(7)転機
街での生活もひと月近くが経過し、ルーナとアリーはカイルに連れられて散歩に出かけた。
「ルーナ、アリー、この辺もだいぶ慣れたかな?」
「うん! もう大体一人で行けるよ?」
元気良く答えたアリーに、カイルが苦笑いしながら言い聞かせる。
「それは凄いが、あまり一人で出歩くなよ? 危ないこともあるからな」
「カイルおにいちゃん、危ないことって何? 毒蛇? イノシシ?」
大真面目に返され、カイルは当惑しながら言葉を返す。
「は? え、えっと……、そういう動物関係じゃなくて、ひったくりとか人さらいとか詐欺とか……」
「あ、そうか。そうだよね。こっちに来てから、全然動物は見てないものね。鳥はいるけど。ね? お姉ちゃん?」
「……え? ええ、そうね。鳥はいるわね?」
カイルの指摘に、アリーは笑顔で頷いた。そして姉に同意を求めたが、対するルーナは自分の斜め後ろ方向を凝視しており、我に返ったように慌てて応じる。それを見たカイルとアリーは、揃って怪訝な顔になった。
「ルーナ、どうかしたのか? 何かそっちに気になることでも?」
「お姉ちゃん? なんか変だよ?」
「ううん! 何でもないから! 相変わらず物珍しくて色々見ていただけだから、気にしないで!」
「そうか? それなら良いけど」
笑顔で語気強く訴えられ、カイルとアリーは再び前を向いて歩き始めた。対するルーナは、二人の後ろについて歩きながら、密かに自問自答する。
(本当におかしいわ……。ここで暮らし始めてひと月近く経つのに、どうしちゃったんだろう、私。アリーはしっかり順応していて、特に不安とか感じている様子もないのに……)
ルーナが一人悶々としていると、ある物の前でカイルが立ち止まった。
「そういえば、二人とも。これの説明を、もう聞いているかな?」
「これ、何? こんな物、あったかな?」
「板に、何か色々紙が画鋲で貼ってあるけど……」
そこで指し示された物を見て、ルーナとアリーは揃って戸惑う。確かにこの前を何回か通ったことはあったものの、他にも色々見たり注意することがあって、きちんと認識したことはこれまで皆無だった。そんな彼女達に、カイルが笑いながら説明を始める。
「これは掲示板さ」
「『けいじばん』って言うの? 聞いたことがないけど……」
「ご領主様の指示で、中央街のある一定の広さごとに区切って、管理担当者を決めて設置してあるんだ。これにご領主様や管理官からの通達や、その地域ごとの連絡事項や求人とかの情報を貼り出して、地域の人の周知徹底を図っているんだよ」
「ふぅん? 村では取り決めとかは、村の人達の伝達順番を決めて口頭とか書面で回していたけど、それじゃあ駄目なの?」
ルーナが小首を傾げながら素朴な疑問を口にすると、カイルが苦笑しながら続ける。
「この街だと人数が多いしね。以前はご領主様や管理官からの通達がある時には、事前に地域の世話役の人に連絡があったんだ。その指定した日時に人を集めて口頭や書面で説明して、いない人に関しては後から近所の者が知らせるとかになっていたけど、それだとどうしても漏れる場合があるし」
「なるほど。でもそんな大事は、年に何回もないと思うけど……」
「求人とかだと、それまでは口コミがほとんどだったし、こうして色々な人に目にして貰うことによって、幅広く人材を集められるようになったみたいだ」
そこまで聞いたルーナは、感心した風情で述べた。
「その他にも、利便性はありそうね……。さすがご領主様のお膝元。でも以前は管理官の人から伝達されていたとか言ってたけど、それならこれはいつ頃できたの?」
その問いに、カイルが思わず考え込む。
「う~ん、この数年くらいかな? 俺が小さな子供の頃は、確実に無かったし」
「そんな最近の話? どうして急に制度が変わったのかな?」
「さあ……、そこまでは知らないな」
そこで話題になっている掲示板を見上げながら、アリーが不思議そうに尋ねた。
「でも……。みんなが色々貼ったら、ぐちゃぐちゃになったりしないの?」
それにカイルが笑顔で応じる。
「その心配は要らないよ、アリー。これに貼るには、管理人の了承を得ないといけないんだ。この掲示板はすぐ近くに住んでいるロルフさんが管理しているから、まずそこに持っていって、いつからいつまでの期間に貼り出し可との許可を貰うんだよ。ほら、全部にロルフさんのサインと、日付の記載があるだろう?」
「あ、本当だ! 全部にかいてある!」
「だからある程度公共性の無いものは貼れないし、用が済んで掲示期間が過ぎた物や無許可の物はロルフさんが剥がすし、万が一悪戯されて破られたりしたら、すぐに新しい物を貼ることになっているんだ」
「なるほど……、きちんと考えられているのね」
再びルーナが唸るように告げると、カイルが上方を見上げながら指さす。
「それにしっかり屋根付きだから、掲示板が直接風雨に晒されることもないし、雨の日の雨宿り場所や炎天下の休憩場所としても使われているよ」
「そうか! こかげの代わりだね!」
アリーが笑って頷くと、ルーナは感心しながら掲示板に歩み寄った。
「へえ……、本当に凄いなぁ……。色々考えてあるのね。因みに、どんなことが貼られて……。え?」
貼られている用紙の内容を一つ一つ確認していたルーナだったが、ある一枚に目を留めて困惑した。そのままそれを凝視していると、異常を感じたカイルが不思議そうに声をかけてくる。
「ルーナ? どうかしたのか?」
その問いかけに、ルーナは問題の用紙を指し示しながら、困惑も露わに問い返した。
「カイル兄さん、これを見て? ちょっとおかしくない? それともご領主様のお屋敷の求人となると、普通と違ってこんな書き方になるのかな?」
「は? ええと、これって……」
言われるまま目を向けたカイルだったが、それに目を通すとルーナに負けず劣らずの不審顔になった。
「いや……、お屋敷の求人自体、あまり見ない。お屋敷で働く位だから、身元が確かな人を信頼できる人に紹介して貰うのが、普通だと思うし」
「やっぱりそうよね?」
「偶々広く、求人をかけることになったとしても……。なんなんだ、この内容? 何か間違ったのか?」
本気で首を捻っているカイルに、ルーナはちょっとした提案をした。
「カイル兄さん、ちょっと管理人のラルフさんに、これについて聞きに行ってみても良い? ついでにご挨拶したいな。どんな人が管理をしているのか、興味があるし」
それを聞いたカイルは、苦笑いで応じた。
「どこにでもいる、普通のじいさんだけどな。じゃあちょっとラルフさんを訪ねて、これの事を聞いてみるか。俺もちょっと興味があるし」
「うん! 行ってみよう!」
そこであっさり話が纏まり、三人は連れ立ってすぐ近くにあるラルフの家に移動した。
(面白い物を見つけちゃった。それに、私の現状を克服できるかもしれないわ。さすがにご領主様のお屋敷だとグレードが高いかもしれないけど、試してみるだけでも良いわよね?)
この出来事がこの後のルーナの人生を大きく変えることになるのだが、この時点では本人は知るよしもなかった。




