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サクリファイスでフルコース  作者: 司弐紘
第一章 禮餐三姉妹
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禮餐三姉妹

第一章 禮餐れいさん三姉妹


 洞中市という緑豊かなベッドタウンがある。約三十七平方キロメートルの土地に、約四十万の人口。日本全国から選ばれる、住みやすい街十選などという、何処まで信用できるのかわからないコンテストにもまず名前が挙がってくる、良い方に少しは名の知れた市でもある。

 そんな洞中市でも北部、大きな家が建ち並ぶ高級住宅街――基準になるのかは微妙であるが、芸能人も多く居を構える――の中に、贅沢に敷地を使った、ほとんど屋敷と呼んでも差し支えない、古びた洋館があった。


 塀に囲まれた敷地の中、鬱蒼と生い茂る木々の向こう。僅かに覗く隙間の向こうには蔦が絡まる煉瓦造りの壁に、紺色の屋根。およそ二階建てぐらいの高さ。それでも屋根裏部屋はたっぷりとありそうな背の高い造り。

 一階二階の住居部分にしても、それぞれの階に八室ずつぐらいはあるだろう。窓の数もその想像を裏切ることなく、見える壁だけでも二桁を越える勢いで設置されていた。

 そんな少し浮世離れしている屋敷の外観に目を奪われながら、無愛想なコンクリートの塀沿いを歩いてゆくと、狙いすましたような格子状の門扉が現れる。高さ二メートルを越える大きなもので、動かすのに苦労しそうな代物だ。そのせいか門扉は少し隙間が空いている。ちょうど人一人通れるぐらいの隙間である。

 不用心さを感じながら門柱を見上げると、そこにはキチンと表札が掲げてあった。


「禮餐」


 とあるが、字が難しすぎる上に表札自体がすり減っているので、見上げたものは、まず眼を細める結果となる。そして「れいさん」と読むのだろうとあたりを付けたところで、それまでの光景全てに納得して、一つ頷いてその場を立ち去ることになる。


 ――さすがにお金持ちは名字からして気取っている、と。


 少し学のあるものは、別の意味で眼を細める。いや、眉をひそめる。


 ――なんともまぁ、気味の悪い名字だ、と。


 時は五月の半ば。日が随分と長くなっている、ということは逆に言うと朝も早くなっているということだ。その早く昇る朝日よりも早く起き出している者が禮餐家の屋敷の中にいた。


 長女の善水(よしみ)である。紺色のブレザーに灰色のプリーツスカート、朱色のネクタイという東洞中高校の制服に身を包んだその姿は朝の光の中に凛と佇んでいた。

 深く豊かな味わいのコンソメ色の、背中の中程まで伸ばされたまっすぐな長い髪は、襟足の部分でくくられて、あまり飾りっ気はない。そして見ようによっては酷薄ささえ感じられる、鋭い切れ長の眼差し。

 大きな縁なしの丸眼鏡で、その印象は随分和らげられているが、それでも善水がとてつもない美人であるという事に変わりはない。年は十六だがすでにその美貌は完成の域に達していた。

 その美人が朝早くから起き出している理由は、実に単純なもので食事を作るためだった。


 禮餐家の台所は厨房と言えるような規模で、善水はその厨房にかれこれ二時間ほど詰めて、スープの面倒を見ていた。

 業務用の強力なコンロの上には、善水の身長の半分ほどもある大きなずんどう。弱火でじっくりと煮込まれたその中身からは食欲をそそる香り。素人が作るレベルを遙かに超えた調理方法が伺える。

 善水はずんどうの中身、自分の髪の色と同じ深い色合いのスープをお玉ですくうと、小皿にそれをとり、味見のために唇を寄せた。そしてそれが終わると今度は自分の右手の人差し指を嘗める、というかしゃぶり始める。

 それをしばらく続け、やがて善水は満足したように笑みを浮かべた。

 そこに一瞬生じる善水の隙。それにつけいるようにして背後から忍び寄る一つの影。影は善水の首筋、いわゆるうなじに唇を押しつけた。


「ヒャン!」


 善水はその感触に驚きの声を上げる。けれど押しつけられた唇は善水の首筋から離れることはない。それどころか存分に善水の首筋をねぶり倒す。


命珠(みたま)、いい加減にして!」

 善水は力任せに妹――命珠を引き離した。

「おはよ姉さん、今日も旨いね」


 つい先程の自分の行為をすっぱりと切り捨てて、朗らかに挨拶をするのは十五になる、善水の妹の命珠だった。上出来のレアなローストビーフ色の髪を、肩口でざっくりと切りそろえた快活な印象の美少女だ。

 利発そうに輝く大きな瞳には、まだ充分に幼さが残されていたが、黒の野暮ったい印象がある洞中第九中学の制服であるセーラー服に包まれた肢体は、そんな服の上からでも充分に発育していることが伺える。姉の善水よりは確実に胸囲のサイズは上回っているだろう。


