(5)ある母子の転落人生
馬車に置いて行かれたグラディクトは、結局そのまま王宮の外壁から再奥の執務棟まで、悪態を吐きながら延々と歩く羽目になった。
「怠慢な奴らのせいで、ここまで来るのに随分時間を浪費したぞ。後からきちんと処罰してやる!」
そんな憤懣やるかたない様子の彼の姿を見つけた、王宮で働いている官吏達が、顔を見合わせて囁き合う。
「おい、グラディクト殿だぞ」
「王太子位を剥奪されたと言うのは、本当なのか?」
そんな不躾な視線を受けながら彼は進み、一層警備が厳しくなっている一角に到達した。
「止まれ。ここから先は、陛下や大臣方の執務室だ」
「許可なく、足を踏み入れる事はできん」
そう誰何されたグラディクトは、大声で怒鳴り返した。
「何だと!? 私は王太子だぞ!? 私の執務室もこの奥にあるのに、何を世迷い言を言っている!!」
しかしそこを警備している近衛騎士達は、微塵も容赦なかった。
「生憎と、あなたは王太子どころか、王子でも無くなったとの連絡を受けています」
「当然ここから先への、無条件の進入はできません。どなたかの許可を頂ければ別ですが」
「ふざけるな! さっさとそこを退け!」
「お引き取りを」
力ずくで押し入ろうとしたグラディクトだったが、十人近い騎士が一斉に剣を抜いて彼に向けた為、顔を青ざめさせたグラディクトは、無意識に後退してから踵を返した。
「……っ! 貴様ら、覚えていろ!!」
最後に悪態を吐くのを忘れなかった彼だったが、騎士達は無表情で剣をしまって何事も無かったかのように持ち場に戻り、それを横目で見たグラディクトは苛立ちながら次の目的地へと向かった。
(あれでは直接、父上にお目にかかるのは無理だ。大至急母上から、父上か王妃陛下にとりなして貰うしかあるまい。しかし、忌々しいにも程があるぞ!)
足音荒く先を進んだグラディクトだったが、後宮への通達は遅れていたのか、特に見張りの近衛騎士に止められる事無く、母であるディオーネに与えられている部屋まで到達した。
「母上、私です! 至急、父上に取り次いで頂きたい内容があります! 実は」
「グラディクト! よくもおめおめと、私の所に顔を出せたものね!」
侍女の取り次ぎなども完全に無視し、自分の部屋に押し入るなり声高に叫んだ息子の言い分を、苛立たしげに遮ったディオーネは、怒りを内包した口調で彼に告げた。
「あなたがエセリア様にかけた嫌疑が、全て事実無根であったと証明されたのは知っているわ。それに従って、あなたの王太子位を剥奪した上で臣籍に落とすと決定した事もね。陛下から遣わされた方が、先程、一部始終を教えて下さったわ」
「ですから、母上から父上に取りなして下さい! 確かに言いがかりを付けて婚約破棄を申し出たのは、短慮だったと反省しています! ですがそれだけで王族から除籍するなど、あんまりではありませんか!」
必死の形相で訴えたグラディクトだったが、彼女は微塵も感銘を受けず、彼以上の声量で怒鳴りつけた。
「あんまりなのはお前の言動よ! よりにもよって公の場で、ザイラスを平気で手放す発言をするなんて! あそこは王家と共に国教会発祥の地でもあるから、代々の国王と国教会がそこを神聖視して、王太子領として保護してきたのに! それを全く理解していない発言をしてしまったから、王太子として以前に王族としての資格なしと判断されたのが、まだ理解できないわけ!?」
「それは……。つい、売り言葉に買い言葉で……」
母親の剣幕と自分の落ち度を突かれて、さすがにグラディクトが口ごもったが、すぐに気を取り直して再度訴えた。
