敗北の汚名
宝暦1937年5月3日。
ブランデンブルク侯爵は最近になって全線開通したばかりのシベリア鉄道を使って、ヨーロッパに戻り帝都コンスタンティノープルへ帰還した。
ヴァルハラ宮殿の皇帝フリードリヒ2世は選帝侯達を招集して緊急会議を行なった。
最初に広間へ現れて席に着いたブランデンブルク侯爵は顔がやや青ざめて意気消沈しているように見える。いつもの勇猛さは微塵も感じられなかった。
会議の時間が近付くにつれて選帝侯たちが続々と集まってくるが、皆ブランデンブルクとは目を合わせようとはせずに気不味い空気が流れている。
選帝侯が全員集まり皇帝の到着を待つ頃になると、切れ長の目をし、肩まであるストレートの金髪をしたカレンベルク侯爵が口を開く。
「ブランデンブルク侯爵、顔色が悪いようですが、大丈夫ですか?」
まるで嘲笑するかのような言い方にブランデンブルクは一瞬眉を動かした。
今にも何か言いたそうにするが、ブランデンブルクをそれを飲み込む。
カレンベルクはブランデンブルクと同じ30歳。しかし、年下のラルフばかりをライバル視して自分には見向きもしないブランデンブルクを嫌ってもいた。元々彼は野心家であり、他の選帝侯達にも露骨に敵対心を見せる事もあるぐらいである。
「大丈夫なはずがないでしょう。彼はヴァルキュリア史上初となる偉業を成し遂げられたのですから。なんと、極東の猿如きに完敗するという不名誉な偉業を」
そう言ったのは、カレンベルクの右隣に座る茶髪に顎鬚を生やした中年男性・ボヘミア公爵である。
カレンベルクほどではないが、ボヘミア公爵もブランデンブルクを嘲笑うように言う。
直接口にはしないものの、他の選帝侯達もブランデンブルクを嘲笑するかのような視線を送る。
そんな中で唯一ラルフだけが涼しい顔をして、約200年前に活躍したクラウゼヴィッツ子爵の著作した『戦争研究論』を読んでいる。
それに気付いたブランデンブルクが身体を正面にいるラルフに向ける。
「貴様はなぜそういつも平然としていられるのだ?ヴァルキュリアの覇道が邪魔されて、帝国の威信が傷ついたのだぞ」
ラルフは本を閉じると、ゆっくりと顔を上げてブランデンブルクを見る。
「ヴァルキュリア軍が負けた事例ならある。現にいつまで経っても我等はブリタニアと制海権を掛けて小競り合いを続けているではありませんか。それに、あなたは帝国の威信が傷ついたと言われるが、それは違うでしょう」
「違うだと?」
「傷付いたのはあなたの威信ですよ、ブランデンブルク侯爵。日本のと戦争はまだ終わってはいない。結果的に日本を降伏させればヴァルキュリアの勝利で戦いは終わる。つまり、これはヴァルキュリアの敗北ではなく、あなた自身の敗北という事です」
あくまで冷静に淡々とラルフはブランデンブルクの心にある傷口を突く。
反論の隙も与えない巧妙な主張にブランデンブルクは苦い顔をする。
それを見て、カレンベルクやボヘミアはひそひそと笑う。対して、ブランデンブルクを笑い者にしたラルフは面白くなさそうな表情して再び本に視線を戻す。
ラルフ自身は、東シナ海海戦での敗北にそれほど関心は無かった。元々勝率の低い戦いと踏んでいたため、彼にしてみれば予想通りの結果が来ただけであった。ましてラルフには帝国の威信や覇業と言ったもの自体に興味が無く、誰が戦いに負けようとも極端に言えばどうでも良かった。
何か言いかけるブランデンブルクが、それを押し止めて一点に視線を向ける。
そこには豪華な衣装に身を包み、不機嫌そうな表情をしたフリードリヒ2世がいた。
「こ、皇帝陛下・・・」
選帝侯達が席から静かかつ速やかに立ち上がると頭を下げる。
征服帝フリードリヒ2世はその名に恥じない風格と威厳を漂わせて一番奥の皇帝専用席につく。
