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ドラゴンスレイヤー

「頼んでおいて何だが、爆弾とか短時間でよく用意できたな」


 呆れと感心が半々に混ざり合った声で竜貴が言った。


「機密保持の為、研究室に自爆装置を用意しておくのは研究者の嗜み」

「それが事実なら研究者って人種はテロリストより物騒だな……」


 心なしか胸を張って答えたイリヤに、竜貴が嫌そうな顔で突っ込んだ。

 皮肉られても気を悪くした風もなく、イリヤは平然としている。

 ちなみに今のイリヤは白と青を基調とした長袖のワンピースを着込み、その上に新しい白衣を羽織っている。

 イリヤが着替えを忘れなかった事に竜貴は密かにホッとしていた。


(備えあれば憂いなしとは言うけど、爆破とかどう考えてもやりすぎだろ……。あれか、イリヤは頭にMが付く研究者なのか)


 内心でイリヤの評価に《危険人物》のレッテルを貼る竜貴。

 なお「頭にMが付く」の《M》は、マゾではなくマッドの意味である。


「ともかく、これ(・・)ありがとな。イリヤの協力は無駄にしない」

「ん」


 竜貴は礼を言い、イリヤの頭にポンと手を載せた。

 色々あって耐性が付いたのか、イリヤは特に動じる事もなく小さく頷いた。


 竜貴の言った《これ》とは、イリヤが用意した爆弾を指している。

 それは黒い箱型の爆弾で、中身にはヘキサニトロヘキサアザイソウルチタン(略称:HNIW)という舌を噛みそうな長い名称の爆薬が詰まっている。

 この爆薬の威力は折り紙付きで、破壊力の指標となるRE係数は2.04。爆薬の代表格であるトリニトロトルエン(TNT)の二倍以上の威力を誇る。

 五百ミリリットル缶を一回り大きくしたサイズのそれを、竜貴は左右の脇腹に一つずつガムテープで固定装着していた。

 なおスイッチを押せば五秒後に起爆するよう設定されている。


(まさか腹マイト特攻かます日が来るとは……人生何があるか分からないもんだ)


 自分の装備とこれからの行動に思いを馳せた竜貴は、胸中で自嘲気味に呟いた。


 ちなみにもう一方のドラゴン殺害手段である毒殺は断念していた。

 理由は単純で、イリヤの手持ちに適当な毒がなかったからだ。

 研究用薬品として若干の備えはあったが、特別毒性の強いものではないし、何より量がなかった。

 その程度では人間相手ならともかく、巨体のドラゴンには通用しないとイリヤが判断したためだ。


「じゃあ、行ってくる。後は頼んだぞ、イリヤ」

「あぅ」


 竜貴は努めて平静を装い、イリヤの頭をぐしぐしとやや乱暴に撫でた。

 頭を揺さぶられ、思わず目を瞑ったイリヤの口から小さな呻き声が漏れた。


 竜貴は自分の中で未練が大きくなり始めていた事に気付いていた。

 それは生への執着。

 死への恐怖はさしてない。だが、生きていたい、と思ってしまうのだ。

 竜貴は健全な精神の持ち主である。

 イリヤと言葉を交わすうちに、竜貴は急速に心の均衡を取り戻し始めていた。

 それによって決意が鈍る事態を竜貴は恐れた。

 もとより悠長に会話している場合ではない。

 名残惜しさを振り切って行動に移す。

 イリヤの頭から手を離し、竜貴は踵を返して走り出した。


「あ……」


 イリヤの右手が遠ざかる竜貴の背中へと伸ばされるも、届く事はなく。


 くしゃり、とイリヤの表情が悲痛に歪む。

 ぽたり、ぽたり……。微かな音を立ててリノリウムの床に水滴が弾ける。

 イリヤの琥珀色の瞳から溢れ出た涙が頬をつたい、頤からしたたり落ちていた。

 力なく落とした肩が小刻みに震えている。

 後悔。恐怖。喪失感。罪悪感。

 ずっと抑えていた感情に、イリヤは押し潰されそうになっていた。


(りゅーき、どうして私を……)


