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偽りの講和

宝暦1937年5月30日。

ラルフが圧勝したパガンの戦いから6日後、その頃の日本ヒノモトでは大坂幕府老中首座・松平政綱は政委大将軍・豊臣秀家とよとみ ひでいえによって将軍の下で幕府及び日本の全行政権を掌握する大老たいろうに任じられた。

そして、ヴァルキュリアの脅威が間近に迫っている事を敏感に感じている政綱はすぐにも自身の構想をする維新十三条を実現に漕ぎ着けるために行動を起こす。




宝暦1937年6月5日。

日本の改革に励んでいる政綱の下に大宰府から最悪の知らせが齎された。

「秦とヴァルキュリアの講和条約だとッ!?」


ヴァルキュリアの極東方面軍司令官ラルフ・フォン・ヴァレンシュタインは正攻法で秦国を倒すのは困難と考えて講和条約という手段に出た。しかし、それは講和条約とは名ばかりの無条件降伏に等しく、正式に条約が成立する時には不平等条約だと呼ばれるとは明らかだ。

この情報は秦国にいる反ヴァルキュリア派貴族が意図的に日本へ流した情報だった。


「それで、条約の具体的な内容は分かっているのか?」


その問いに老中の石田光徳が答える。

領土の割譲、軍備の放棄、貿易港の完全解放、秦政府はヴァルキュリア政府に対して年間1万枚の金貨を安全保障税として支払う事、秦国領内でのヴァルキュリア軍の行動の自由の了承、以上が日本が掴んでいる秦とヴァルキュリアの講和条約の内容である。さらにまだ正式発表は無いが、内密にヴァルキュリア帝国の皇女と秦国皇帝の婚姻まで決まっていた。

政綱自身は予想しなかった展開ではない。しかし、まさかこれほど早くヴァルキュリアが動くとまでは思っていなかった。完全に先手を取られる結果になってしまった。

青ざめた顔をして視線を床に落とす政綱。

「・・・緊迫状態だった両国の関係から一気に、講和へと持ち込むとは、まるで天狗の仕業だな」

苦し紛れに下手な冗談でも言ってのける政綱だが、とても誰も意に介する気にはなれない。

とりあえず政綱は事実確認と秦国の情勢への監視の強化、西国への警戒体制発令を命じた。




その日より、3日前の同年6月2日。

極東方面軍司令部の置かれているインド属州デリーに秦国皇帝の花嫁となる予定の皇女ルイーゼ・ウルリーケ・フォン・ヴァルキュリアが到着した。

彼女はコンスタンティノープルから豪華な列車に乗り数日掛けてここまでやって来た。

美しい紅色のドレスと帽子に身を包む彼女は、膝まで届く豊かな金髪に赤紫の瞳をした優美な容姿をしている。

列車から降りると、ルイーゼの前には出迎えに来たラルフ以下司令部の将校達が集まっていた。

ラルフは1歩前に出て、膝を折り頭を下げる。

「長旅、お疲れ様でした、皇女殿下」


ルイーゼは不機嫌なのか、優雅な顔立ちを歪めながら、視線を上に上げてラルフを見ようとしない。

「くだらない挨拶はいいわ。それよりお腹が空いたからラルフ、何か用意しなさい」


「既に歓迎会の準備が整っております」


「そう。じゃあ早く行きましょ」

そう言ってさっさと早歩きで行ってしまう。


ラルフが立ちあがって後に続こうとすると、ユリアが近付いて小声で話しかけてくる。

「やはり、ルイーゼ殿下は今回の婚姻に不満があるようだな」


「まあ無理もないだろう。しかし皇帝陛下の許可は既に得ている。そうなればルイーゼ殿下も従うしかない。だから、陛下を説き伏せた俺が余計腹立たしく感じるのだろう」


「ふん。お前も損な役回りだな」


ルイーゼ・ウルリーケ・フォン・ヴァルキュリアはフリードリヒ2世の第5皇女で、歳は22歳。年齢が近いという事もあってラルフはよくルイーゼの遊び相手をしており幼馴染なのだが2人の中はあまり良くはなかった。勝気でプライドの高い性格なため、秦国皇帝と渡り合える花嫁としては適当な人物だろうと言う事でラルフからフリードリヒ2世に直接要請を掛けて今回の婚姻の許可を取り付けた。




婚姻に向けての用意がデリーで進められる中、花婿の秦国皇帝のいる北京では講和条約締結に賛成する者と反対する者で対立していた。

北京は、ヴァルキュリア帝都コンスタンティノープルに次ぐ世界都市で人口1000万人を誇る。

高さ30mの城塞に囲まれた大都市で、碁盤の目状に組み合わせた左右対称の条坊制が採用されている。

秦国皇帝の居城・天帝皇宮てんていこうぐうはその壮大さを北京の最も北で構えていた。朱色を主に使われた宮殿や省庁舎が多数並ぶその姿は正にかつてのアジアの覇者の威容を感じさせる。しかし、ヴァルキュリアに連敗続きの現状では、それも所詮は過去の栄光と見ていて切なくなるだけである。

反対派の筆頭である宰相・姚亥ヤオ・ハイは秦国皇帝・天宗てんそうに謁見した。

「なぜヴァルキュリアの講和を受け入れたのです?これがヴァルキュリアの策略である事は誰の目にも明らか!」

30歳の若き宰相である姚亥ヤオ・ハイは、眉を吊り上げながら叫ぶ。


今年で41歳になる天宗は、大きな金色で豪華に装飾された衣装に身を包んで玉座に座っている。天宗はかなりの肥満体なのだが、着ている衣装の豪華絢爛さに目が眩んであまり気にならない。

