八極拳!!
──寸勁。
敵に密着した状態からノーモーションで放つ攻撃。筋力の一点集中、体重移動、タイミング。全ての条件が完璧に重なりあって初めて発動する技である。
しかし、スコーピオンは全てを熟知しているかのごとく、攻撃圏外へと跳躍し、それを回避。
「裡門頂肘からの鉄山靠……さすがにあのコンビネーションは避けられなかった。芹沢さんの傷が完治している状態で喰らっていたら、今頃私は死んでいたでしょうね」
「分かってるじゃねぇか」
憮然とした表情の芹沢。スコーピオンとの距離を測りながら、ジリジリと間合いを詰める。
あばら骨と肺の痛み。それが芹沢の力を半減させていた。だが、強者との戦いを至上の喜びとする野獣のようなこの男にとって、麻薬にも似た興奮をもたらす命の駆け引きが、痛みを忘れさせた。
「芹沢さん!今の状態でそいつとやるのは無理だ!俺が代わりに戦います!」
スコーピオンとの会話から、芹沢の傷が完治していない事実を知り、金平が声を上げた。
「ガキぃ、黙って見てろや。この野郎はお前に用があるらしいが、役不足だ。離れてろ」
金平へは視線を移さず、今にも発火しそうな芹沢の両眼は、白い歯を見せているスコーピオンを見据えていた。
芹沢とスコーピオン、両者がほぼ同時に地を蹴った。
互いに腰を落とし、脱兎のごとく跳躍する。
「なにっ!?」
驚嘆の声を上げたのは芹沢だった。
裡門頂肘。
鏡に写し合わせた動きで、スコーピオンも裡門頂肘を放ったのだ。
一瞬速く、芹沢の鳩尾に、スコーピオンの右肘が叩き込まれる。
「ガッ!」
口を広げ、苦悶の表情を浮かべる芹沢。前のめりに膝から倒れかかった。
その刹那。
「!」
ただならぬ気配を感じて身を躱すスコーピオンだったが……。
「つっ!」
顎から左頬にかけて、二本の赤い線が刻まれる。
かつて芹沢が、特殊作戦部隊に属していた頃の増山につけた胸の傷。強化ケブラー繊維の防護服を易々と引き裂いた技。
「──双牙ですか」
あと一瞬躱すのが遅かったら、スコーピオンの下顎と左目はえぐり取られていただろう。
スコーピオンの顔が痛みに歪み、つり上がった右頬から食いしばった白い歯が零れる。
「ちぃっ……てめぇ……何故、八極拳を……」
膝をついた芹沢の顔には、苦悶の表情が浮かぶ。左手で傷口を押さえるスコーピオンは、その言葉を無視して距離を置いた。
一見、力尽きたかのように見える芹沢の体から、発勁を放つ異様な殺気を感じたからだ。
「やっぱりあなたは筋肉防衛軍最強の男ですね。その体でそれだけ戦えるとは」
苦渋の表情のまま、芹沢からさらに距離を取る。
突如、敷地の外からけたたましい排気音がこだます。目映い一つ目のヘッドライトが、芹沢達三人と林立するドラム缶を照らしだし、印刷工場のひび割れた壁面にその姿を投影した。
砂塵を巻き上げながら、敷地内の舗装路に入るバイク。
隼。先日木下を襲った謎のライダー。同型同色のマシンが、芹沢とスコーピオンの間に割って入る。月光に浮かび上がる鮮やかなロイヤルブルーのボディ。
震える集合管が銀色に輝く。
「遊び過ぎだぞスコーピオン。乗れ」
ボディと同色のヘルメットから声がした。
柔らかいが、芯のある声。スモークがかったバイザーから、一切表情は伺えない。
「──のようですね」
その声に素直に応じたスコーピオンは、長い脚を上げ、バイクの後部に跨がった。傷口を押さえる手からは血が滴り落ちている。
「なんだ?仲間か?まだ終わっちゃいねーぞ!」
弱々しく腰を上げた芹沢だったが、目に力が無い。
「いずれ、また」
ヘルメットの中からくぐもった声が一言、そう呟いた。
静寂を引き裂く甲高い排気音。
タンデムシートのスコーピオンが、呆然と立ち尽くす金平の瞳を見つめ、ゆっくりと微笑むと、頬から手を離し血まみれの人差し指と中指を立て、鼻っ面から前に振った。
金平は言葉もなく、それを見送る。
凄まじい加速を見せる隼は、あっという間に敷地を出ると、耳をつんざく咆哮を残し、消えた。




