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届かぬ手


 目の前に山が落ちてきた。

 そう表現するに相応しい衝撃と振動が大地ならぬ都市艦上を襲う。

 地面の揺れでバランスを崩したところを、巨体の着地で生じた瞬間的な風圧によって後方へと吹き飛ばされる竜貴たち三人。


「ぐ……」


 竜貴は転倒の痛みに呻き、一体何が起きたと混乱する頭を片手で抑えながら立ち上がる。

 やや朦朧とする意識に活を入れて状況把握に努める竜貴の視線が、眼前に聳える黒い壁を捉えた。

 竜貴は一瞬、それが何なのか解らなかった。かろうじて頭に浮かんだのは、建物の外壁にしてはグロテスクだな、という感想。

 実際、目の前のそれはコンクリートの壁というより、生物的な質感を備えた円柱といった感じで、より正確に言えば黒い鱗に覆われた人の足のようである。

 人間の足と違うところは、鱗の存在もそうだが、ドラム缶のような太さの足指が三本しかないのと、指先が猛禽の爪の如く曲線に尖って鋭い点だ。

 そこまで理解が及んだ後、急速に頭の中で推測のパズルが組み上がってゆく。

 竜貴は背中に冷たい汗をかきながら、ごくりと唾を飲み込んだ。

 遠近感がおかしい存在の全貌を捉えようと、恐る恐る視線を上に巡らす。


「つっ……!」


 竜貴の口から微かな悲鳴が漏れた。

 父親譲りの豪胆さを持ち合わせた竜貴が恐怖で縮み上がるほど、異様と暴威を纏った魁偉。

 都市艦上でも有数の高さで屹立するそれは、つい先ほどまで艦上空でドッグファイトを展開していた黒いドラゴンだった。


(さ、最悪だ……)


 絶望的な気分に陥った竜貴は胸中で呟いた。

 飛行するドラゴンの姿を目の当たりにしたとき、自分たちがその標的にされる可能性をちらりとでも考えなかったわけではない。

 いざそれが現実になってみれば頭は真っ白、どうすればいいかなんて打開策は露ほどにも思い浮かばなかった。


「ひぅ……」


 気の抜けたような声が竜貴の斜め後方で生じた。

 竜貴がハッとして振り返った視線の先では、尻餅をついて後ろ手に体を支える格好でイリヤが上空を見上げている。

 イリヤの目は限界まで見開かれていて、竜貴と同様恐怖で身動きが取れない様子だ。それどころか失禁してしまい、地に着いたイリヤのお尻の辺りに黒い染みが広がってゆく。


 アンモニアの刺激臭が竜貴の鼻まで届いたとき、「グルル……」という唸り声がドラゴンの口から発せられた。

 それは異装の人間たちを観察していたドラゴンが獲物の物色を終え、行動に移そうとする前触れであった。

 唸り声に滲む殺意を直感的に察した竜貴が振り仰げば、ドラゴンの視線がイリヤに注がれている。最初の標的はお前(イリヤ)だと、獰猛な眼差しが雄弁に語っていた。

 ドラゴンの眼光に射竦められたイリヤはやはり身動きできず、ガタガタと恐怖に震え始める。


(まずい、あいつ(イリヤ)を助けなくては――)


 自力で動けないなら抱えて逃げるしかない、と竜貴が決意しかけたとき。


「こっち! こっちよ!」


 竜貴を挟んでイリヤと反対側の後方から声が上がり、軽い足音が遠ざかってゆく。

 竜貴が振り返ってみれば、頭上で右手を大きく振りながら、あさっての方向へと走り出している貴乃の姿があった。


「なっ、貴乃!?」


 竜貴は貴乃の行動に一瞬驚くも、その意図をすぐに察した。

 ドラゴンの注意を引き付け、囮になろうという考えだろう。

 悪くない作戦だ、と竜貴は判断したが、同時に(今度は貴乃がヤバイ……!)と強い焦燥感に襲われる。


(クソッ、何で俺は貴乃の事を失念していたんだ! 囮なら俺がやるべきだった!)


 竜貴は激しい後悔に苛まれるも、賽は振られてしまった後だった。

 挑発するような態度で逃げ去ろうとする獲物の小癪な振る舞いに、ドラゴンは容易く激昂した。

 即座に地を蹴り、翼を羽ばたかせる。

 それは飛翔というより、跳躍と言うべき行動だ。

 ほんの数秒の滞空を経て貴乃の頭上を飛び越し、進路を遮るように着地する。

 ドズン、と艦上に二度目の地響きが走る。

 一度目と同様、風圧に吹き飛ばされる貴乃。

 直後、不自然な強風が発生して貴乃の体を高みへと舞い上げた。

 その先で待ち受けていたのは――。


「ぁ――――」


 引き伸ばされる一瞬。

 息を飲んだ竜貴の視界には、宙に舞った貴乃を食らわんとするドラゴンの縦に裂けた(あぎと)が映っている。

 求めるように伸ばされた右腕の先から貴乃まで、絶望的に遠かった。




『おじいちゃんおばあちゃんになっても、ずっと一緒だよ……りゅーくん』




 高校卒業式の日。

 告白を受け容れてくれた貴乃の泣き笑いの顔が脳裏をよぎる。

 しかし追憶の猶予はあっけなく過ぎ去り――。




「貴乃ぉぉぉおおおおおおおおおお!!!!」




 ガチン、とドラゴンの両顎が閉じられる。

 竜貴にとってそれは未来を閉ざす扉の音に聞こえた。


 獲物の末路を見せ付けるかのように、ドラゴンは内顎でごりごりと二度三度咀嚼した挙句、ゴクリと嚥下する。


「あ……あああああああああ……」


 足の力が抜け、ぺたんと座り込む竜貴。

 瞳からは光が失せ、ただ涙だけが滂沱と溢れ出るのみ。


(なぜ。どうして。嘘だ。あいつが……貴乃が死ぬなんてありえない。あっちゃならない。そうだ、これは性質の悪い夢だ。目を覚ませば隣に貴乃の寝ぼけ顔があるはずだ。そうだ、そうに違いない……)