「ですが! 私が王太子では無くなったら、レナーテ殿が産んだアーロンが、王太子になる可能性が高くなります! ですからレナーテ殿とそりが合わない王妃様が、私に肩入れして立太子を働きかけて下さったのではないですか! アーロンが王太子になっても良いのかと、王妃様に訴えて下さい!」
王妃とは微妙な仲の側妃の名前を持ち出して再考を促した彼だったが、それに対して冷え切った声が返ってきた。
「そして王妃様の後見を確実にする為に、王妃様の姪に当たるエセリア様をあなたの婚約者にして頂いたのを、あなたはすっかり忘れているようね?」
「だからそれは! 王妃様は実は、時折国政に関与した事にまで意見してくる小賢しい彼女を疎ましく思っていて、自分に従順な娘を養女にして王太子妃としてあてがえば良かったと、常々後悔しているとの話が!」
「そんなもの、根も葉もない噂よ。誰が口にしていたと言うの? 少なくとも後宮内の者では無いわね。彼女が王妃様のお気に入りなのは、側妃どころか侍女に至るまで知れ渡っているもの」
「…………」
弁解にもならない事を口走った息子に、ディオーネはもはや侮蔑の表情を隠そうともしなかった。それを認めた彼が黙り込むと、彼女は淡々と話を続ける。
「陛下に続いて、王妃様からも遣いの者が来たわ」
「それなら!」
途端に表情を明るくして一縷の望みに縋ったグラディクトだったが、ディオーネはそんな彼の希望をあっさりと打ち砕いた。
「今後、王族としての品位の無い者に、かける慈悲は無いそうよ。それ位ならアーロン殿に、王家の伝統と品位を保って貰う事にするらしいわ」
「何ですって!?」
「王妃様は誰よりも気高い方よ。個人的な感情より、王家の益を優先させるわ。当然でしょう?」
「…………」
もはやぐうの音も出ない息子を眺めながら、ディオーネは怒りの形相で恨み言を漏らした。
「お前があの馬鹿な騒ぎを起こしてから、陛下はこの部屋を訪れて下さらないし、お前の同母の妹と言う事で、もうグレースとニーグァにも、まともな縁談など世話して貰えないでしょうね」
「そんな……」
「もう二度と、その恥知らずで不愉快な顔を見せないで! ここからさっさと出て行きなさい!」
その叫びと共に、ディオーネが手近にあったクッションをグラディクトに投げつけると、彼が何か言う前に部屋の隅に控えていた侍女が二人歩み寄り、有無を言わせぬ口調で迫った。
「グラディクト様、ご退出願います」
「先程は通達が間に合わず、あなたを通してしまった様ですが、今後は王族でも無いあなたがお約束も無く、ここまで立ち入る事は不可能ですので。その事をご了解ください」
その物言いに腹を立てた彼は、恫喝混じりに言い返した。
「何だと? 侍女の分際で無礼な。俺を誰だと思っている?」
「バスアディ伯爵のご養子の、グラディクト様では?」
「あなた様が今後どのような名前を名乗るかは、まだ私共の耳には入っておりませんが、酔狂にもあなた様の身柄を引き受けて下さるのは、血縁関係のあるディオーネ様のご実家位のものだと思いますし」
「……っ! 覚えていろ!」
あからさまに、王族でも無い者に払う敬意など持ち合わせていないと態度で示された彼は、もう何度目になるか分からない捨て台詞を残して、ディオーネの部屋を出て行った。
「今後は、あれを通さない様に徹底させて!」
「畏まりました」
そんなディオーネの叫びに、恭しく頭を下げて隣室に退出した侍女達が、声を潜めて囁き合う。
「あの方も、そろそろおしまいね。あれで、陛下の寵愛が完全に冷めたでしょうし」
「そうね。娘共々、どこぞに押し付けられるんじゃない? それより私達、今度はどこに配置されるのかしら?」
「あまり面倒じゃない所が良いわね」
そして彼女達の予想通り、かつて国王の寵愛を最も受けていたディオーネは、間も無く娘共々、後宮から人知れず姿を消す事となった。




