終わりのない青春!!
絶叫する美空には目もくれず、最後の一打を放とうと全身の筋力を拳一点に集中していく。
<后>
増山が繰り出した必殺の技。
──遥か神話の昔。中国。
かつて空に太陽は、十個輝いていたという。
無数にある太陽の余りの暑さに、作物は枯れ、家畜は死に、人々は困り果てた。そこで、后と呼ばれる弓使いの名手が立ち上がる。
空に向かい九つの矢を放ち、見事全てを射落とし、太陽を一つだけにしたと言う。古より中国に伝わる伝説。
……増山の開かれた脚が弓。
放たれ拳が矢。
鬼道空手館長・鬼瓦道三が、増山にのみ与えた秘伝である。
技の発動時、長身から天高く掲げられた腕は、相手の意識を上方へ逸らすための布石だった。
技の性質上、一度目の当たりにした相手には通用しない。
増山が放った、目にも止まらぬ正拳突き。
八箇所はすでに射抜かれ、残る一ヶ所は鳩尾。射ぬけば技の極致に到達する。
「ソラ──」
一瞬、増山の脳裏に、司と美空と三人で遊んだ懐かしい日々が、淡い記憶となって吹き抜けていった。
増山の心の動きから生じた、ほんの微かな隙。
スローモーション。
そう感じられるほど、倒れる司の薄れゆく意識の中に、増山と同じく、遠い忘却の彼方の懐かしい日々が、走馬灯となり駆け巡っていく。
「ソラ!」
司の目が見開かれ、増山が見せたほんの微かな隙を、勝機として手繰り寄せる。渾身の力を込め、増山が放った右正拳。
一瞬速く、司が最後の力を振り絞り動き出す。
倒れこむ司が上半身をさらに仰け反らせた。
無意識の中の驚異的速さ。増山の拳が、なびいた司の長い髪を突き抜ける。
瞬間。
司が両足を蹴り出して、体操選手張りの後方宙返りをしてみせた。
天地逆さの状態から、空中で増山の右腕を両脚で挟みこむ。
空を裂いて伸びきった増山の手首を、両手で強く握る。
美空の目には、あたかも抱き枕にしがみついている体勢に見えた。そのまま肘間接をキメて、増山の肩を支点に時計の短針が6時を差す方向へ落ちて行く。
「ぐっ!」
増山の肘から、骨が折れる嫌な音が軋む。
そして。
増山の右腕を挟んでいた司の両脚が、天に向かい垂直に伸びる。
同時に、司が勢いよく膝を曲げ、両の踵に渾身の力を込め、増山の顔面に蹴り下ろした。
一回……二回……三回。
それはまるで、寝相の悪い子供が布団を跳ね除け、足を出す姿。
「うっ!ぐっ!」
鼻や口、頬、瞼。
凄まじい連打が増山の顔面を襲う。
キメられた関節からも激痛が走っていた。
咄嗟に左正拳を放った増山だったが、顔面を襲う強打と、折れた肘の痛みで、本来の威力とは程遠い。
だが、満身創痍の司を引き剥がすには十分だった。
汗をかいた司の掌が、力無く増山の腕から抜け落ち、後頭部から草むらに落下していく。
顔面と腕を損傷した増山も、たまらず吹き飛ぶ。
二人はほぼ同時に力尽き、果てた。
司が窮地の中で活路を見いだした技。
<ひ穢ひ>
他流地合いにおいてだけ許された、空手技には無い関節技である。
ひ(い)は「寝る」の意。穢ひは「汚ない」の意。つまるところ、寝相が悪いのである。枕を抱え、布団を蹴り飛ばす子供を見て着想を得た、空手にはあり得ない関節技。
<喧嘩空手>を他流試合で無敗にするため、鬼瓦道三が創りだした技だった。
「スッチン!つかっちゃん!」
声を張り上げ、美空が駆け寄る。
頬を涙で盛大に濡らす。
「なんでこんなことするのよ!死んだらどうすんのよ!」
声を震わし、並んで倒れた二人に抱きついた。
右腕が折れ、顔面が腫れ上がった増山。右足の甲と顎にヒビが入り、全身打撲の司。
両者とも、荒い息をつきながら呻く。
「馬鹿じゃないのー!ぉ……ぅもー!」 嗚咽しているせいで、不規則に声が太くなる美空。
「ふふっ、牛かよ」
増山が、腫れ上がって血まみれの口をぎこちなく動かして呟いた。
「ハハッ……」
瞳を閉じた司が笑う。
「ソラ……勝ったのは……どっちだ?」
川の字の真ん中でうつ伏せに倒れ、美空は二人の厚い胸板に手を置く。
「どっちも強いの分かったから!二人とも大好きなの!!」
その言葉に曖昧さや迷いは無い。
「なんだよ……病院送りの思いしてそれかよ。アホくせぇ」
「相討ちってとこか……」
全身を襲う激痛の中、二人は夜空を見上げほくそ笑む。
涙でぐしゃぐしゃになった顔いっぱいに笑みを浮かべる美空は、再び大きな少年二人の体をきつく抱き締めた。
境内の陰から一部始終を見ていた褌姿の鬼瓦剛が、腕組みしながら歯を見せて笑う。
「馬鹿共が」
後のマッスル引越しセンター社長は、この時を以て、いつか必ず増山を自らの部下にすると心に決めた。
遠くから吹き上げる心地よい夜の風が、水色の髪留めで結い上げられた美しい髪を、そっと、静かに揺らす。
それは、若者達が夏に置き忘れた物語。
遠い、遠い昔の物語──。




