(15)予想外の展開
「失礼します」
「どうぞ。……ルーナですか。もう仕事を始めている時間では? どうかしましたか?」
メイド長に与えられている部屋にルーナが恐る恐る出向くと、ケイトは机で何やら書類を書いていた。しかし頭を上げて、ルーナに視線を合わせてくる。
「アネッサさんにお願いして、時間を貰ってきました。あの……、休憩室で貸し出されている本に関してお話があるのですが、今は大丈夫でしょうか?」
「構いません。なんですか?」
「私の不注意で、これを破いてしまいました! 申し訳ありません! お給金から弁償させてください!」
持参した本の破れたページを開き、それを差し出しながらルーナは頭を下げた。しかしケイトはそれを確認しても、淡々とした口調で応じる。
「……ああ、それですか。別に、弁償は必要ありません」
「いえ、そう言われましても!」
「休憩室に本を置くように指示されたのはエセリア様で、その時に万が一汚れたり破損しても、その者に責を負わせないように指示を受けています」
その意外な話を聞いたルーナは、思わず頭を下げて問い返した。
「エセリア様? あの……、もしかして、昨日こちらにお着きになられた公爵家の……」
「ええ。公爵様の下のお嬢様の、エセリア様のことです。使用人の者達に小説に親しんで貰いたいと、王都のお屋敷で休憩室に本棚を設置したのが始まりで、私が昨年こちらに移った時に、同様に設置するよう指示されました」
「はぁ……、そうだったんですか……」
「不特定多数の者が手に取れば、どうしても傷みます。それを見越して、予め修繕費用や購入費用を予算として組んでいるので、気に病む必要はありません」
「そうでしたか……。それは大変ありがたいのですが……」
説明を聞いて納得しつつも、さすがに全くお咎めなしと言うのもどうなのかとルーナが困惑していると、
ケイトが幾分目付きを険しくしながら尋ねてくる。
「確かに不注意ではなく、明らかに悪意を持って本を火にくべて灰にしたり、泥水の中に沈めたり、刃物で切り裂いたりした場合には、さすがに罪を問うて弁償を求めることになるかと思いますが……、違いますよね?」
そんなことを問われてしまったルーナは血相を変えて否定しつつ、再度頭を下げた。
「滅相もありません! 本当に不注意からです! 悪意なんて欠片もありません! 今後は気を付けますのでご容赦ください!」
「それでは、弁償は無しということでよろしいですね?」
「分かりました! ありがとうございました!」
「それでは話は終わりです。仕事に戻りなさい。その本はこちらで預かります」
「はい。よろしくお願いします」
言われるまま本をケイトに差し出したルーナは、その時にはすっかり安堵していた。
(あまり咎められずにすんだし、弁償の必要もないのは心苦しいけど、これを教えてあげたらアリーだって安心するし、ここは素直にエセリアお嬢様に感謝しないとね。まだメイド見習いだから直接お目にかかる機会はないけど、会えたら一言、お詫びとお礼が言いたいな……)
そしてルーナが一礼して仕事場に戻ろうとした時、ノックもせずに一人のメイドが室内に乱入してきた。
「メイド長、失礼します! あなた、ルーナだったわね!? 探したわよ! どうしてこんなところにいるのよ!?」
面識の無い相手にいきなり責められ、ルーナは面食らった。そしてケイトが入って来たメイドを窘める。
「……え? ええと、どなたですか?」
「イレーヌ、騒々しいですよ? 一体、どうしました?」
「先程、このルーナの祖父と妹と名乗る二人組が屋敷に出向いて来まして、『逗留中の公爵様に、孫娘の不始末について是非とも直にお詫びしたい』と申し出ました。執事が取り次いで、ご一家がお揃いの応接室に通したら、祖父がいきなり土下座をして詫び始めて、その横で妹が泣き叫び始めて……。あなたの家族でしょう! なんとかなさい!」
最初は神妙にケイトに対して報告していた彼女は、最後に初対面の後輩を叱りつけた。それを聞いたルーナは、本気で驚愕する。
「えぇえぇぇっ! なんでそんな事態になっているんですか!?」
「あなたが知らないのに、私が知るわけないでしょう!?」
「恐らく、これに関してでしょうね」
「……はい? その破れた本が何か?」
溜め息を吐きながらケイトは手元にある本を指さしたが、当然今来たばかりの
イレーヌは困惑した顔になった。そしてすっかり血の気が引いた顔になっているルーナを見て、再度溜め息を吐いてから立ち上がる。
「仕方がありません。イレーヌ、行きますよ。ルーナも付いて来なさい。皆様は今、どこにいらっしゃるのですか?」
「はい、第2応接室にお揃いです」
「……え? ええ?」
端的に指示を出すと、ケイトはルーナの目の前を駆け抜け、廊下を走り出した。イレーヌも無言で後に続き、その後をルーナは慌てて追いかけながら声を張り上げる。
「あ、あのっ! 廊下を走ってはいけないのではありませんか!?」
「あなたは、臨機応変という言葉を知らないのですか?」
「……了解しました」
先頭を走るケイトに振り向きもしないまま返され、ルーナは素直に従った。するとケイトは使用人棟の端にある階段を下り始め、ルーナも少し遅れて階段に差し掛かる。
(よし、ここは臨機応変にいこう!)
即決したルーナは、踊り場で折れ曲がっている階段の手すりに両手をかけ、勢い良く身体を跳ね上げた。そして手すりを乗り越えて、そのまま反対側の階段の下段に危なげなく降り立つ。
「きゃあっ! ちょっとルーナ! 何してるのよ! 」
「近道ですが……」
階段の踊り場を回り込んだ所で、それを目の当たりにしたイレーヌは悲鳴を上げたが、自分のすぐ後ろに降り立ったルーナを振り返ったケイトは、小さく頷いただけだった。
「早速実践したわけですね。よろしい。見なかったことにします。急ぎますよ」
(うん、メイド長はやっぱりただ者ではないと思う)
そのまま急いで第2応接室に向かうケイトの背中を見ながら、ルーナは改めて彼女の底知れなさを実感していた。




