死んだら勘弁な!!
「せ、芹沢さん……」
四つん這いになったまま、金平は顔を震わせ呻く。頭頂部と鳩尾に走る痛みから、苦悶の表情を浮かべていた。
「コソコソと会社を出る気配を感じて後をつけてみりゃ……楽しそうなことやってるじゃねーか」
再び雲に覆われた月。雲間から微かに滲む光で、朧気に照らし出される芹沢の顔は、今にも高笑いを上げそうに、細い皺が幾条も刻まれている。
恐らくタフさ加減では筋肉防衛軍でも1~2を争う金平。意識を失う程の攻撃を受けていたが、弱々しくも片膝をつき、ゆっくりと立ち上がった。
目の前の芹沢、そして背後で蠢く存在から、恐るべきプレッシャーを感じる。
先日筋肉防衛軍と激闘を繰り広げたマウンテンゴリラ型SE。それを凌駕する程の何かが、周囲の空気を緊張感で満たし、金平の肌を粟立たす。
ぼんやりしていた意識が回復するにつれ、目の前の芹沢の姿が視界の中でハッキリと輪郭を成した。
「えっ!?」
奇妙だった。暗闇に佇む芹沢の体から、まるで湯気が立ち昇るかのごとく、仄かに輝きを放って見えた。その輝きを相殺しながら、再びはぐれ雲が途切れ月光が降り注ぐと、芹沢の顔に歌舞伎の隈取りに似た影を作っていく。
「金の字……退いてろや」
声から先ほどまでの軽さが消えた。言われるままに、金平は体を翻して芹沢の視界から外れる。
時を同じくして、何事も無かったかのように両腕をだらりと下げながら、前のめり気味にスコーピオンが立ち上がった。
芹沢が叩き込んだ強烈な掌打は、直撃したはず。
月を背にしているせいか、その表情を伺い知ることは出来ない。
対峙する両雄の間に立ち、静観する金平。
突然の攻撃にさらされた怒りを忘れさせるほど、芹沢とスコーピオンが放つ殺気は尋常ならざるものだった。
とても近寄れない。
何故、自分がスコーピオンに襲われるのかまったく心当たりが無かった。ただ、金平の脳裏に浮かび上がった事。
格闘技界において、頂点を極めたスコーピオン。しかし数年前、連日のようにワイドショーを賑わせていたことを思い出していた。
スコーピオンが夫人と子供を連れて海外旅行へ出掛けたおり、通り魔によって、突然家族の命を奪われたのだ。
激昂したスコーピオンが、その通り魔をその場で惨殺。一連の騒動は、ワイドショーの格好の餌食となった。
世間の同情を買い、情状酌量の余地はあったものの、殺人罪から服役する事になったスコーピオン。
半年もしないうちに事件は風化。その後、表舞台から一切姿を消したはずだった。
そんな男が今、金平と芹沢の前に立っている。
「……不意討ちとは卑怯ですね。芹沢さん、いえ──李春王」
スコーピオンの口から出た言葉。芹沢の右眉の縁がピクリと上がった。
「……てめぇ、どこでその名を知った?」
それには答えず、薄ら笑いを浮かべると、スコーピオンは口を開く。
「知っていますよ。あなたの父親が、かの李書文の高弟で、中国最後の皇帝、愛新覚羅 溥儀のボディーガードを務めたことも……」
「!」
刮目する金平の目から見ても、明らかに芹沢が動揺しているように見えた。
芹沢が動く。
──瞬間。
スコーピオンに向かって半身の姿勢から左足を蹴りだし、右足の爪先を地に滑らせながら相手との距離を詰め、爪先と対を成しながら右肘を突き出す。
爪先中心に180度足首を回転、踵を相手へ向けた。踏み出した強烈な脚力で地面のアスファルトが歪む。
全身に加わった捻りと、そこから腰を落とすことにより、インパクトの瞬間全ての力が肘へ集約された。
──裡門頂肘。
金平と芹沢が初めて道場で相対した時、金平の不意をついて芹沢が放った技。
常人ならば、何が起きたのかすら分からないまま鳩尾に直撃を喰らい昏倒するであろう。
しかし、スコーピオンが電撃と見紛う速さでそれを紙一重で躱す。
「ちぃっ!」
芹沢の舌打ちが乾いた音を響かせた。生じた一瞬の隙を逃さず、残像を残しながらスコーピオンが上段廻し蹴りを放つ。
横に開いた芹沢の体。
がら空きの喉元を、蠍の尾を彷彿とさせるしなやかなスコーピオンの蹴りが襲う。驚異的な反射神経で、咄嗟に右手でそれを払いのけようとした。
しかし……寸前で軌道を変える。“ブラジリアンキック”
芹沢の顔面目掛け、弾けた……はずだった。
コンマ何秒。瞬きの間に、芹沢がしゃがみこむ。
「なっ!?」
とてつもない衝撃音と同時に、放物線を描き、スコーピオンの巨体が闇夜を引き裂き宙を舞う。
「ガハッ!」
10メートルは弾け飛び、砂埃を巻き上げて地面に転げ落ちた。
恐るべき破壊力。芹沢の肩口から背中にかけて、先ほど金平が見た微かな光が立ち昇って見える。
「あれは……」
紛れも無く、筋電力が放出された輝きだった。
屈んだ状態から立ち上がる瞬間、カウンター気味にスコーピオンの体を肩口から体当たりで突き飛ばした技。
「鉄山靠」
呟く芹沢。
「おっと、いい忘れてた。死んだら勘弁な」
猛獣。そんな芹沢の両眼が、月明かりを受け、鈍く輝く。




