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書き散らしの紙片

お湯の中の水鉄砲

作者: 秋沢文穂

 本日は快晴なり。僕は会社の同僚たちと日帰り弾丸ツアーを敢行した。

 花見に、イチゴ狩り、温泉、とありきたりのコースだが、なんと僕が幹事に任命されてしまった。

 同僚のなかで一番早く結婚をし、子供が誕生したばかりだというこの僕がだ。

 貴重な休みをこのような催しに駆り出されたわけは、妬みや嫉妬だと思っていた。

 同じ課の市川いちかわにそれとなく尋ねてみたら、

「お前さ。休み明けに、いつも赤ん坊の写真を見せ回るだろ。うぜえんだよ。一週間ぐらいじゃ変わらねえよ」

 ハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けた。

「おい、一日でもすげー成長してるんだよ。昨日なんか、帰宅したら泣くんだよ。パパお帰りって」

「いやいや。泣いているのに、お帰りはないだろう。赤ん坊だぜ。つか、お前のことパパって認識しているのか」

 市川の言葉に、ハンマー三回ほどの衝撃。

「ついでだから、言うけどさ。お前の親ばかぶりはわかったから、子供ネタやめろ。正直、うざいんだよ」

 エベレストから突き落とされたような激しい衝撃。もう立ち直れない。

「まあ、いい機会だからたまには親睦会の幹事をやれよ。四六時中、パパがべったりしてちゃ、心優みゆうちゃんだって疲れるだろう」

 ちなみに心優は僕の愛娘。目に入れても痛くない存在。

 だいたいこんな成り行きで、幹事になってしまったわけだ。

 じつのところ、市川は秘書課の入山いりやま沙耶さやさんに絶賛片思い中で、いつもヤツが親睦会の幹事をやっているせいで、最近は参加をしなくなったらしい。

 それで、既婚者の僕に白羽の矢を立てたそうだ。

 金では買えない心優との時間を、どうでもいい市川のために費やすのは惜しい。しかし、披露宴の司会を無償でやってもらった借りがあり、渋々承諾をした。

 だからといって、僕がヤツと入山さんのキューピット役は務まりそうもないけれども……。


「あのう、越場こしばさんおひとついかがですか」

 不意に声をかけられ振り向くと、赤いセルロイドのメガネ女子持田もちださんが缶ビールを差し出してきた。

「いや~、悪いけれど遠慮しておくよ。こっちが酔い潰れて、みんなに何かあっても気付かないじゃ悪いからさ」

 すると、そうですよね、と口の中でもごもごと言っている側から、缶ビールがかっさらわれていく。

「いただっき~!」

 市川が上機嫌でプルタブを起こし、ごくごくと飲み干す。

「さすが越場さん!」と、持田さんが目を輝かせる。続けて「誰かさんとは大違い」と、市川のことを睨んだ。

「ですよね。私も越場さんみたいな人と一緒になりたいな~」

 その声の持ち主にはっとした市川が、缶ビールを滑り落とした。ごつんと鈍い音がして、飲み口からはとくとくとビールがあふれ出す。

「そんな~。沙耶ちゃん」

 自分の失態におろおろし出す市川。

 市川、あきらめろ。お前にとって、入山さんは高嶺の花だと、肩のひとつでも叩いてやりたいところだ。

 市川を責めていた持田さんが、突然しゃがみ込み、しょうがないなと愚痴りながらも、こぼれたビールを片付け始めた。

 僕も幹事として、ヤツの友人として、一緒になって片付けを始める。

「もしかして、市川はいつもあんな感じなのか」

「はい、そうです。だから、参加者がどんどん減っているんです」

「なるほどね」と呟いた瞬間、はっとした。もしかして、この持田さんは日帰り懇親会を毎回参加しているのではないだろうか。

「あのさ、持田さんはずっと参加してるの?」

 びっくり顔になったかと思うと、頭から湯気が出るような勢いで真っ赤に染まる。この子顔に出やすいタイプなんだ。

「あ、いいえ。いえ、出ていますけれど。全然気付いていないみたいで……」

 面白いなこの子。こういう子って、からかいがいがあるんだよな。

 でも、僕はもちろんからかったりはしない。案外お調子者の市川としっかり者の持田さんは相性がいいかも、と思う。いや、いいに違いない。

「あいつ、鈍くさいからな。いつも、付き合ってくれてありがとうな」

 にっこりして言うと、持田さんは照れてしまったのか、うつむいてしまった。


 早くも市川はほろ酔い気分だった。花見をしている最中、ずっと入山さんにまとわりつき、歯の浮くようなセリフを次々に並べ立てていた。

 想像は付くとは思うけれど、「君はこの桜よりも美しい」とか、「桜はすぐ散るけれど、君の美しさは永遠だ」とか。下心見え見えのセリフばかりで、見ているこちらが恥ずかしくなるほどだ。

