増山復活!!
深夜の病院内。
餓えた狼のごとき体躯を上下させ、疾走する影。場違いとも思える、グレーのつなぎに身を包んでいた。
エレベーターは使わず、階段を何段飛ばしかに駆け降りて行く。
そのあまりの速さに、まるで落ちていくかのようにも見える。あっという間に院外へ出ると、迷うことなく駐車場へと向かった。
走りながら、ポケットから取り出した携帯にピンジャックを差し込むと、インカムを耳と口元に固定する。
「三国さん、そっちは?」
「はい。もうすぐ出現ポイントに到着します」
「そうか。俺も出来るだけ早く着けるようにするから……場所は?」
「弥生山の中腹にある駐車場です」
「そんな場所に?」
思わず増山は眉を潜めた。
「分かった、とにかく急いで行くから、何かあったら連絡くれ」
手に握ったキーレスのボタンを押すと、増山の愛車、BMW M3CSLのハザードが、小気味良い音を立て点滅する。駐車場の灯りに淡く照らし出され、シルバーの美しい車体を鈍く輝かせながら、所有者を待っていたマシーンは穏やかに佇んでいた。素早くドアを開け、車内へ滑りこむ。
キーを差し込み捻ると、直列6気筒のエンジンが目を覚ます。
アクセルを煽ると、ホイルスピンした後輪からタイヤスモークが上がり、排気管から管楽器に似た快音を響かせて駐車場を飛び出した。ステアリングについたバタフライシフトをチェンジすると、カッチリとしたフィールと共にギアが上がっていく。
深夜のためか、国道にはほとんど車の通りが無い。
スピードメーターの針は、180を越えてなお上がり続けていく。
弥生山は、マッスル引っ越しセンターのある工業団地から、海岸線沿いに市街地とは反対方向へ進む県境に位置している。既に数十分前に出動した筋肉防衛軍一堂は、現地に到着しようとしていた。
増山の駆るM3は、三国との通話を終えて10分後には市街地から海岸線に出ようとしている。
海から吹きつける風で巻き上げられた砂が、舗装路を覆う民家の路地裏。その緩やかな左コーナーを抜ければ、眼前に海岸線が開ける。
ギアを一段落とすと、横Gに耐えながらステアリングを切り込んでいった。
「!」
ヘッドライトに突如浮かび上がった小さな影。これから通るライン上に、仔猫が体を強ばらせて固まっていた。咄嗟にステアリングを反対へ切る。タイヤから悲鳴があがると、四輪全てが滑りだし、コントロールを失う車体。ギアを落として減速しているとはいえ、100キロ以上の速度が出ている。
反対車線に飛び出したまま、切り立った海岸線のガードレールへ向かって、フロントから巻き込むように右へ回転しようとするM3。
「ふんっ!」
普通の人間なら、条件反射的にそのままブレーキを踏みこむだろう。
だが増山は違った。この速度でフルブレーキングすれば、いかに高性能なABSを搭載しているM3といえど、コントロールを完全に失う。それを一瞬の判断で悟り、逆に臆することなくアクセルを踏み込むと、一気にステアリングを逆に切る。
“カウンターステア”だ。
車体が一瞬でテールスライドして向きを変え、そのまま鮮やかな四輪ドリフトを決める。踏み込んだアクセルに反応して、美女の喘ぎ声に似た官能的な音色が、エンジンルームからこだます。そこから発せられた強力なトルクが後輪に鞭を入れ、ライオンの後ろ脚さながらに力強く路面を蹴りだしていく。耳をつんざくスキール音と共に、ふらついて、あわやガードレールに数センチというところだった車体が、見事に車線へ復帰し、何事も無かったかのように海岸線道路を疾走する。
あとに残ったのは、キョトンとした表情の仔猫。そして、盛大に上がったタイヤスモークに隠れた、アスファルトに黒々と刻まれたタイヤ痕。表情を一切変えなかった増山が、ルームミラー越しに小さくなっていく仔猫へ視線を送る。あくびをする無邪気な仔猫の姿を確認すると、微かに優しい笑みを浮かべた。
狂気的に流れる景色をフロントガラス越しに見据えると、アクセルを床まで踏み込み、360馬力を発生するエンジンが身悶える猛獣のように震え、排気管からはトランペットが咽び鳴く快音を連想させる咆哮が上がる。
細い月が照らす、暗く淡い色の空と海が、増山の目には口を開ける魔物に見えた。
恐怖を振り払うために、ブレーキでは無く更にアクセルを強く踏み込む。増山の愛車が漆黒の闇に飲みこまれていく。
その闇夜を強烈なハイビームで引き裂き疾走、先を急ぐ。
どこまでも続く海岸線沿いの長いストレートで、メーターの針は震えながら200を越えていた。




