蒙古戦役・後編
宝暦1937年7月1日。
夕暮れ頃、ヴァルキュリア軍のネピドー仮司令部は大騒ぎになっていた。
ラルフと司令部にいる将官達は司令室にて大きな東アジアの地図を囲みながら、ロンメルの戦況説明を受ける。
「現在、東南アジア方面の敵戦力は大部分が北京へと速やかに撤退し、残った敵のほとんどは我等への恭順の意を示しています。後は僅かの小規模勢力さえ叩いてしまえば東南アジアは制圧できるかと」
喜ばしい知らせのはずなのに、一同の表情はとても苦々しいものがある。
説明をしているロンメル自身もわずかに躊躇いながら次の言葉を続ける。
「しかし、シベリア方面ではこの辺りに展開している部隊が次々と一時的な後退を強いられているのが現状です」
そう言いながらロンメルは棒で東トルキスタンとモンゴル高原の辺りを指す。
ユリアが一歩前に出てラルフに意見を述べる。
「シベリア総督府に増援要請を出した方がいいんじゃないか?今ならまだ戦線を盛り返せるだろう」
「そうだな。すぐにシベリア総督府へそう伝えてくれ」
その時、司令室へ3人の兵士が慌てて入ってきた。
いきなり現れた彼等に悪魔伯爵ことエルンスト・ヨハン・フォン・クールラント中将が眉を吊り上げて怒鳴り声を上げる。
「会議中にいきなり入ってくるとはッ!貴様等それでもヴァルキュリア軍人かッ!」
「も、申し訳御座いません!」
クールラントに半ば呆れ気味な表情をするとロンメルは兵士達に何事か、と問う。
「は、はい!シュルツ騎士団より敵襲との報告あり!しかし、その10分後に通信不能となりました」
彼の報告に司令室は一瞬唖然とするが、すぐにロンメルはシュルツ騎士団の安否の確認をするよう命じた。
一人目の報告が終わると次の報告が告げられる。
「報告します!崑崙山脈補給基地が敵の奇襲を受けて壊滅!」
「で、敵の奇襲部隊は?」
ユリアの問いに対し、捕捉不能と返されると彼女は小さく溜息をつく。
しかし、まだ報告は1つ残っていた。
「ヴァイクス騎士団より敵と遭遇、交戦状態に入ったものの敵の抵抗は激しく増援を要請してきました」
「・・・如何なさいますか?ヴァレンシュタイン公」
ロンメルがラルフに視線を向けると、司令室にいる者全員がラルフに顔に視線を向けた。
だが、皆の注目を集めるラルフは端整な容姿を歪ませ、漆黒の瞳は目の前に広がる地図を見つめている。
日本軍の存在を知らない彼には、今起きている事の全てが唐軍によるものだと思っていた。しかし、仮にこれが唐軍だとしたらこれ程の抵抗を見せられるはずがない。国内を纏められていない唐軍がこれほど広大な地で統率のとれたゲリラ戦を展開できるのは何か裏があるはずだ、と思い必死にそれを考える。
戦略的に圧倒的優位に立っていたはずのヴァルキュリア軍が戦術的勝利によってそれを覆されようとしている。そんな事実が実際の戦争であってはならない。
「何だ?一体、何が起きているんだ?」
小さく絞り出したような声でラルフは呟いた。
次の瞬間、ラルフの瞳に一気に生気が戻ってきた。
「全軍に通達!各部隊は速やかに今の占領地域を放棄し、持てる全ての兵力をトルファンに集結させよ!」
ラルフの出した命令に一同は驚愕した。彼の下した意図は大兵力を一カ所に集中させ、各地でゲリラ戦を展開している敵戦力を全て自軍の目前に引きずり出そうとしているのは明白だった。広大なモンゴル高原に敵戦力を引きずり出せば後はそれを圧倒的戦力で殲滅するだけである。
しかし、問題も多い。
ロンメルは即座に第一の問題点を淡々と指摘する。
「敵を引きずり出す以上、我が軍は敵に位置を悟られる事が前提となりましょう。となれば、問題は全軍が集結するまでです。全軍が集まれば大兵力ですが、敵にしてみれば我が軍が集結する前に各地で各個撃破を展開するのが容易になります。集結地点間近で待ち伏せをすれば良いのですから」
「その点を考慮する必要は無い。各個撃破を行なうために敵も兵力を集結させる必要がある。その隙にこちらは戦力を整えればいい」
