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天才と何とかは紙一重

 午前の講義が終わり、長い昼休みを満喫しようと大学生たちが構内やキャンパスのあちこちに散ってゆく。

 昼でも忙しい学部学科はあり、竜虎コンビが在籍する医学部はその典型である。

 しかし今日はその限りではなく、時間的余裕のある講義スケジュールであった。

 一方、貴乃は《先進科学実証研究部》(通称《先科部》)という、ごく一部の天才や秀才しか入れないという超エリート学部に所属している。

 これまた多忙な学部ではあるが、講義と実習に忙しい医学部などと違い、個人研究の時間を削ればある程度任意の自由時間を作り出せていた。


 いつもの待ち合わせ場所である、瀟洒な内装の構内カフェテリアに連れ立って到着した竜虎コンビは早速、先に来ているはずの貴乃の姿を探す。

 スマホ型の携帯端末のメールで「カフェの窓際にいるよ~o(^▽^)o」と知らされていたので、発見に手間取る事はなかった。

 窓際に置かれた楕円型テーブルの四人席に座っている恋人の姿を見つけ、竜貴は軽い足取りで歩み寄る。

 貴乃の隣には小柄な少女も相席しており、二人とも研究者らしい白衣姿だ。

 来訪者に気付いた貴乃が少女とのお喋りを中断し、顔を上げた。


「貴乃、待たせたな。イリヤも一週間ぶり」

「あ、りゅーちゃん午前の講義おつかれさま~」

「ん」

「げっ、イリヤ……」


 短い別離期間を経て再会した男女四人が思い思いの挨拶を交わし、男二人は椅子に腰を降ろした。

 竜貴と貴乃、虎騎とイリヤが向かい合う位置関係になっている。

 恋人組は上機嫌だが、天敵を前にした虎騎の表情は硬い。

 失礼な虎騎の態度に特に頓着することもなく、イリヤは眠そうな半眼でパックのトマトジュースをちゅうちゅう吸っていた。

 イリヤの容姿は、控えめに言っても相当な美少女である。

 北欧系の可憐な顔立ちに、雪のように白い肌。十五という年齢にしてはやや未成熟な肢体と、ハーフアップで腰まで長く伸びたアッシュブロンドに輝く髪。

 総じて《妖精のような》と形容して差し支えない容姿だ。

 日頃の不摂生が祟ってか、目の下にうっすらと出来た隈が唯一の瑕疵である。

 とはいえ、生活面を貴乃がサポートしていなければもっと酷い有様になっていただろう。

 貴乃と仲良くなる前は栄養状態が偏っていたせいか、髪はぼさぼさで艶がなく、肌の張りも若さを失っていた。その上身嗜みに頓着しないため入浴や着替えがおざなりとなり、女性らしい清潔感に欠けること夥しかった。