 胸中で呟いた台詞の後半は形にならなかった。

 余りにも自分勝手な願いだと解っていたから。

 それでも許されるならば。


(私を、責めて欲しかった。貴乃が死んだのはお前のせいだと糾弾して欲しかった……)


 ――そうすれば、楽になれたのに。

 私の事など放っておけば良かったのだ。普通の人ならそうする。竜貴も貴乃も度し難いお人好し。私がどうなったところで全ては自業自得なのだから。

 勝手に救けて、死んで。私がどんな気持ちかなんて、竜貴は考えてくれない。

 いや、考えた上で何も言わないのかもしれない。竜貴は優しいから。

 でもそれは……とても、とても残酷な仕打ち。

 私はどう言って謝ればいい? どうやって償えばいい?

 誰か教えて。私を助けて。お願い、一人にしないで。竜貴、貴乃……。


 ぺたり、とイリヤは床にお尻と両手をついてへたりこむ。

 途切れる気配のない涙を拭うこともせず。

 くしゃくしゃの表情で俯いたまま、決壊寸前だった感情の制御を手放した。


「うぅぅ……ああああぁぁぁぁぁぁあああ!!!!」


 竜貴の体温を失った寒々しい廊下で一人、イリヤは身も世もなく泣き叫んだ。







 廊下終点の自動ドアを抜け、研究室棟から飛び出した竜貴は周囲を見渡す。

 そこらのビルより高く屹立するドラゴンの巨体は労せず見つかった。

 ドラゴンは先ほど竜貴たちを襲った場所からさほど動いてはいない。

 竜貴から百メートルほどの距離はあったが、何分巨大すぎて主観ではごく至近に感じる。

 とはいえ竜貴にとってドラゴンは既に恐怖を喚起する存在ではなく、別の事態が彼の意識を捉えた。


(学園が……!)


 僅かな時間で周囲の景観は一変していた。

 一言で表すなら、まさに瓦礫の山。

 視点の低い竜貴からは都市艦上の全容は見渡せないが、上空から俯瞰する者がいれば学園区のみならず居住区の崩壊ぶりにも顔を顰めただろう。

 何度ブレスを放ったのか、直線的に抉られたような被害の爪痕が四方に刻まれており、被造物の悉くが灰燼と化している。

 陸自が巧みにブレスの射線を誘導しているおかげであるが、目立つ建物である艦行政庁舎が未だ健在なのは僥倖とすら言えた。


 竜貴は屋内にいて戦闘状況は把握していなかったが、ブレスによって既に五台もの戦車が失われ、二百名近い死傷・重傷者の被害が発生していた。

 もし陸自(の戦車)が機動ゲリラ戦を展開しなければ建物の被害は今より少なかったかもしれないが、代わりに戦車部隊は全滅していただろう。そして戦車部隊を喪失すれば、ドラゴンに対抗できなくなる。

 それがわかっている帆群艦長は、建物より戦車の被害を抑える戦術を徹底させていた。


 交戦開始頃の勢いはないが、今なお散発的にドラゴンへと砲撃が続いている。

 痛みに慣れてきたドラゴンには精神的余裕が生まれていたが、一方でちょこまかと隠れ動く標的(戦車)に苛立ちを募らせていた。

 ドラゴンにとってブレス攻撃は魔力と体力をそれなりに消費する行為だ。

 数発放った程度でガス欠になったりはしないが、無尽蔵に撃てるわけでもない。

 無駄撃ちを避けるため狙いは慎重となり、ドラゴンのブレス攻撃もまた当初に較べ頻度が減じていた。


(くそっ、好き放題暴れてくれやがって……待ってろ、すぐに殺してやる)


