(18)腐界への扉
室内が沈黙に満たされ、時折コーネリアが原稿に触れる音だけ聞こえる中、エセリアとミランは身じろぎせずに固まっていた。そのあまりの緊張に、ミランが耐えかねて顔を青を通り越して白くする中、コーネリアが漸く顔を上げ、静かにエセリアを見据える。
「……エセリア」
「はい」
「あなたが、これを書いたのよね?」
「……はい」
すっかり観念して素直に認めたエセリアだったが、その瞬間コーネリアは手にしていた原稿を目の前にテーブルに置きながら、歓喜の叫びを上げた。
「素晴らしいわ、エセリア!! やっぱりあなたは天才よ!!」
「……え?」
「嘘だろ?」
まさかの賞賛の言葉に、エセリアは勿論ミランも唖然となったが、コーネリアはどこか恍惚とした口調で言い募った。
「恋愛は男女間で成立するものという固定観念をいとも容易く打ち破り、世間一般的には決して祝福されないであろう故の苦悩。背徳感を認識しながらも、欲望を押し止められない脆さと弱さ、更に実の姉と婚約者を交えての、あまりにも業が深すぎる葛藤……。それをこれほどまでに深く掘り下げて書き上げたのが、まだ九歳のあなただなんて! あなたはどれだけの才能の持ち主なの!? 天才、いえもう鬼才と言って良いレベルだわ!!」
最後は絶叫とも言える姉の主張に、エセリアは本気でドン引きした。
「その……、私はそこまで深く考えて、それを書いたわけでは無いのですが……」
「コーネリア様の台詞だけ聞くと、なんだかもの凄く格調高い作品の様にも聞こえてくるんですけど、本当にそういう話なのですか? 僕には全く理解できませんが」
ミランが思わず首を傾げながらエセリアに囁いたが、コーネリアの感極まった調子の主張は、更に続いた。
「それにあれは、名前や年齢を実際とは違えてあるけど、リアーナのモデルは私よね?」
「……はい」
「やっぱりバレバレじゃないですか!」
涙目で非難の声を上げたミランだったが、コーネリアは顔を紅潮させながら上機嫌に続けた。
「やっぱり! もう途中からドキドキしてしまったのよ! だってここに書かれている様な事は、間違っても実際に言ったりしたりできないもの!」
「はい?」
キラキラした目でさけんだコーネリアを、てっきり怒られると思っていた二人は怪訝な顔で見やったが、彼女は二人の戸惑いに気が付かないまま、上機嫌に喋り続けた。
「『この薄汚い野良犬の分際で、私と同じテーブルに着くつもり!?』と激高して、ナジェークの顔にワインをぶちまけたり、『この私が、男に劣るとでも言うの!? この恥知らず! 床に這いつくばって、許しを請いなさい!!』と言いながらライエル様を扇で打ち据える所なんか、想像するだけでもうゾクゾクしてしまって……」
「…………」
そう言って、どこか中空を見ながらうっとりしているコーネリアを見て、ミランは完全に逃げ腰になり、エセリアは慎重に声をかけてみた。
「あ、あの……、確かに登場人物のモデルは、お兄様やライエル様なのですが……」
するとコーネリアは妹の表情を見て、僅かに気分を害した様に言い出す。
「嫌だ、エセリア。変な顔をしないで頂戴。何も普段から二人を痛めつけたいとか、考えてはいませんからね? あくまでも普段の自分の生活や行動パターンとは有り得ない設定に、少し心がときめいただけよ」
「……そうでございますか」
「せっかくだから、このまま最後まで読ませて貰うわね?」
「どうぞお読み下さい」
辛うじて何とか言葉を返したエセリアだったが、そんな彼女にミランが囁く。
「エセリア様。何だかコーネリア様の中で、何かが変わってしまった様な気がするのですが……」
再び食い入る様に原稿に目を落としている姉を見ながら、エセリアが言葉を返した。
「うん……。確かにこれで、腐界への扉が開いたみたいね。もう引き返すのは無理だわ……」
「意味が分かりません。『ふかい』とは何ですか? それにコーネリア様に変な物を勧めたと、公爵様達に怒られませんか?」
「その時はその時よ」
「もう本当に、開き直りっぷりが清々しいですね!」
何とか気合いで立ち直ったミランが、呆れと怒りが半々の状態でエセリアに嫌みをぶつけたが、ここでコーネリアが思い出した様に顔を上げて言いつけた。
「エセリア、これを本にしたら、いつも通り一冊頂戴ね? お茶会に呼ばれた時にでも持参して、お友達に勧めるわ」
「……はい、お渡ししますので、宣伝を宜しくお願いします」
「楽しみだわ! それじゃあね。アラナ、行くわよ?」
最後まで原稿を読み終えたコーネリアは上機嫌に立ち上がったが、ここで漸く異常に気付いた。
「あら? アラナが居ないわね」
「ミスティも居ないわ……。ミラン、何か知っている?」
姉に続きでエセリアも、室内をキョロキョロと見回して自分付きの侍女の姿が見えなくなっている事実に気が付いたが、ミランも首を捻った。
「さぁ……、先程ミスティさんが、床に座り込んでいたのは目にしましたが」
「それなら、具合が悪くなったミスティを、アラナが連れて行ったのかしら?」
「そうかもしれませんね」
そんな風に三人が納得していると、扉をノックする音が聞こえ、挨拶と共に侍女長のローゼアが入室してきた。
「コーネリア様、エセリア様。アラナとミスティは、本日著しい精神的疲労が認められました為、これからの勤務は免除して休ませております。お二方に付く侍女は、すぐに配置しますので、少々お待ち下さい」
「分かりました。だけど『精神的疲労』とは、何に対しての事かしら? つい先程までは、普通に仕事をこなしていたのだけど」
「二人とも、何やら要領を得ない事を呟いておりまして、私には良く分かりません」
「そう。分かりました、ご苦労様」
コーネリアの心底不思議そうな表情からは、自分がその心労の原因など欠片も思っていない事が見て取れ、エセリアとミランは余計な事は口にせず、ローゼアが一礼して立ち去るのを大人しく見送った。