 今時の女性はそんな言葉を並べても、おちるはずがない。市川、お前いくつだよ、とツッコミを入れる間もなく、入山さんに肘鉄を食らっていた。

 イチゴ狩りも大変だった。市川は何が何でも、入山さんと組むと言い張ったが、僕は持田さんを激プッシュし、最後は幹事の権限を使い組ませてあげた。

 で、その僕は市川の思い人入山さんと組んだ。

「越場さんって、お嬢さんを大切になさっていますね」

「どうかな? あいつには、うざいって言われていますけれど」

 苦笑いを浮かべつつ、あいつ市川のほうに向けて、顎でしゃくる。

「うふふ。でも、とってもいいパパだと思いますよ。同期にして理想の旦那さん」

「だったら、いいんですけど」

 急に心優が恋しくなった。せめて今摘み取っているこのイチゴを食べさせてあげたい。けれども、まだ歯が生えそろっておらず、主食はもっぱらミルクだ。

「ああ、私の彼もいい旦那になってくれるといいな~」

 ハウスのてっぺんを見上げ、入山さんがもらした。驚いた僕はパックを落としそうなる。

「えっ? もしかして、結婚するの?」

「はい。六月に……」

 照れくさそうに答える入山さんは、いつになく幸せそうに見える。

「じゃあ、ジューン・ブライトだね。お幸せに」

「ありがとうございます」

 市川の失恋が確定した瞬間だった。


 昼食を済ませると、隣接する温泉施設へ行き、露天風呂を満喫する。

「ああ~、なんで混浴じゃないのさ」

 恨めしげに市川が僕のことを見る。僕だってこんな猿みたいな男と、一緒に風呂に入るなんて嫌だ。できれば家族水入らずで、特に心優と一緒に入りたい。

 まあ、心優のお風呂は僕の担当だけれども……。

「しょうがないだろ。それに混浴だと、女性陣が嫌がるぜ」

「まあ、それもそうだな」

 僕たちのほかにも、温泉に浸かっている人はいる。初老の男性と三歳ぐらいの男の子や、アジア系の小太りのおじさん三人組。金髪の青い目をした男性などはスマホでパシャリって……。いいのか、あれ?