 竜貴は胸中で毒づくと、躊躇いなくドラゴンへと向かって走り出した。

 目撃する者がいれば自殺行為に映っただろう。

 それは己を生贄に差し出すが如く暴挙。だがその行いに息を飲む者も、咎める者もその場に居はしない。

 竜貴の思惑を鑑みれば、自殺行為との評価は半分的を得ている。これから実行しようとしているのは、命をチップにしたギャンブルなのだから。

 気休めにも分が良いとは言えない賭けだが、竜貴にはそれなりの勝算があった。


 竜貴は微塵も恐れる事なく、瓦礫を避けながらドラゴンへと接近する。

 その巨体を指呼の間に捉えた竜貴は右腕を大きく振りかぶった。そして走り寄った勢いも利用し、右手に掴んでいたモノをドラゴンに向け全力で投擲する。

 投げられたソレは回転しながらキラキラと陽光を乱反射して飛んでゆく。

 狙い過たずドラゴンの背中半ばに命中したソレはガシャンと硬質な音を立てて砕け、黄金色の液体を撒き散らして漆黒の鱗を濡らした。


(よし!)


 ひとまず第一段階クリアだと、竜貴は内心で快哉を上げた。

 あとはドラゴンが想定した反応を見せるかどうかだ……と期待と不安に動悸を早めながら、竜貴はズボンのポケットから携帯端末を取り出した。

 それはイリヤの携帯端末であり、お手製起爆用アプリがプログラムされている。

 既にアプリは起動済みであり、後はパスワードを入力後、起爆を確定させるだけである。

 竜貴はさして緊張もなく、メールを打つかのような気軽さでパスワードの入力を終えた。

 携帯端末の画面には《起爆しますか? YES/NO》と最終確認ダイアログが表示されており、《YES》を選べば五秒後にドカン、である。

 それは即ち己の自爆死をも意味する生涯一度限りのチャンス。

 絶対に無駄には出来ないと、事ここに至って初めて竜貴の顔に緊張が浮かんだ。


(頼む、上手く行ってくれ!)


 竜貴の願いが天に通じたのか、「グルル……?」と喉で唸り声を上げてドラゴンが背後へと振り返る。

 ドラゴンが注意を引かれたのは、竜貴がぶつけたモノによる衝撃やダメージが原因ではない。ドラゴンの優れた五感が刺激された為だ。

 より正確に言えば、ドラゴンの嗅覚がある異臭を捉えた事による。

 ツンと匂う異臭の正体はアンモニア臭。

 それはドラゴンも良く知る臭いであり、発生源が何であるかもまた知っている。

 己の背中から、それが臭ってくるということは――。

 振り返った視界の中にふてぶてしく佇む人間がいた事で、ドラゴンは事の成り行きをほぼ正確に把握した。


 ――人間(地虫)如きが我に排泄物をかけただと……!?


 ただでさえ戦闘で殺気立っていたドラゴンの怒りは一瞬でピークに達した。

 不届きな虫ケラに天罰を下そうと大きく口を開け、ブレスの矛先を竜貴へと向ける。


 ドラゴンはこれまで、都市艦が沈まぬよう船底部への攻撃は避けてきた。

 それは慈悲や善意などではなく、抵抗を削いだ後、人間を食らう為に餌場を維持していたに過ぎない。

 しかし竜貴の不遜な行いによって怒()天を突いたドラゴンは、それまでの配慮をあっさり投げ捨てた。

 斜め下方へ角度を向けたブレス攻撃。

 これが放たれれば竜貴は無論の事、都市艦を貫通して海中へ届く。そうなってしまえば都市艦は遠からず沈没するだろう。


(まずい、薬が効きすぎたか……!?)