 あまりの出来事に精神が受け容れる事を拒否し、竜貴は虚ろな表情でブツブツ呟きながら、現実逃避に耽る。


 残された獲物の恐怖と諦観を敏感に感じ取ったドラゴンが嫌らしく舌なめずりをする。

 その瞳は食欲と嗜虐を満たす愉悦の光を放っていた。


 ドラゴンにとって今の状況には嬉しい誤算があった。

 ある程度予想していたことではあったが、しつこかった魔法の槍(ミサイル)の襲来がぱったり止んだ事だ。

 艦上に降りた標的に対してミサイル攻撃など行えば、誤爆で都市艦や民間人に被害を与えかねない。

 帆群艦長が全うな判断を下し、ドラゴンへの追撃は差し止められていた。

 流石に己が身を()むが如き真似は控えるか、とドラゴンは納得する。

 だがそれは我の狩りが快適になるだけだ、とドラゴンは内心でせせら笑った。

 それに――とドラゴンは続ける。


 ――今ほど食らった人間は実に美味だ。かつて食した人間共とは比較にならん。


 まさしく味を占めたドラゴンは、動こうとしない至近の獲物(竜貴たち)を食らうべく一歩を踏み出した。


 ドンッ、と鈍い破裂音。


「グォァッ!?」


 ドラゴンの首の付け根あたりが突如爆発し、都市艦と戦闘が始まって以来初めての苦鳴が彼から発せられた。

 ドラゴンの斜め後方から浴びせられた44口径120mm滑空砲の直撃によるものだった。

 苦痛に身を捩るドラゴンの反応を見て、戦車砲を命中させた陸自小隊と第一艦橋の面々から快哉が上がる。

 事実、ドラゴンはダメージを受けていた。人間に例えれば針でチクリと刺された程度の微々たるものだったが。

 だとしても、ドラゴンの無敵の防御力を貫通したことに違いはない。


 ちなみにミサイル攻撃と戦車砲による結果の差異は、優劣の差ではなく、仕様と状況の違いによるものだ。

 ミサイルは近接信管爆発なので戦車砲弾(徹甲弾)ほどの一点貫通力がない事に加え、飛翔中のドラゴンは風精霊による防御障壁を纏っていた。

 艦上に降りてからは風の防御障壁を解除しており、それは人間という矮小な獲物を狩る際に邪魔になるからである。


 ドンッ、ドンッ、と立て続けにドラゴンの体に爆発が生じる。

 先ほどと同様、都市艦の四隅に配置された戦車の砲撃によるものだ。

 ドラゴンは巨体が仇となり、都市部の只中にあっても上半身なら射線の確保が容易であった。

 射程に関しても問題はなく、ドラゴンから最も離れた戦車であっても精々七百メートル程度。地上では鈍重なドラゴンの機動力を鑑みれば、命中率はほぼ百パーセントである。


 数百年ぶりに痛覚を刺激され、ドラゴンの怒りは頂点に達している。

 しかし同時に身の危険も感じていた。


 ――やはりこの船は異常だ。どのような恐るべき爪牙を隠し持ってるか知れぬ。


 美味たる獲物にかぶりつきたいのはやまやまだが、その前に全力で脅威を排除せねばならない。

 そう判断したドラゴンは長い首を巡らし、周囲をぐるりと一望する。

 己への攻撃がどのようなものか確認するためだ。

 ドラゴンの優れた視力が、音速を超えて飛んでくる砲弾とその発射地点を捉えた。


 ――岩弾を撃つ地竜だと……?


 奇形の地竜が極めて硬い岩弾のようなモノをこちらにぶつけてきている。

 それが戦車に対してドラゴンが抱いた印象だった。


 ――まあ正体なぞどうでもいい。全て滅ぼすまでだ。


 遠距離から囲むように四方に陣取っている地竜モドキ(十式戦車)。そのうち一体に狙いを定めたドラゴンは、竜貴らに背を向けて標的と相対する。

 ひたすらに続く着弾の痛みに耐えながら、ドラゴンは鰐のような顎を大きく開いた。

 それはドラゴンにとって最大最強の一撃を放つ予備動作。

 ドラゴンの口腔から黒い稲妻のようなものが周囲に迸る。ヂヂヂ、ギギギ、と空間の灼ける耳障りな音が、未だ無気力に座り込む竜貴の耳まで届いた。


 縦に裂けた竜顎の先で、ビカッと黒い光の十字架が閃く。

 ドラゴンの首より太い漆黒の奔流が音速を遥かに超えて直進する。空間と被造物を抉り、灰燼に帰さしめながら貫いてゆく。

 ドラゴンの黒いブレス(吐息)は刹那の間で目標へと到達。戦車どころか周囲を広く余波で巻き込んで一切を消し飛ばす。そして更に直進し、都市艦より遠く離れた海面に着弾して海中に大穴を空けた。


「なんて……威力だ……」


 非常識な光景を目撃した陸自や第一艦橋の者たちの口から掠れた声が漏れた。

 彼らの内心はおおよそ共通しており、それは圧倒的な畏怖と、「虎の尾を踏んでしまった」という後悔めいた絶望感で占められていた。

 最強の盾と矛を兼ね備えた無敵の存在(ドラゴン)を前に、誰しもが心折られようとしていた。

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