 今の状態に持ち直す以前、イリヤは周囲から美少女だと認識されていなかった。


「貴乃たちはもう注文したか?」

「ううん、まだだよ」


 ラミレート加工されたメニュー表を手に取る竜貴と貴乃をちらりと見やり、イリヤは空になったパックを手元で弄ぶ。


「私はカレーで……いい」

「お前いつもそればっかだな」

「至高と究極を兼ね備えた完璧料理……それがカレー」

「安い完璧もあったもんだ」


 減らず口を叩きながら注文用のタブレット型端末を操作し、特盛りカレーを注文する虎騎。

 彼は女性に対しては気の利く男だった。

 小さな親切に礼を述べるでもなく、イリヤはとろんとした眼差しで首を傾げた。


「とらも……カレー?」

「お前の分だよ!」


 天才少女は天然だった。

 竜虎コンビの場合、虎騎がボケ役に回ることが多いのだが、イリヤ相手は虎騎がツッコミ役に回らざるを得ない。

 虎騎がイリヤを苦手としている理由の一つであった。


「俺はパスタセットでも食うか。イカスミにしよう」

「ひひひ、明日のアレが黒くなるな」

「男相手だと途端にお前は残念になるな」


 迂遠な言い回しで下品な冗談を飛ばした虎騎に、竜貴は心底残念そうな眼差しを向ける。


「私はドリアセットにしようかな」


 異性の幼馴染達のノリにすっかり耐性が出来上がっている貴乃はマイペースに決め、手際良くタブレットを操作して竜貴の分も合わせて注文を済ませた。


「りゅーちゃんの分も頼んだよ」

「お、さんきゅ」


 礼を言いながら、メニュー表とタブレットを所定の位置に戻す竜貴。

 彼氏の所作を眺めながら、貴乃が少し申し訳なさそうに言う。


「明日は朝時間あるから、ちゃんとお弁当作るね」

「あ、ああ。でも、無理しなくていいんだぞ?」

「うん、大丈夫だよ」


 大学生の中でも貴乃はかなり多忙な部類で、帰宅後も学業や研究のデスクワークにかなりの時間を割いている。

 その上、同棲を始めてから帆群家の家事の大半を貴乃が担っており、竜貴は常々恋人の過労を心配していた。

 竜貴も長い間一人暮らし状態だったのでそれなりに家事スキルがあるのだが、家事をしようとすると貴乃にダメ出しをされるのだ。出来不出来の問題ではなく、それは自分の仕事だから任せて欲しい、と。