 命珠は、そんな胸を誇示するかのように、姉に向かって身体を反らしてみせる。身長だけは年相応に命珠を上回っている善水は少しかがみ込んで、その首筋をペロリと嘗めた。


「うん、あなたも上出来よ命珠」

「ありがと。でも、この流れだと締めにデザートが欲しいところよね」

「あなたが余計なことをしなければ、そんな欲求は湧いてこなかったでしょうに」


 年長者の威厳を見せるように、善水は命珠を窘めるが、運悪くというべきか末の妹がこの場に姿を現してしまった。

 テンパリングしたチョコレートのような腰まで届くふわふわの長い髪。そしてミルクのような白い肌。黒目がちの瞳はシロップでコーティングされた果物のように潤んでいる。


 年は九歳で今年小学四年生になったところだが、姉二人よりも、よほど色っぽい眼をしていた。このまま順調に年齢を重ねれば、国どころか地球をもっと傾かせかねないほどの美女になることは想像に難くない。だが今は、どこか頼りなさそうな小学生であるだけだった。


「お姉ちゃん達、さえは今日、日直だから早く行くって言っておいたのに……」


 消え入るような声で妹は姉二人を非難する。小学生だけあって特に制服はなく私服姿だが、プレゼント包装されたようなピンク色のフリル付きのワンピースはあまりにも似合いすぎていて、学校に行くには少しばかり不釣り合いにも感じられた。

 これからオペラを観劇に向かうのだと言われた方がしっくりとくる。


「あ、ごめんなさい。命珠が邪魔するから」

「さえ坊、そう言うならお皿ぐらいは出してないと、格好良くないよ」

 長女は謝り、次女は切り返す。すると末の妹は、

「う、うん。お皿は出しておいたよ。あとパンもトースターに……」

「偉い! さすが、さえ坊だよ。姉さんもそのくらいで切り上げて、準備しよう」

 今にもカラカラと笑い出しそうな勢いで命珠は言い放つと“さえ坊”と彼女が呼ぶ妹の頬をペロリと嘗める。


「やん!」


 初めて大きな声を出す妹に、命珠は眉根を寄せて困ったような表情を浮かべて見せた。

「さえ坊。あんまり美味しくならないでよ。タダでさえムッシュ・マキヤのケーキしか食べられなくなってるっていうのに」

「命珠! いい加減にして、早く食堂に行きなさい!」

 ついに長女からキツイお達しが発せられた。その言葉に文字通り身体を弾けさせて、命珠が厨房から飛び出してゆく。それに乗り遅れた形の末の妹は、怯えるようにして善水を見上げた。

 善水はそんな妹を安心させるように、妹のふわふわの髪をやさしく撫でつけると、微笑みを浮かべた。

「ごめんね、さえ。さぁ、私たちも行きましょ」

「う、うん」

 そうやって促されるままに、姉妹は連れだって食堂へと向かった。


 機能上の問題から、当然のように食堂は厨房に隣接している。広さは三姉妹が三人ずつ友人を呼んだとしても余裕はたっぷり。フローリングの床の上に重厚な印象を覚える樫作りのテーブル。そしてそのテーブルを取り囲むように、背もたれが足の倍ほどもある細かな彫刻が施された椅子が四脚。

 庭へと続く大きなガラス戸からは、眩しいほどの五月の朝の光が差し込んできていた。今日も気持ちよく晴れた一日が始まりそうだ。


 先に食堂へと向かっていた命珠が、妹が出した皿の上にこんがりと焼けたトースト、スクランブルエッグとサラダをてきぱきと盛りつけている。どうやら朝食の自分の担当分を用意している最中に、あちらこちらとちょっかいをかけていたらしい。

「命珠、いつのまに用意してたの?」

 スクランブルエッグがあるということは、命珠も厨房で作業していたはずなのだが。

「姉さん、あたしに気付かないほど夢中になってスープ作ってるんだもの。で、そのスープは?」

 と、命珠に切り替えされて、そこで初めて善水は自分の担当であるスープを食堂に持ってくるのを忘れていたことに気付いた。慌てて回れ右して、厨房へととって返す。


「まったく、姉さんは一つのことに集中すると周りが見えなくなるんだから。はい、さえ坊。体操服洗濯しておいたよ。今日は体育があったよね」

 言いながら、パステルカラーのフェルトの体操服袋を妹へと差し出した。それを抱きしめるように“さえ坊”はそれを受け取る。

「ありがとう、みたまお姉ちゃん」

 直視すると、まぶしさに眼が焼かれてしまいそうな破壊力抜群の笑顔を浮かべる妹に、命珠は今にも膝から崩れ落ちそうだ。禮餐家の長女と次女は何処に出しても恥ずかしくない妹バカの高スペックを誇っている。