「隙あり!」

 僕の顔面めがけて、お湯がぴゅっと飛んできた。

「やったね! 命中!」

「んにゃろ! やりやがったな!」

 僕も負けじと市川の顔めがけて、お湯を飛ばすはずだった。

「下手くそ!」

 びゅんびゅんと、僕の顔めがけて飛ばしてくる。水鉄砲の連打だ。負けじと何度もチャレンジをしたが、勢いがなかったり、違う方向へ飛んでいったりと散々だった。

「くそ~。なんで飛ばないんだよ」

「へへへっ! 勝ったな」

 優越感に浸りながら飛ばすのを止めて、市川は僕の側に戻ってきた。

「お前、イチゴ園で沙耶ちゃんと何を話していた?」

 また突拍子もない質問をしてくるな、と驚きながらも、しっかりと伝えるべきか悩む。でも、きっと近いうちにコイツの耳に入るだろう。言ってしまえ。

「六月に結婚するんだってさ」

「そうか。やっぱりな」

 先ほどまでの元気は消えてなくなり、しゅんとして肩を落とす。

「やっぱりなって。知っていたのか、お前」

「なんとなく。俺沙耶ちゃんに避けられていたし、親睦会に誘っても断られていたし。彼氏いそうな気がしていた」

 鼻をずずっと吸いながら話している市川は、完全に意気消沈をしてしまった。

 いつもへらへらして明るい市川の意外な一面を、垣間見たような気がした。 こういうナイーヴな市川を、持田さんは知っているのかもしれない。


「なあ、市川。もしこの世で、お前に好意を寄せている子がいたらどうする?」

 落ち込んでいる市川の背中に声をかけると、くるっと振り向いた。

「そんな女の子いるの? 誰、俺の知っている子? あ、心優ちゃん?」

「は? なんで僕のかわいい心優が出てくる? お前みたいなヤツにはやらん! たとえ心優が好きだと言っても、くれてやるもんか!」

 自分でもわかっている。あきれてしまうほど、親ばか全開だ。

「しえええ! ものすごい剣幕!」

 入山さんの結婚を聞いたばかりなのに、このおちゃらけ具合は何なのだ。

 こういうヤツに絶対うちの心優をくれてやるもんか、と改めて誓う。

「茶化すな! それより、どうしても入山さんみたいなのが、タイプなのか」

 市川に問い質すと少し口ごもり、「いや別に」と否定をした。

「顔がおかめみたいで、目が悪く、体つきがぽっちゃりしている女の子とかは?」

「おい、その言い方は失礼だろ。顔はふくやかだけど、肌のきめは細かいぞ。メガネはチャームポイント。一見ぽっちゃりして見えるけれど、胸がでかい。結構、いい女だぞ」

 必死にかばう市川の姿を見て、脈ありなことを確信する。持田さん、こいつちゃんと評価をしてくれているぞ。

「ほうほう。それはよかったね。市川の身近にそんないい女いるのかね?」

 僕は手を額に当てて、きょろきょろする。

「いるよ! 持田さん! あいつメガネを取ると、美人に変身するぞ」

 黙ったまま、にやつきながら、ぴちゃぴちゃと水音が響かせ、市川の腕を叩く。

「市川、ちゃんと持田さんと向き合え。そして、幸せになれ!」

 すると、市川はきょとんとした表情になり、静かになってしまった。


「ただいま!」

 日帰り弾丸ツアーを終え、帰宅をすると妻の恵理えりが出迎えてくれた。はっきり言って、恵理は入山さんみたいに美人でもなく、持田さんよりも太っている。本人曰く産後太りというやつらしい。

「おかえり! お土産は?」

「いきなり、土産の請求かよ。少しは亭主を労ってくれよ」

 ぶつぶつ文句を垂れながら、しっかりイチゴ園で購入したパックを差し出してやった。

 すると目を輝かせて、「わあ~。イチゴだ。ありがとう」と感動をしているようだった。

 今日は普段僕が出勤している変わりなく、心優と二人きりだったから大変だったろう。お土産はできなかった家族サービスみたいなものだ。

「まあ、しっかり食べて、心優のためにいっぱい母乳をあげてくれよ」

 僕の本心はこっち。母乳と粉ミルク半々の割合であげているが、もしおっぱいが出なくなったら、既製品に頼らざるえない。下手をしたら乳製品アレルギーを発症してしまう恐れがある。

 高校のときのクラスメイトが、アトピーが酷いときは痒くて眠れないと、辛そうに話していた。

「イチゴぐらいじゃ、そんなに出ないわよ。それより、ご飯食べる?」

「いや、お風呂に入る」

 淡々として答えると、恵理が目をまんまるにする。

「ちょっと、お風呂ってなによ。だって、温泉に入ったんでしょ?」

「いざこざで温泉どころじゃなかった」

 親睦会とは言えども、市川に振り回されっぱなしだった。ヤツのせいで心身ともに、へとへとだ。

「とっくに残り湯を、洗濯機に入れちゃったわよ。また沸かし直すの?」

 憤然としている恵理に僕は頭を下げる。

「愛する恵理さん、ごめんなさい。お願いします!」


 そして、十分後。僕はざぶっと湯船に浸かった。

 じつは市川のヤツは、持田さんの気持ちをちゃんとわかっていたらしい。もちろん親睦会毎回参加も、把握をしていた。

 律儀に持田さんはバレンタインデーにチョコを贈っていたし、残業のときなどこっそりサンドイッチやお菓子などを差し入れていたらしい。

 親睦会もメンバーが集まらなくて二人だけで、おこなったこともあったそうだ。

 冗談っぽく、「デートしてるみたい」と言ったら、持田さんがものすごく照れて無口になってしまったそうだ。

 僕は話を聞いてなんだと思った。けれども、露天風呂のなかで市川の半のろけ話を聞いていたせいで、僕はのぼせそうになり大変だった。

 解散したあと、市川は持田さんを家まで送っていったから、明日辺りにはどうなったかわかるのではないだろうか。

 明日は僕の心優自慢は封印され、市川の惚気話を聞く羽目になりそうだ。

「はあ~」

 僕は狭い湯船で、肢体を伸ばす。

「極楽極楽」

 この世で一番の極楽は、自分んちのお風呂とおトイレだけ。

 ふと温泉で水鉄砲ができなかったことを思い出し、手を合わせてチャレンジしてみた。

 しかし、五センチ飛べばいいほうで、僕はヤツに叶わないことを思い知る。

 あいつこの特技を持田さんに自慢するのかな、とどうでもいいことを考えてしまった。


(了)

【簡単に一言】

一番安らぐところは、我が家のお風呂とおトイレいう結論です。

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