 貴乃のそうした態度にはもちろん理由がある。

 今二人が住んでいるマンションの一室は帆群家の持ち家(資産)であり、家賃は発生してない。

 また、食費から水道光熱費まで全ての生活経費を竜貴が負担している。

 無論、学生である竜貴本人に経済力があるわけでなく、父親の八雲から与えられている潤沢な生活費のおかげであるが。

 そういった事情から、貴乃には生活上の経済的負担がほとんど発生していない。

 そのことを少なからず負い目に感じてる律儀さもあれば、恋人の世話をしたいというごく健全な動機もあって、貴乃は健気に頑張っているのである。


 しかし、貴乃には低血圧で早起きが苦手という弱点があった。

 単純に就寝時間を早めればある程度解決する問題だったが、夜に恋人の時間を過ごすとなるとそれも難しかった。

 無理をさせたくないとの竜貴の懇願もあって貴乃は妥協し、朝に余裕がない日は弁当を作らない、というルールに落ち着いた。


「相変わらず竜は過保護だなー」


 虎騎がにやにやしながら竜貴を冷やかした。

 軽薄な虎騎の態度だが、一年前では到底ありえなかった。

 貴乃の選択により三角関係に終止符が打たれ、失恋により傷心状態の虎騎はしばらく二人を避けていたのだから。

 仲睦まじい二人の様子を笑うどころか、直視することすら耐え難かった。

 現在、虎騎が二人と屈託なく付き合えているのは、かつて葛藤に悩み、苦しみ、乗り越えたからなのだ。

 虎騎が親友として今もなお共にいてくれる事に、竜貴と貴乃は密かに感謝していた。


「貴乃にはおふくろのようになって欲しくないからな……」


 冷やかしだと解っていたが、竜貴は至極真面目に言った。切実な口調だった。

 竜貴の母、《帆群(ほむら)観鈴(みすず)》は彼が小学生の時分に他界している。

 死因は病死だが、竜貴はそれが過労や心労によるものだと考えていた。

 経済的な事情から両親は共働きで、特に父親の八雲は仕事人間で家庭を顧みない人物だった。その事があって竜貴は世間で尊敬されている父をあまり評価していない。

 父親が不在がちなので、家事や子育ての負担がほぼ全て母親一人に集中した。

 観鈴は元々、あまり身体が丈夫でない女性だった。

 仕事を辞めればまだ何とかなったかもしれないが、観鈴はそうしなかった。

 医師という己の職業に誇りを持っていたからだ。

 医者の不養生、という諺がある。

 その諺を観鈴が思い出したのは、既に病で倒れた後だった。


「りゅーくん……」


 貴乃が気遣わしげな視線を恋人に向ける。

 話を振った虎騎もいささかばつが悪そうな顔をしていた。


「悪い、しんみりさせちまったな。ところで、貴乃たちは何の話をしてたんだ?」


 竜貴は苦笑し、務めて明るい声を出して話題を変えた。

 表情にほっとした雰囲気を漂わせた貴乃が、胸の前でポンと両手を合わせる仕草をして、答える。


「あ、えっとね。イリヤちゃんから研究の話を聞いてたの」

「ほー。それは俺も興味あるな」

「ろくでもない内容の悪寒」


 貴乃の回答に竜貴は興味深げに食いつき、虎騎はうんざりとした顔で悪態をついた。

 大人気ない虎騎の態度だが、イリヤからの仕打ちの実情を見知っている竜貴はそれを責める気になれない。

 トラウマを負った虎騎に内心で同情を寄せながら、竜貴はふと気付いた事を口にする。


「あ、でもそういう話って普通、部外秘(オフリミット)なんじゃないのか?」

「うん、普通はそうだね。でも……」


 竜貴の危惧を認めて頷いた貴乃が、言葉を濁して隣に視線を向ける。

 その先ではイリヤがテーブルに突っ伏しており、会話に我関せずの態度で外の景色を眺めていた。

 だがしっかり耳は傾けていたのか、貴乃にコメントを求められている気配を察して体を起こす。


「……研究者本人が己の裁量で話す場合は、べつ。私はスポンサーの紐付きじゃないから、守秘義務も特にない」

「と、いうわけなのです」


 イリヤが淡々とした口調で答え、貴乃が苦笑しながら同意した。

 通常、先科部に在籍するエリート達は、それぞれ専門分野に則ったテーマを定め、日々の講義とは別に各人で研究を行っている。

 研究の内容も取り組み方も人によって違うが、共通しているのは研究費用を大学が負担しているという点だ。

 「スポンサーの紐付き」というのは、大学から与えられた予算を受け取らない代わりに、特定企業から資金の援助を得て研究する者を指した揶揄である。

 紐付きの場合、潤沢な資金や環境を得られるメリットがある。しかしその反面、スポンサーの意向を伺う必要があったり、一定の成果が求められたり、経過報告義務や守秘義務が付き纏う等のデメリットも相応にある。

 とはいえ、別に紐付きが悪いという話ではない。

 イリヤは特待生であり、紐付きに匹敵するほどの研究資金を大学から支弁されている。

 それは、イリヤの成功・成果が大学の名誉となり、次代の才能を招くためのプロパガンダに使われるからだ。

 ゆえに穿った見方をすれば、イリヤは大学の紐付きと言えた。


「ふーん、なるほどな。もし良ければ俺にも研究の話を聞かせてくれ」


 得心した竜貴は、食事の待ち時間を潰すいい話題だと考え、イリヤに話を強請った。


「……私が現在(・・)研究してるのは遺伝子工学。具体的にはドラゴンとかペガサスとか作りたい」

「……ほ、ほほぅ……。それは夢のあるはな……研究だな」


 イリヤのざっくりとした説明を聞いて、竜貴はやや引き攣った顔で所感を述べた。

 ちなみにイリヤがわざわざ《現在》と前置きしたのは、彼女の専門が遺伝子工学ではないからだ。

 というより彼女には専門分野というものがない。

 《現代における万能の天才(ダ・ヴィンチ)》と渾名されるイリヤは、研究で一定の成果を得ると別の分野に目を向ける。

 たまたま今、興味を抱いて研究に取り組んでいるのが遺伝子工学なのだった。


「オメーは新時代の神にでもなるつもりなのか」


 虎騎が呆れた声で言った。彼がイリヤに向ける表情はひどく胡乱げである。

 男二人の反応を見て、貴乃は無理もないとクスクス笑った。


「ふふ……確かにちょっと、独創的な研究だよね」

「独創的で済むレベルか。むしろ厨二病拗らせたかの如き所業だろ……」


 流石天才、で済ますには問題がありそうな研究だな、と竜貴は思った。

 年配の人が聞けば「お前はのび○か」と突っ込まれそうな研究テーマだった。


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