「さぁ、三日前から仕込み続けた渾身のコンソメよ。私と勝負できるぐらいに上出来だわ」

 左手にスープを取り分けた小鍋、右手にお玉を待って善水が再び食堂に姿を現した。そして、丁寧な手つきで、琥珀色の液体を深皿に注いでゆく。

 妹二人は、そんな長女の行為に促されるままに自分の席に腰掛けた。いわゆる上座の席を残して、次女は下手の席。三女は上座の対面。そしてスープを注ぎ終えた長女が残された上手の席に座る。


「では、いただきましょう」

「は~い! いっただきま~す」

「いただきます……」


 めいめいが手を合わせて、全員がスープ用のスプーンを手に取った。まずは善水の仕事の成果を確かめる事にしたようだ。まず命珠が突撃をかけて、続いて善水が口を付ける。三女はスプーンにすくったところで、フーフーと息を吹きかけて冷ましていた。

 やがて命珠が口を開く。


「美味しいけど……この前に作ったのと大差ないんじゃない?」

「む……」


 命珠の言葉に善水は顔をしかめる。どうやら妹の言葉に図星を指されたとでも思っているらしい。救いを求めるように末の妹に目を向けると、ちょうど口を付けたところだった。

「ど、どうかな……さえ?」

 恐る恐る善水は末の妹に尋ねる。すると今までおどおどした印象だった、さえの目が据わっている。


「みたまお姉ちゃんは間違っている」


 まずは次女の言葉を否定。けれどそれは「美味しくなっている」という肯定の言葉を紡ぎ出すためではなく、さらに否定するためであることは、その硬い表情からみても簡単に予測が付いた。

「前に食べたのより、風味が悪くなっている。ブーケガルニを変えたでしょ。さえは前の方が良かったと思う。それに下処理が甘くなっているんじゃないかな。雑味があるよ」

 容赦のない言葉の連撃。善水は妹の言葉に胸を押さえて苦しそうだ。


「ま、まぁ、さえ坊。まだまだお姉ちゃんたちも修行中ってことでね。そのぐらいで勘弁してあげなよ。夜は私が頑張るから」

「あ、ごめんなさい……よしみお姉ちゃん」

 命珠の取りなしの言葉に“さえ坊”は再びおどおどとした雰囲気のままに、善水にあやまる。

「い、いえ、いいのよ、さえ。ちゃんと注意してくれないと私の腕も上がらないし……そうかやっぱり、やっつけ仕事になっちゃってたか」

 妹を気遣いながらも、善水はだんだんと肩を落としてゆく。それと共に食堂での雰囲気もだんだんと下降線を辿ってゆく。

「とにかくいただきましょ。さえ坊日直なんでしょ」

「う、うん……」

 それからしばらくの間、三姉妹は黙々と朝食を片づけてゆく。朝の静けさというだけでは説明できない、沈み込んだ雰囲気だ。なまじ広さがあるだけに静けさを打ち破る、外からの音というのも聞こえてこない。ただ静かに時が刻まれてゆく。


「あ、あの、よしみお姉ちゃん」


 禮餐家の三女が必死の思いで静かな食堂に一石を投じた。

「な、何? さえ」

「……こ、この前、クラスの子がお姉ちゃんの学校が新聞に載ってたって言ってたんだけど」

「え? そうなの?」

 命珠が食いついてきた。

 善水が通う東洞中高校は、学区内では中の中から中の下といったランクの高校できっぱりと進学校ではない。そういった高校が新聞に載るとなったら、あまり行儀の良くない記事になっている確率が高い。

 善水は少しばかり眉をひそめる。それは記事の内容がよろしくない、というわけではなく、いまいち記事の見当が付いてないからのようだ。

 何しろ善水は学生生活を謳歌することに全く興味ない女子高生であるから、生徒間の情報網からも取り残されている。


「さえ坊、内容は聞いてないの?」

「えっとね……」

 次女の助け船に、三女は視線を宙にさまよわせる。

「……外国の学校と……」

 その一言で、長女は耳の奥に残っていた記憶を呼び覚ました。

「あ、その話ね。それならわかるわ。イタリアの名門校らしいところと、今度姉妹校になるんだって。教職員が浮かれていたわ」

 次女と三女は、わけのわからぬままに「ほぉ~~~~」と口を縦に開いて、感心の声を上げて見せた。

「で、それって凄いことなの?」

「ん~~~、わかんない」

 命珠がさっきの感心の声を裏切るかのように基本的な質問をするが、善水の方もさっぱりな解答だった。これ以上話が膨らみようもなくなってしまったが、とにかく重苦しい雰囲気だけは解消された。

 二人の姉のおかしな会話に、三女の表情にも笑みが戻る。

 外では、屋敷の中にも聞こえるような声で鴉がやかましく鳴き始めていた。


 禮餐家の三姉妹、善水、命珠、そして“さえ”と呼ばれる末の妹。

 彼女たちの左手の薬指には銀色に輝くリング。

 それは決まった相手がいる――という単純な印ではなかった。

 それは生贄であることの印。彼女たちは父親によって“神々の敵”に捧げられた生贄なのだ。

 そして三姉妹は待っている。

 “神々の敵”が目の前に現れるその時まで。


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