春峰神社
車でその神社についたのは夕方になってからだった。紅く熟れた空と同じ色に染まる眼下の光景はきれいだが、どこにでもある神社。まぁ、人影がない社に人を置くことが出来る程度には繁盛しているらしい。
父は御守り売り場の坊主に話しかけている。俺は遠目にそれを見ていた。すると不意に一つ心配事が浮かんだ。
「あ、あの父上?俺も頭丸めるんですか......」
俺はそれを一番気にしていた。はっきり言ってこの髪は切りたくない。父には思春期と言い逃れているが、この髪は数年前から切っても切ってもすぐ戻ってしまうのだ。気味が悪いから放っておいたが、最近は髪の結い方まで板について切るのが憚られるように思われた。とにかく坊主なんて御免だ。
「いや、修行だけだから問題ないだろう。装飾品はとれよ?」
そう言ってピアスをじゃらじゃらつけた自分の耳に触れる父。あんたにだけは言われたくないと言いたくなるのは俺だけじゃないと思う。
俺はとった装飾品を父に預け、話に区切りがついたらしい二人の後を追う。二人はどうやら社の裏に向かっているようだ。
俺達が生まれるよりずっと前に作られた建物とは思えないほどに繊細な装飾がなされた社。夕陽の当たらないそこは予想以上に暗かった。
二人の目線の先には岩肌を縫うようにして作られた古い階段。一般の客には侵入が許されていないらしく禁域の看板が掛かっている。
坊主は張り付けたような笑みでこちらを招いていた。白装束に溶けたような色白でか細い体に能面のような顔は日本人形を思わせる。正直不気味だ。
古い階段は軋んで今にも壊れんばかりの音をたてていた。もう既に辺りは暗くなり、頼りになるのは木々からこぼれる月明かりだけ。闇に目が慣れ歩くのに支障はないが、何しろ人気のない獣道。物音がするたび、何が襲ってくるのかと身構えてしまう。
壊れかけの階段をしばらく進むと、不意に視界が明るくなった。上を向くと、木々が途切れ、紅い建物がみえてきた。
そこは不思議な空間だった。濃霧に包まれてるというのに月明かりは明るく、下からは全く見えなかった迫力のある建物の数々。この世ものとは思えない美男美女達。彼らが着ている見たことのない着物。そして嬉々とした日常。
俺はハッと息を飲んだ。俺が見ているのは確かに別世界だった。来たことも見たこともないと言い切れるのに、ここは何処か懐かしい?そんな思いが心を過る。
「お前が向かうのはあそこだ」
そう言って父が指したのは俺から見える限り一番奥、何処よりも豪華な塔。いや、城と言うべきか。
「一応ここが神社なのさ。中央に鳥居が見えるだろう?これから俺は用事があるから、後はあいつに聞け」
父は先程潜った門の端を指す。
俺はしばらくそこから目を離せなかった。門の端にいたのは同じ年ぐらいの槍をもった女。月明かりに浮かぶその姿は、触ったら壊れてしまいそうな程儚く美しい。絶世の美女だった。
「答えよ。お前が......司か?」
その妖艶な声は明らかに怒気を含み、夜気に研がれた刃が俺を睨んでいた。