ブリタニア属州
条約調印後、フリードリヒ2世の名においてグレートブリテン島の占領地域をブリタニア属州とする勅令が出された。初代総督にはラルフ・フォン・ヴァレンシュタインが任命され、ラルフはしばらく総督府が置かれるロンドンに在住する事になった。
宝暦1938年2月22日。
ブリタニア属州総督府が置かれているロンドン帝国都市へ、ブリタニアからの使者としてブリタニア海軍歴戦の名将ネルソン提督を初めとする使節団が到着した。
ロンドンで生まれ育ったネルソンにとって、久しぶりの故郷なのだが今ではその面影は何一つ残っていない。町の大部分は頑丈そうな城壁に囲まれ、属州民となったブリタニア人はその外へと追いやられ、城壁の中にはヴァルキュリア人と20年の兵役期間を務めて退役する事でライヒ市民権を取得した元属州民とその家族が住んでいる。町は完全にヴァルキュリア風の建物に作りかえられており、まるでブリタニアではないかのようだ。城壁の外と中では生活水準の差は、町を一回りしたネルソンにはかなり大きいように感じられた。しかし、少なくとも外だとしても、属州民が居食住に困るという事態は起きてないようで、そこはひとまずネルソンを安堵させた。
ラルフとの会見は、明日にということに決まったため、今日はロンドン見物をしていくといいとネルソンは告げられた。それはまるで、ヴァルキュリアの支配下となったロンドンを自分たちに見せ付けようとしているかのように感じられた。
ネルソンは城外の町を1人歩いていると、幼い頃から友人であるジョン・ウィルソンと再会した。彼はゼーレーヴェより以前はロンドンの銀行員として働いていたものの、ロンドン帝国都市建造に伴って銀行は取り潰しに会い、今はヴァルキュリアが広く募集していた帝国都市建造の現場作業員をしていた。
ネルソンはウィルソンが今住んでいるという仮設住宅へと招待された。
まったく同じ設計の木造住宅が何十件、何百件と並ぶ住宅街を歩くネルソンはロンドンの余りの変わり様に一日中驚いていた。
「この辺りは草原が広がってたのに」
「ヴァルキュリアが来て、あっという間にこの有り様さ。文句を言う間も無いまま町が壊されて、気付けば新しい町が出来上がってて。自分達の町が無くなっていってるってのに、感心すらしちまったよ」
「ジョン・・・」
「それと、こいつを見てくれ」
そう言って、ウィルソンが差し出したのは、ブリタニアで流通しているポンド紙幣だった。
何の変哲も無い、見慣れたお金だが、これがどうしたのだ?とネルソンは問う。
「それ、たぶん偽札だよ」
「え?に、偽札?これがか?」
どこからどう見ても本物にしか見えないが、とネルソンは驚く。すると、ウィルソンはブリタニア国立銀行の監査の目も騙せたぐらいだからな、と答える。
「お前はずっと海の上だったから知らねえだろうが、ゼーレーヴェが始まった前後から、この偽ポンドが世界中に、しかも大量にばら撒かれたのさ。出所はヴァルキュリアだ。偽札の噂が広がるとポンドの信用は一気に落ちて、価値は急落。しかも、本土の半分がヴァルキュリアの属州となったせいで、ブリタニアの経済は大混乱。パン1つ買うのに札束がいるなんて噂も聞いてる。だが、このブリタニア属州ではヴァルキュリアの貨幣が流通しているから、ポンドがどれだけ通貨危機に会っても影響が無いんだ。・・・分かるか?ヴァルキュリアは俺達に迫ってるんだ。ヴァルキュリアの傘下に入った方が良い暮らしが出来るぞ、ってな」
ジョンはもう完全にヴァルキュリアの支配を受け入れている。ネルソンにはそう見えた。
「ちょっと待てよ!このままヴァルキュリアの言いなりで良いのか!俺達のジョンブル魂はどこに行っちまったんだよ!」
「そんな事言ったって、ブリタニアはもうダメだ。いっそヴァルキュリアに従った方が、妥当な道だと思うがな」
ヴァルキュリアはこれまで多くの国や地域を征服してきた。その中で、占領地域の住民の心をヴァルキュリアに向けさせる術をよく心得ているのだな、とネルソンはウィルソンを見ていて実感した。ヴァルキュリアは属州民を力で抑えつけるのではなく、心を砕く事で臣従させようとしているのだ。このままでは、いくらパリ条約で講和が成立しても、いずれブリタニアはヴァルキュリアに呑み込まれてしまう。
翌日、ネルソン率いる使節団はブリタニア総督府政庁へと到着。ここの主であるラルフ・フォン・ヴァレンシュタインに拝謁した。広い宮殿の中で、ラルフとネルソンが対面したのは「鏡の間」だった。
