確認してきた」
大神が握りしめる稲妻の輝きが増す。
「なっ! オージンはもう顕現しているのか!」
魔術師が、その祖とも言える古い神の名を口にした。
「何を今更。君は元々ロキに接触するために欧州にやって来たのだろうが」
穏やかだった大神の言葉遣いが、激しいものになっていく。
「いらぬ手間だったよ魔術師。もとより君も彼ももろともに始末してしまえば済む話だったのだ。それをあの偏屈者、以前人間と相打ちになった後遺症か、相互に関係がなければ君の娘の方は見逃せと煩かった。しかし、これで確信できた。ジロウと名乗る、我らの敵はリュウゼンと密接に関わっていた」
大神は稲妻を改めて振り上げる。
その顔には歓喜の笑み。
「そして、その手間も今ここに一息に片づく。いいところに姿を現してくれたよジロウ。数万年後の再開の時までさらばだ。その時こそ望ましい結果が出ていることを切に願うよ
右手が振り下ろされる。
迫り来る、あり得るはずのない固定化された稲光。
人類が扱うにはあまりにも強大すぎるエネルギーの塊が、二郎、善水、そして柳全へと襲いかかる。死体すら残らない。そういった規模のエネルギーを前に、普通の人間ではただ死を受け入れるしかない。
しかし、その刹那の間に二郎、そして柳全が僅かに動きを見せ――
――禮餐家の居間は消失した。
善水は目を覚ました。
そして、次の瞬間には目を覚ましたという自分の感覚を疑った。
なぜなら自分は死んだはずだから。死んだ者は目を覚まさない――当たり前の話だ。
それともやはり死者の世界、もしくは死後の国、はたまたあの世――そういった世界は実在して、そこに辿り着いてしまったのか。
そう思えるだけの根拠はある。何しろ周囲一帯が真っ暗だ。両手を目の前にかざしてみるが、その手すらも見ることが出来ない。
見るという行為から連想して、いつも掛けている眼鏡の存在に思い至る。改めて、こめかみ辺りを手で押さえてみると蔓がない。目元を探ってみると、当然眼鏡はなかった。
眼鏡がないと途端に全ての者が輪郭を失うほど、善水は目が悪いわけではない。だからいきなりパニックになることもなかったが、もとよりこの暗闇の中では、視力が健常でもあまり意味はなかっただろう。
しかし、眼鏡を捜したこと自体は無意味ではなかった。なぜなら眼鏡どころか自分が何も身に付けてないことに気付いたからだ。有り体に言うと真っ裸である。
反射的に腕で身体を覆い隠そうとする善水だが、周囲が真っ暗であることに思い至って緊張を解いた。
周囲から見られる心配がない、というよりはそんなことに気を遣っている場合ではないことは自明の理だったからだ。
善水は改めて暗闇の中に目を凝らす。が、やはり何も見えない。それならば、と善水は逆に目をつむる。視覚以外の聴覚、嗅覚、触覚に意識を集中する。
すると、素肌に風を感じた。動いている、何かが自分の周りで動いている。
そうはっきり自覚して目を開けると、今度はその動きが善水の目に映り始めていた。
今まで気付けなかったことが不思議なほどの“嵐”。荒れ狂う暴風雨にも似た、圧倒的な力の奔流。
やがてそれは光の航跡までもを伴い始め、善水はその光景に心を奪われそうになる。
だが、それを拒否するように、善水は一歩、後ずさった。
しかしその一歩は、状況に大きな変化をもたらした。周囲の暴風雨が善水を避けるように渦を巻いて、大きく揺らぎ始めたのだ。
その様子に善水は無意識の内に腕を振る。すると周囲の暴風もまた変化を始める。
今度は善水は意識して腕を振った。すると暴風雨はそれに従うかのようにに変化を始めた。一体どういう事なのかと、善水は眉をひそめるが、兎にも角にも何らかの行動が起こせるようになったことは事実だ。
善水は探るように腕を動かして、自分の力加減と周囲の状況の変化の度合いを確かめる。
それに慣れると取りあえず目の前の暴風を整理にかかった。完全に消すことは無理だろうが、力のベクトルを一定に保ち、大人しくさせることは出来るはずだ。
が、善水がそう思った瞬間、暴風の中の光が敏感に反応した。善水の目の前で花火のように弾け飛び、善水の周りで星のように輝き始めたのだ。
そして暴風が星に吸い込まれるようにして消えてゆく。まるでパズルのピースがはまってゆくように。
善水はさらに暴風が収まるように思い、願った。
それに連れて星々はさらに輝きだし、暴風は収まってゆく。
『…………禮餐さん』
その時、善水の耳にすでに懐かしささえ感じてしまう、二郎の声が聞こえてきた。
いや、その声は身体全体に響いてきた。
「せ、先輩ですか?」




