(5)お姉様は人たらし
「それでは次に、こちらの諸国漫遊について、ご説明します」
コーネリアがそう口にした途端、エセリアが椅子に座ったまま、変な声を漏らした。
「……ぶふっ」
「エセリア様、どうかされましたか?」
反射的にエセリアに視線を向けたミランが、テーブル越しに小声で尋ねると、何故か口元を両手で押さえていた彼女は、その手を離しながら引き攣った笑みで答える。
「ごめんなさい、何でもないわ。ちょっと鼻がムズムズしただけよ」
「そうですか?」
ミランは変だとは思ったものの、エセリアが多少変なのはいつも通りかと、結構失礼な事を考えながら、コーネリアに視線を戻した。
(危ない危ない。つい、噴き出すところだったわ。だって『けん玉』なんて名前を言っても、他の人には何の事やら意味が分からないし、名前の由来を聞かれても困るもの)
そんな事を考えていると、コーネリアが振り返ってミランに声をかける。
「ミラン。ちょっと見本を見せてくれないかしら」
「分かりました。お借りします」
打ち合わせ通りミランが緊張した顔付きで立ち上がるのを、エセリアはぼんやりと見送った。
(お姉様に現物を見せた時、「まだ名前が無いのでお姉様が付けて下さい」とお願いしたら、あれだったし。偶々発音が妙に聞こえるのが、不運だったわね)
そしてミランがけん玉を手にしてデモンストレーションの準備をするまで、コーネリアが説明を続ける。
「このプテラ・ノ・ドンは、持ち手とそれに繋がる球の、至ってシンプルな構造です。しかも糸で繋がっている故に、球が動く範囲も限定されます。それを踏まえた上で、自分の思い通りに球を操る玩具です」
「思う通りに操るとは、どういう意味ですか?」
全く想像できなかったらしい招待客の一人が、思わずと言った感じで尋ねると、コーネリアはミランに微笑みかけた。
「ミラン」
「はい。それでは始めます。……ジェスト!」
何故かミランがかけ声の様に、国内の周辺に位置する街の名前を叫びながら静かに持ち手を振り上げると、ほぼ垂直に放り投げられた球は、カチッと微かな音を立てながら、大きな皿の部分に収まった。
それを見た周囲から、驚きの声が上がる。
「うぉ?」
「え? どうして? 球や糸を持ち上げたりしていないわよね?
「それに、どうしてあんな所に乗っているの!?」
その驚いている様子にエセリアは苦笑したが、姉に説明は任せて自分は傍観に徹した。
「皆様、落ち着いて下さい。彼は反動を付けて真上に引き上げただけですわ。それにこの持ち手のそれぞれの先端や本体部には、幾つも微妙に窪みを付けて浅い皿状になっています。そこに球の一部を乗せて安定させていきます」
そのコーネリアの説明を聞いて、周囲は一応納得した様に頷く。
「そうなのですか?」
「でも一瞬の事で、全く分かりませんでしたわ」
「勿論、これだけでは終わりません。ミラン?」
「お任せ下さい」
そして最初の一回が成功して緊張も解れたのか、ミランは次々と球を空中に放り上げては移動させるという、連続技を繰り出し始めた。
「よっ……、アスペラ! ほっ……、エジール! はぁっ……、ラグアード!!」
そして最後に、ミランが見事にけん先に球を差し込んだのを見て、周囲から歓声が上がった。
「おぉ! 凄い、球が刺さったぞ!」
「まあ、あんな事ができるなんて!」
「素晴らしいですわ!」
それを目の当たりにした者達はこぞって拍手喝采し、エセリアは一人苦笑した。
(ミランったら、最初は私より下手だったし、ここで技を披露する事には散々グチグチ言ってたのに、本番でしっかり決めるなんて本当にちゃっかりしてるわよね)
そして自然に拍手が収まったのを見計らって、コーネリアが真顔で解説を続けた。
「皆様。今ご覧になった彼の技も凄いですが、注目すべきは彼の身体の動きです。手元が揺れていると、狙った所に球が収まりません。故に腕は大きく振らず、背筋を伸ばしたまま保ち、膝の曲げ延ばしだけでしなやかに上下運動をする。つまりこれは淑女の礼、カーティシーに繋がる動作なのです」
(はっきり言って、お姉様にそう言われた時は何の冗談かと思ったけど……)
思わず遠い目をしてしまったエセリアだったが、周囲の大人達はミランに視線を向けながら、納得したように頷いた。
「そう言われてみれば……」
「確かに上半身を曲げていると、できなさそうですね」
