粛清と和議
宝暦1938年4月14日。
瀕死の重傷を負いながらも、フリードリヒ2世は列車に乗り込んで帝都へと帰還した。医者からはしばらくバビロンに留まって安静にした方が良いと勧められるも、自身の生存を帝国中に示すためには一度帝都へ戻った方が良いと考え、周囲の反対を押し切って帝都へ戻ってきた。
車椅子に乗ってヴァルハラ宮殿に入ろうとした所でフリードリヒ2世を出迎えたのは、ジグマリンゲンとハプスブルクだった。
「よくぞ、御無事で。一時はどうなるかと思いましたが」
そう言ったのはジグマリンゲン。
「ふん。余がテロ如きで死ぬものか。それよりもハプスブルク大公、貴公の働きで反乱は速やかに鎮圧できた。礼を言うぞ」
「勿体無きお言葉に御座います。それで乱の主犯格であるシュタウフェンベルクですが。既に捕えておりますが、お会いになりますか?」
「・・・そうじゃな」
フリードリヒ2世としてはもう会いたくもない人物だったが、彼からは色々と聞きたい事がある。SSの尋問部に送れば話は早いが、その前に1度自分の口で聞いてみたかったのだ。
ここでハプスブルクは、反乱勢力の残党狩りがありますので失礼します、と残してその場を後にした。
フリードリヒ2世とジグマリンゲンは今後の事について色々と話し合いながら玉座の間へと向かう。
一方その頃、帝都から遠く離れたベルリン教皇庁では、帝都にフリードリヒ2世が帝都に帰還したとの報が早くもルートヴィヒ4世の下に届いていた。
それを聞いた教皇は薄ら笑いをした。
「シュタウフェンベルク伯爵、あっけないものだな。もう少し頑張ってくれると思ったが。まあよい」
一人言を呟くルートヴィヒ4世にクザーヌス枢機卿が他に入っている報告を告げる。
「クーデター派の主要メンバーはほぼ逮捕または鎮圧されたようです。我々に保護を求めて来ている者も数名いますが、如何なさいましょう?」
「ふん。言うまでもなかろう」
そう目で合図を飛ばすと、クザーヌスはルートヴィヒ4世の考えを察したのか、分かりました、とだけ告げて次へ移る。
「司教や修道院長の叙任権について、皇帝との妥協案をマインツ大司教の発案として皇帝の下へ送りました」
今回の反乱事件で、皇帝の権力基盤は揺らいでいる。これを安定化させるには教会勢力との密接な連携が必要になってくる。そこを突いてルートヴィヒ4世は教皇と皇帝の妥協案として、1つの案を提示する事にしたのだ。しかも、あまりフリードリヒ2世を刺激しないように選帝侯・聖界諸侯の中でも最年長で中立的な立場にいるマインツ大司教の発案として。
この後、ルートヴィヒ4世の計画通り、フリードリヒ2世は自身の提案を受け入れた。ルートヴィヒ4世は妥協案と言うが中身を見てみると教皇側に有利な内容である事は誰の目にも明らかだった。しかし、フリードリヒ2世にはそれを受け入れる以外に道はなかった。これでフリードリヒ2世が教会勢力に打ち込んだ楔は完全に取り除かれたことになる。
フリードリヒ2世は帝都の収容所に幽閉されているシュタウフェンベルクと対面した。
「貴様には失望したぞ。よもや余を暗殺しようなどと目論んでいたとはな。一体誰の差し金だ?」
「自分の意志です。このヴァルキュリアの未来のために私達は決起したのです」
「ヴァルキュリアの未来、か。ふん!このヴァルキュリアを世界一の大帝国に押し上げ、今の栄華を築いたのは余であるぞ!余に敵対するということは即ち、ヴァルキュリアを破滅させる悪ということだ!」
「違う!悪はあなたです!武力で全てを得ようとするあなたのやり方では、いずれ帝国は崩壊します!」
「ならば、地獄で見ていることだな。そして、貴様の考えが如何に愚かであったかを思い知るがいい」
この後、フリードリヒ2世はシュタウフェンベルクを始めとするクーデター派の大規模な粛清を断行した。
しかし、自身が瀕死の重傷を負ったこともあってか、粛清の苛烈さは常軌を逸していた。粛清の対象はクーデター派の将校や貴族に留まらず、不本意ながらもクーデターの実働部隊にされてしまった帝国予備軍の将校や兵士達、ワルキューレに従う反応を見せた各領地を治める貴族なども共犯を疑われて根こそぎ逮捕された。さらに反皇帝的、反社会的な言論や活動の見られた役者や詩人といった文化人や一般の市民にまで逮捕の手が伸び、20万人を超える人が逮捕された。この内、有罪判決を受けたのは8割強でほとんどが銃殺刑に処された。しかしながら、教皇との対立を恐れてか聖職者は粛清の対象にはならなかった。
虐殺とも言えるような暴挙を行なっていながらも、フリードリヒ2世は民衆の支持を保っていた。それには2つの要因がある。
1つ目はジグマリンゲンの布いた情報操作である。情報を意図的に改竄して公開する一方で、余計な情報を徹底して秘匿することで巧妙に民衆の不信感を和らげたのだ。
2つ目は長い戦争で地方では治安が荒れがちだったのだが、今回の粛清のために各地方にSSが派遣され、盗賊や荒くれ共が全て一掃されたことが治安の回復に一躍買ったことが偶然にも民衆には好評だった。
これだけ大規模な粛清が行なわれると、ヴァルキュリアの支配体制も大きな変化が始まった。
空席となった軍の重要ポストの大半がSS将校の手に渡り、没収した領地も彼等に与えられた。これにより、SSの政治的権限が拡大するようになり、選帝侯にも並ぶ勢力へと成長していった。世間ではこれを、皇帝と選帝侯による合議制的な性格のあったヴァルキュリアの政治システムが、SSの力を背景にした皇帝親政の独裁体制へと転換したと見る者も多い。
フリードリヒ2世は己の勢力基盤を今一度見つめ直し、アジア遠征を延期して足場固めと自身の療養のために帝都に留まることにした。
今回のシュタウフェンベルクの乱は、良くも悪くもヴァルキュリアに大きな転換点を与えるきっかけとなった事件として広く人々に記憶された。