 ドラゴンの意図を悟り、サッと顔が青褪める竜貴。

 最悪の可能性を引き当ててしまったと、竜貴の胸中が悔恨と絶望に彩られる。


 ドラゴンを挑発し、注意を引くには悪くないアイデアのはずだった。

 竜貴がドラゴンにぶつけたのは、イリヤに用意してもらった三角フラスコに自分の尿を詰め、コルクで栓をした物だ。

 それは小便をかけられれば怒るだろう程度の短絡的発想によるものではない。

 ドラゴンに襲われた際、最初に目を付けられたのが失禁したイリヤだった事実から、嗅覚に強く反応するのでは? という分析によって立てた方策だ。

 実際、効果はあった。

 ただ誤算があったとすれば、人間が蛙に小便をかけられて苛立つように、ドラゴンもまた同様の感受性と知性を備えていた事だった。


 黒い放電のような余波を撒き散らしながら、ドラゴンの口腔に収束されてゆくブレスの力場。

 その光景を眺めながら、竜貴は込み上げる無念を抱いて立ち尽くしていた。


(俺は何も果たせず――貴乃の復讐どころか無為に他人を巻き込んで――死ぬのか?)


 乾坤一擲の賭けに破れ、死地にあった竜貴を一発の砲弾が救う。

 ドンッ、と鈍い破裂音がしてドラゴン頭部の左半面が爆ぜた。


「グルゥァァァァッ!?」


 突然の激痛によってドラゴンは悲鳴を上げ、顔を上空へと向ける。

 そのタイミングで制御を失ったブレスが暴発。漆黒の奔流が雲を貫いて天空へと駆け上って行った。


(――なッ!?)


 まさに九死に一生を得た竜貴の顔に驚愕が浮かぶ。

 助かった、という気持ちからではない。ドラゴンの左目が潰れ、紅色の血涙がどくどくと溢れている光景に動揺したからだ。

 無敵を思わせたドラゴンが負った初めての重傷。

 如何に規格外なドラゴン(存在)といえど、生物の常識的弱点は持ち合わせており、今の一撃はまさしく致命的打撃(クリティカルヒット)であった。


(やはりコイツも生き物だ。傷も付かない不死身の怪物ってわけじゃない。これならきっと――殺せる!)


 ドラゴンが負傷したという事実。それは竜貴に希望を与えた。

 精神が賦活したことで、肉体にもまた活力が漲る。


(見守っていてくれ、貴乃! 必ずお前の仇を討って、あのクソトカゲに落とし前つけさせてやる!)


 誓いを新たにした竜貴の脳裏に、閃くものがあった。

 貴乃が与えてくれた天啓であると勇躍した竜貴はすぐさまそれを実行に移す。


「こっち! こっちだ!」


 かつての貴乃の行動を真似、大げさに右手を振りながらドラゴンから走り去る竜貴。

 激痛に苛まれ、理性を失ったドラゴンの右目がその姿を捉える。

 判断力の欠けたドラゴンにとって、竜貴の仕草は己を嘲弄するが如き行為に映った。そして、左目の苦痛を齎したのもこの人間の仕業だ、と誤認する。


 ――この……この……地虫ずれがぁぁぁぁぁああああ!!


 悠久の生においてかつてないほどの瞋恚に燃え、激発したドラゴンは最も本能に基づいた行動に出る。

 憎悪を晴らすため、敵の血肉を貪りたいというプリミティブな復讐衝動の発露。

 即ち、噛み付きである。


(かかった!)


 胸中で会心の雄叫びを上げ、竜貴は握っていた携帯端末の画面に指を触れる。

 念の為にと持ち上げて一瞥した画面には《起爆命令が受諾されました》と表示されていた。

 ズゥン、とドラゴンが一歩を踏み出した音と地揺れに怨敵の息吹を感じつつ、竜貴は足を止め、体ごと振り返る。

 もはや逃れ得ぬほどの眼前に、ドラゴンの巨大な顎が迫っていた。


(今そっちに行くよ、貴乃――)


 竜貴は手を広げ、莞爾とした笑みを浮かべた。


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