広間の奥には、玉座の如き豪華な椅子に肩肘を付きながら座っているラルフが、眼前にまっすぐ布かれた赤絨毯の上を歩いて近付いて来るネルソンを見下ろしている。ラルフは黒色の軍服に金で豪華に装飾されたマント。胸には飾緒や多くの勲章が括り付けられ、肩章、懸章などを身に付けている。
赤絨毯の両端には、ブリタニア総督府に務める文官、ヴァレンシュタイン騎士団の武官がそれぞれ列を作っている。
「こちらにおわすお方は、イタリア属州総督、ペルシア属州総督、インドシナ属州総督、ブリタニア属州総督、帝国元帥、選帝侯であらせられるラルフ・フォン・ヴァレンシュタイン公爵閣下である!!」
文官の1人が主君の名を高らかに呼んだ。
赤絨毯の両端にいる文官・武官一同は、身体をラルフの方に向け、ヴァルキュリア式敬礼をしながら「ヴァルキュリア万歳!」と叫ぶ。
ネルソンは王のような風格を見せ、祖国を我が物顔で作り変えようとしているラルフを睨みつける。
この男がヴァルキュリアの双璧、ヴァレンシュタイン公か。
「久方ぶりの故郷はどうであった?と言っても、面影は無いだろうがな」
不思議と悪意は感じなかったが、嫌みたらしい台詞だなと内心で思うネルソン。
「故郷の変わり様にはただただ驚くばかりで御座いました、閣下」
ラルフはそうか、と言うと、椅子から立ち上がる。
「貴公と会えたのも何かの縁だ。単刀直入に言わせてもらう。私に仕えよ。働き次第では、貴公にこのブリタニア属州はくれてやる」
あまり突然過ぎるラルフの発言に一同は騒然となる。
「な、何を仰せられます閣下!」
「ブリタニア人に属州を任せるなど、陛下が認められません!」
などの声があちこちから上がる。しかし、それもラルフの静まれ!の一言で一瞬で鎮静化する。
「貴公は中将ということだが、私は貴公を上級大将の地位をもって迎えよう」
ネルソンはラルフの意図が読めず困惑している。
「・・・」
一体何を考えているのだ、この男は。一体何が目的だ?
「ヴァルキュリアには既に多くの優秀な指揮官と兵士が揃っていましょう。何故、今更私如きを?」
ラルフは眉を吊り上げて表情をやや険しくしながら答える。
「日本を倒すためだ」
ラルフの瞳は闘志に燃えている。ロンメルなどヴァレンシュタイン騎士団の幹部は初めて見せる主君の一面に目を見開いて驚いた表情を浮かべる。それだけラルフの日本、いや知恵伊豆への対抗心は強いのだろう、と一同は感じた。
「さあ、答えを聞こうか、ネルソン提督よ」
ラルフは全てを吸い込んでしまいそうな漆黒の瞳をネルソンに向けて返事を迫る。
「1つ言っておくが、私はいずれブリタニアを潰すぞ。いくらブリタニア人が足掻こうとも、その全てを排してな。私に仕えてヴァルキュリアの支配下の中でブリタニアを生かすか、それとも何もできないまま祖国が跡形も無く消えていくのを見るか。選べ!」
ネルソンはどう返事をしたら良いものか悩み、使節団のメンバーはネルソンがどう返すのかを不安に思いながら見守る。
「・・・1つ、質問をさせて頂けますか?」
「何だ?」
「閣下は日本を倒すために、私に仕えよと言われますが、何故に日本にそこまで拘るのですか?ヴァルキュリアの国力をもってすれば力押しでも十分に勝てると思いますが」
「それでは意味がないのだ。あの知恵伊豆を完膚なきまでに叩き潰さねば、私は本当の意味であの者に勝ったことにならない!私は日本の征服になど興味はない。私はただ知恵伊豆に勝ちたいのだ!」
鏡の間をラルフの凄まじい情熱が包んだかのような感じを一同は感じ取った。これはやはり若さ故の熱意なのだろう。出自も容姿も才能も、全てにおいて優れているはずのラルフが、これ程の拘りを見せる事にネルソンは驚く。いや全てにおいて優れているからこそ自分が負けるという事が認められないのだろうか。
次第にネルソンは、この天才児が今後どうなっていくのか、興味が湧いてきた。傍にあってその成り行きを見届けてみたいと。しかし、ネルソンはあくまでもブリタニア軍人、ブリタニア国王に忠誠を誓った身だ。個人的な感情で主君を裏切るわけにはいかない。
「1度、本国に帰って考える時間を与えて頂きとう御座います」
ラルフは表情を崩して微笑むと、「いいだろう」と答える。元よりこの場で返事が貰えるものとはラルフも思っていなかったため、想定範囲内のことだった。
神聖ヴァルキュリア帝国ブリタニア属州総督と王政ブリタニア使節団の会見は、意外な展開となったものの、後半は良好な形で進み、無事に幕を降ろした。だが、ネルソンはなぜか敗北感のようなものを感じながら帰国の途に着いた。