「それは勿論、男性にとっても同様です。騎士としての拝礼、拝謁する時の礼法では、姿勢の正しさが重要視されます。これは遊びながら、正しい姿勢を保つ訓練にもなるという、優れ物の玩具なのです!」
そう力強く宣言したコーネリアに、忽ち賛同の声が上がった。
「なるほど! それは確かに、画期的な玩具ですな!」
「さすがはシェーグレン公爵家ですわ!」
「目の付け所が違いますわね!」
招待客は口々にシェーグレン公爵家とコーネリアを褒め称えたが、彼女は更に話を続けた。
「実はこのプテラ・ノ・ドンの有益性はまだございます。ミラン、お願い」
「はい。それではいきます。……エジール! はあっ! ……メルトーア!」
「え?」
「あら?」
そしてミランが突き刺さった球を下に落としてから、一度大きめの皿の部分に乗せ、次に持ち手の左右に枝分かれしている場所に、ごく浅く彫り込まれている場所に器用に球を収めると、そこで聞き慣れない単語を耳にした者達が怪訝な顔を見合わせた。その反応に気を良くしながら、コーネリアが説明を続ける。
「皆様、お気づきになりました? 先程からこのミランは、球を受けて止める度に、地名を言っておりましたの。因みに今まで彼が口にしたのは、この王都ラグアード周辺の、国内中央部の街の名前です。球を乗せた所に、その地名が焼き印で押されています」
「なるほど、そういう事でしたか」
「それでは、それを使う事で学習効果もあると言う事ですか?」
そう推測を述べてきた招待客に、コーネリアが微笑みながら頷く。
「はい、その通りです。そして地名は規模に応じて、書く位置を決めています。主だった街は置き易い大きな皿の部分に。その周辺に点在する流通拠点や宿場街などは、持ち手の本体や枝の置き難い部分に。しかし難しい場所を攻略し、その場所の位置や有用性をきちんと理解できてこそ、真の知識人と言えるのでは無いでしょうか!?」
「…………」
声高にコーネリアが主張する内容を、広い室内にいる全員が声もなく聞き入る。そこで彼女はふっと表情を和らげ、いつも通りの口調でエセリアを手招きした。
「色々偉そうな事を言ってしまいましたが、実はこれらの玩具は私の妹、エセリアが企画開発した物です。私はこんな画期的な品々を考案した妹を、本当に誇りに思っております」
その途端、室内から驚愕の視線が全身に突き刺さった為、エセリアは狼狽しながら立ち上がった。
「あああのっ! 企画開発とか、そんな大げさな物では! それにプテラ・ノ・ドンに地名を刻印しようと提案されたのは、お姉様ですし!」
「この様に妹は謙虚で、常に私を立ててくれますの。こんな才能溢れる姉思いの妹を持って、私は本当に幸せです」
そうしみじみとコーネリアが述べた瞬間、これまでで一番の拍手と歓声が沸き起こった。
「本当に素晴らしいですわ!」
「実に才能溢れるお嬢様だ」
「それに姉妹仲が宜しくて、誠に結構ですな」
「公爵夫妻が羨ましいですわ」
「それでは長々と口上を述べてしまい、失礼致しました。どうかごゆるりと、お楽しみ下さい。カーシスは五台、プテラ・ノ・ドンは中央地域編、東部地域編、西部地域編、南部地域編、北部地域編をそれぞれ一つずつ用意してあります。お好きな地名を探しながら、そこを制覇できるか楽しんでみるのも一興かと思いますので」
そうコーネリアが告げると、会場中がざわりと波打った。そして公爵家に近い家や上位貴族達は、順番的に先であるのでコーネリアと両親の下に挨拶の為に移動したが、暫く後の者達はいつの間にか侍女達によって壁際に設置されていたカーシスやプテラ・ノ・ドンに向かって、さり気なく移動を始める。
その様子を眺めながら、エセリアはミランに囁いた。
「うふふ……、やっぱり自分の領地の街の名前が入っているかどうか、気になるわよね」
「国内貴族の領地の地名を悉く入れる為に地域を分けて、名前も諸国漫遊なんて名付けるなんて、本当に悪どいと言うか、抜け目が無いと言うか……」
呆れ気味に応じたミランに、エセリアが少々気分を害した様に言い返す。
「プテラ・ノ・ドンに関しては、確かに形のアイデアを出したのは私だけど、コンセプトを増やしたのはお姉様で」
「分かってます。お二人とも貴族のお嬢様の範疇には入らないお方だと言うのは、この間ではっきり理解できました」
「酷い言われようね。取り敢えず、もう一働きよ! 使い方を指導しないと、皆さんが楽しめないわ」
「……了解しました」
そして困惑している招待客達に向かって、エセリアは意気揚々と歩いて行き、ミランは諦めの境地で彼女の後に続いた。