ラルフは即座に全軍にトルファンへの集結を命じた。
トルファンは交通の要所であり、ヨーロッパからの補給線も形成可能な場所だった。
ヴァルキュリア軍の動きはすぐに日本軍の政綱も察知した。
「考えなかったわけは無い展開だが、最も厄介な事態だ」
日本軍は広域に兵力を分散配置している。そんな状況下でもこれ程戦えたのには現地住民の協力で地形を利用した戦術を考案できた事が大きい。政綱はこのゲリラ戦で敵の進撃を停滞させてその隙に唐軍が領土全てを制覇するのを待っていたのだが、こうなった以上日本軍も戦力を集結させて決戦に及ぶ他ない。
宝暦1937年7月4日。
トルファンから東南東に20㎞行った場所にヴァルキュリア軍45個師団と日本軍20個師団が対峙した。
ここでラルフはようやく敵の正体が日本軍である事を知り、全ての疑問に得心がいったと同時に感嘆の声を漏らす。
「そういうことか。これがブランデンブルグ侯を破った知恵伊豆か」
ゲフィオンのコックピットで一人言を言ったつもりだが、無線機を介してクールラントにも聞こえていた。
「しかし、敵軍を引きずり出した以上、奴等に勝ち目はありません」
クールラントは自信満々でそう言うが、ラルフには安心感も油断も一切ない。
「全軍に通達。Ⅴ字陣形を取って敵を包囲しろ。一気に押し潰すぞ」
「ヤー,マイン・ヘル!!」
ヴァルキュリア軍の通信機のこの言葉がこだました。
それと同時にヴァルキュリア軍が動き出す。
だが、大軍の攻勢は、日本軍より放たれた3発の花火でゆっくりと足を止めた。
これはヴェストファーレン軍事国際条約に規定されているもので、「停戦の意思有り」を意味していた。
それを見たラルフは小さく笑みを浮かべて、面白いと述べる。
一方、日本軍には不安が過っていた。
政綱は、ヴァルキュリアの大軍と正面から対峙してしまったこの危機的状況を利用して、先日ルイーゼ皇女と交わした事を持ちだして一時的にでも停戦に持ち込もうとした。
しかし、今更ヴァルキュリアが停戦に応じるとも思えず、幕僚達からは政綱へ不安の声が上がる。
「本当に大丈夫でしょうか?」
「駄目なら、我等はここで全滅するだけだな。しかし、口約束とはいえルイーゼ殿下と交わした約定は公式のものであり、ヴァルキュリアにとっても不利益な内容ではない。ここで全面戦争を続行してアジアを泥沼の戦乱へと落とすか。唐と講和して確実な利益を求めるか。ラルフ・フォン・ヴァレンシュタイン。それが分からない男ではなかろう」
ラルフはじっと両目を閉じて思案を巡らす。
そこへ無線機からユリアの声が出る。
「おい。どうするつもりだ?」
ユリアの声を聞いたラルフはゆっくりと両目を開ける。
「いいだろう。日本軍に講和の使者を送れ」
「な、何だとッ!」
「占領地域の正式な割譲と4000万トンの魔導石、収穫としては十分だ」
「だ、だが、奴等はヴァルキュリアの敵だぞ。この好機にみすみす敵を逃すのは!」
「その通り、奴等はヴァルキュリアの敵だ」
「は?」
「ヴァルキュリアは常に敵と戦い続けてきた。しかし、それでもヴァルキュリアが今の繁栄を勝ち取れたのは名より実を取るという事を心得ていたからだ。占領地域がこれほど拡大できた今、無暗に戦火をばら撒く事もないだろう」
「・・・分かった。好きにしろ」
後に蒙古戦役と呼ばれる戦いはこうして終わり、長年続いたヴァルキュリアと秦の戦争も同時に終結の時を迎える事になった。
ラルフが日本軍迎撃のためとはいえ占領地域の大部分を放棄したとはいえ、今の唐にはそれを奪還する余力は皆無であり、結局、唐はヴァルキュリアに奪われた6割の領土を全て割譲する事になった。しかし、唐滅亡という最悪の事態だけは回避できた。ここで大きく問題になったのはインドシナ半島とマレー半島を取られた事でヴァルキュリアは太平洋への足がかりを手に入れてしまい日本はこれまで以上にヴァルキュリアの脅威に晒される事になった事である。