席に座ったフリードリヒ2世が右手を肩の高さまで上げると選帝侯達は着席した。
「ブランデンブルク侯爵よ。何か言いたい事はあるか?」
今にも掴みかかりそうな気迫に満ちた表情と口調でフリードリヒ2世はブランデンブルクに迫る。
「・・・皇帝陛下には誠に面目次第も御座いません。陛下よりお預かりした艦と兵のほとんどを失わせてしまった罪はいかなる罰を持っても償い切れない事は重々承知しております」
「ならば、貴様は余が死を命じたら喜んで死ぬか?」
「陛下が、それを望まれるのでしたら」
「ふん。そのような命令は出さぬ。貴様をここで罰するつもりはない。貴様は今回の敗北を上回る大勝利を持って償えば良い。だが、今回のような失態を繰り返すようなら、分かっていような?」
「・・・ヤー,オイレ・マイエステート」
だが、フリードリヒ2世としてもこのままブランデンブルクをどうもしないわけにもいかず、帝都コンスタンティノープル内にて謹慎を命じた。
さらにヴァルキュリアが極東の島国に敗れたのは既に世界中に知れ渡っている事である。これが引き金になって様々な騒動が起きるだろう。その対策もフリードリヒ2世はしなくてはならない。
フリードリヒ2世は帝国宰相カール・アントン・フォン・ジグマリンゲン侯爵に帝国各地に目を光らせるよう命じた。
「ラルフ・フォン・ヴァレンシュタイン公爵。貴様を、新たに極東方面軍司令官に任じる。いかなる手を使っても構わぬ。秦国を余に献上せよ」
「ヤー,オイレ・マイエステート」
この上ない大任を任されたにも関わらず、ラルフは特に喜ぶ事も動揺する事もない。
さらに議題が幾つか処理されると、会議が閉会になる。
「では、今日はここまでとする。皆、御苦労だった」
そう言うと、立ち上がって広間から出ていった。
征服帝の背中を見送ると、選帝侯達も徐々に帰っていく。そして最後にラルフとブランデンブルクが残り、ラルフが席を立って帰ろうとすると、ブランデンブルクが下を向いたまま呼び止める。
「そなたなら、あの戦いに勝てただろうか?」
「・・・私は別にそんな事を主張したつもりは、」
「それは分かっているのだ。ただ、ヴァレンシュタイン公爵なら勝てたのではないか、そう私が勝手に思っただけだ」
ラルフは広間を出て廊下を進むと、ヴァレンシュタイン騎士団将軍衆の一人エルンスト・ヨハン・フォン・クールラント伯爵が前から現れた。
「閣下、会議は如何でしたか?」
「ブランデンブルク侯爵はしばらく帝都に謹慎となった。それと、私は極東方面軍司令官を拝命した」
「それはおめでとう御座います」
その冷徹な眼差しのまま祝いの言葉を送るクールラント。
「ブランデンブルク侯爵には悪いが、アジアの征服は私が行なう。すぐにイタリアへアジアへの出兵を知らせてくれ」
「ヤー,マイン・ヘル」
ヴァルキュリアの双壁、ブランデンブルクの大敗によって世界は大きく揺れようとしている。誰もがありえないと思っていたヴァルキュリアの敗北が現実のものとなった。
ヴァルキュリアに征服された各属州に潜む反帝国勢力やベルリン教皇ルートヴィヒ4世といった多くの不穏分子をヴァルキュリアは抱えている。それが暴発した時、後世ではブランデンブルクをヴァルキュリア衰退の引き金を引いた愚将として評価されてしまいかねない。それだけ今回の東シナ海海戦の大敗は大きな痛手であった。
それに先手を打つため、フリードリヒ2世は今回の大敗を上回る程の大勝利が必要で、そのためにラルフを極東方面軍司令官に任じたのだ。もし、ラルフがこの任務を全うすればヴァルキュリアの双壁の両者の差は絶望的なもになるだろう。だが、失敗すればヴァルキュリアの双壁の名声は地に落ち、ヴァルキュリアの衰退は避けられないものになる。