玉座から姚亥ヤオ・ハイを見下ろしながらうっとおしそうに口を開く。

「だから何だ?講和が成立すれば、我等はヴァルキュリアの爵位を得られる事が内密に決まっている。しかも朕には選帝侯の地位までくれるそうじゃ」


「なッ!へ、陛下は己の保身と地位のために国と人民を売るのですかッ!」


「ここは朕の国ぞ。国土や民をどうしようと全て朕の思いのまま」


「く。あ、あなたはッ!」


「そちは朕の考えに異議でもあるのか?」


天宗皇帝の威圧するかのような一言に我に帰った姚亥は慌てて頭を下げる。

「め、滅相も御座いません、陛下。ただ、民を見捨てたとあっては陛下の御名に傷が付きましょう。どうか、ここは!・・・ヴァルキュリアは無敵ではありません!日本がブランデンブルク侯爵を破ったように秦国もヴァルキュリアに勝てるはずです!」


「ふん。それはどうかな?あのヴァレンシュタイン公爵まで前線に出てきたそうじゃないか。それに我が帝国はヴァルキュリアに連敗続きであろう!」


「では、売り飛ばされた民はどうなるのです!」


「民1億の命よりも我等の命の方がずっと価値がある。安い代償ではないか?」


「・・・」

結局、姚亥がどれだけ説得しても天宗皇帝は考えを変えなかった。



自邸に帰った姚亥は集まっている同志達に皇帝への説得が失敗した事を告げる。

もう彼等はクーデターを起こして秦国の政権を奪取するしかない、と考えるようになる。だが、ここでクーデターを起こせばヴァルキュリアが黙っているはずがない。どれだけ迅速に政権奪取がうまくいこうともクーデター政権に反発する者は少なからず出る。それ等を纏め上げる時間も考えると、とても対ヴァルキュリアどころではなくなる。特に相手があのヴァレンシュタイン公爵である以上、余計軽率な行動には出られない。

正式な婚姻まで最短でもおよそ1ヵ月の月日を要する。それまでに対応を考えなければならない。



インド属州デリーにいるラルフは司令部の執務室にあるソファーにどっしりと腰を降ろしながら、意気揚々とコーヒーを飲んでいる。

「ふふ。秦国人は今頃、大慌てだろうな」


ラルフの言葉に、彼の前にあるソファーに座るユリアが視線をラルフに向ける。

「どういう事だ?」


「講和なんて所詮はただの餌さ。元々秦国は国家システム自体に既にガタがきていた。それをえぐってやる事さえできれば秦国はすぐにも真っ二つに分かれるだろう」


まだ、先の話だが、後日、ラルフは自然に流れる程度に秦国内に、今回の講和条約での天宗皇帝の真の目的は国土と国民を見捨てて己の保身を図る事である、という噂を流させた。この噂はあっという間に秦国中に広がり、講和条約の内容についての情報が国民にも徐々に公開され始めると、噂にもわずかながら信憑性が付いてしまい各地で反乱の機運が生じるようになっていく。


「では、講和は最初からする気は無いのか?」


「この講和が成立するなら、それも良し。条約内容は事実上秦国をヴァルキュリアの属領にするものだからな。どっちに転んでも、1度秦国が講和を受け入れた時点で奴等は俺の手の上というわけだ」


「相変わらず姑息な奴だな」


「ふん。誉め言葉と受け取っておこう」




宝暦1937年6月16日。

松平政綱は秦国首都・北京ペキンへと到着した。

この講和条約は何としても阻止しなくてはならない。そう考える政綱は自ら北京へと赴いて直接天宗を説得するために人生初の航海を経てやって来た。

天宗への謁見が叶った政綱は形式上挨拶をすませて早速本題へと移る。

「皇帝陛下はこの講和を本当に秦国のためになるとお考えでしょうか?」


「無論だ。ヴァルキュリアとの戦争が終われば、平和になる」


「それは違います!ヴァレンシュタイン公はこの秦国を無傷で手に入れるつもりなのです!陛下、奴等の策に嵌まってはなりません!」

必死の眼差しで説得を試みる政綱だが、天宗は聞く耳を持とうとしない。

「朕の決断を愚弄するのかッ!日本人の分際で生意気なッ!もういい!失せろ!」


「・・・」

言葉が喉まで出かかったが、これ以上話しても無駄だろうと判断し、この場は大人しく引き下がった。


政綱は近衛兵に案内されて天帝皇宮の廊下を歩いている。流石に秦国皇帝の居城というだけあって、日本ではあまり見ない豪華で派手な様式がどこに目をやっても見て取れる。初めて直接目にする秦国文化に、最悪の情勢下ではあるが密かに心を躍らせていた。

と、そこへ姚亥ヤオ・ハイが姿を現し、政綱を別室へと連れていく。

ここで姚亥はクーデター計画の事を政綱に告げて日本の全面協力を要求した。

「このままでは我が帝国はヴァルキュリアの属国になり果てます。それは貴国にとっても望ましくはないはず」


「それはそうですが、クーデターとは・・・」

政綱は秦国が内戦状態に陥る事を懸念していた。秦国のような広大な大国ともなると、全領土を纏め上げるのにはかなりの時間を要する。


「クーデター決行と同時に我々は皇太子・ジュン殿下を次の皇帝に擁立するつもりです」


「ようは傀儡政権ですか。天宗皇帝陛下の説得はもう無理なのですか?」


「残念ながら・・・」


「・・・少し考えさせて頂けませんか?」


「分かりました。良い返事をお待ちしております」

政綱としては、このクーデターを最善の形で成功させるしか日本が生き残る道は無いと考えていた。しかし、それはあまりにリスクが大きく、理想は天宗皇帝がヴァルキュリアとの講和を取り止めにして徹底抗戦を唱える事だった。

時間の許す限り、政綱は天宗の説得を試みるつもりでいた。

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