表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
こちら筋肉防衛軍。  作者: マッスルハッスル。
第②マッスル◆追憶の空◆
39/151

ありがとう!!

 激闘の余韻も今は無く、静寂だけが漂い、暮れかかった夕闇の中、ただ冷えた空気だけが、そこに居合わせる者達を包みこむ。

 仰向けになった司の背中に、地面を伝って響く規則的な振動。次第に近くなる足音。

「司ぁ、最後のあれなんだよ?見たことねーぞ、あんな技」

 脇腹を押さえた増山が、不満げに口を尖らせながら左手を差し出す。

 仰向けのまま、ゆっくりと瞳を開けると、頬を血に染めた増山の浅黒い顔を見つめる司。

「まぁな。天才のみに与えられし技ってやつか」

 差し出された手を強く握り返し、瞼を薄く閉じながら軽口を叩く。

 増山の力強い体幹が掌から伝わり、軽々と司を引っ張り上げた。

 心地よい浮遊感が司の体を一瞬通り抜けると、肩を並べる“虎”と“龍”。

 二人の鋭い眼光が太田弟に注がれ、その視線に耐えきれない弟は、軽い悲鳴を上げながら、羽交い締めにしていた美空を突き放した。

 血の気を失った顔面で天を仰ぎ、バーの勝手口へと走り去って行く。

「追わないのか?」

「あぁ、あんな奴、いつでもボコれるさ」

 輝きを放つ笑顔。

 増山は年相応の無垢な少年に還っていた。

 微笑みを浮かべ、自らの“希望”へ向け走り出す。

「ソラ!」

 その後ろ姿を微笑みで送る司。

 均整のとれた長い肢体が、美しいストライドを描いて美空へ駆け寄る。

 両膝をついた美空を抱きよせ、口を塞ぐ布テープをゆっくりと剥がしてやった。

 泣き腫らした(まぶた)と汗で濡れた頬が、疲労と恐怖でやつれ、濃い陰を作っている。

「スッチン……」

 瞳いっぱいに涙を浮かべながら、両肩を小刻みに震わして増山の愛称を呟く。

「ありがとう。痛かったでしょ?本当にありがとう」

 増山の腕の中に静かに包まれると、伝えたい言葉が懸命に口をついた。

 静かに近づいてきた司に顔を向け、溢れる涙はそのままに、微笑む。

「つかっちゃん、血だらけだよ……どっか切れてるかも」

「大丈夫だよ。返り血さ。それより、どうだった?」

「どうだった?……って」

()の谷村新○」

「えっ」

 顔を見合わす増山と美空。

 司の顔はいたって真剣だ。

「プッ……ハッハッハッ」

 腹を抱えて笑いだす二人。

 暗闇の中、キラキラと白い歯が輝く。

「ブッァッハッハ!どうだった?ってそっちかよ、アッハッハッ」

 増山が赤面しながら、腹を抱え豪快に声を上げた。

「痛ったった」

 押さえる手を、腹部から わき腹へ移動すると、笑顔と苦悶の表情を交互に浮かべる。

「帰ろう」

 司が優しく囁き、空を見上げながら再び微笑む。

 美空を挟み、歩き出した三人。

「飯でも食いに──」

 増山が口を開きかけたその時。

「あっ」

 柔和な笑顔を取り戻した美空が、虚空を見つめ、(ほう)けた表情を浮かべた。

「どうした?ソラ」

「えっ!?」

 司と増山の表情が氷つく。

 目の前で起きたことが理解できない。

 絶句し、固まった。

 美空の白いうなじに、ギラギラと禍々しい光を放つアーミーナイフが、深々と突き刺さっていたのだ。

 司が振り向くと、そこには顔面を血まみれにしたビリーが、片膝をついて右腕を伸ばし、野球の投手が腕を振りぬくような姿勢をとっている。

 そのまま崩れて地面に顔から突っ伏した。

 最後の力を振り絞り、隠し持っていたアーミーナイフを、三人へ向かって遮二無二投げたのだ。

 不幸にも、それが美空の首、頸椎へ。 

 見開いた瞼を微かに震わすと、開いた口から止めどなく鮮血が伝い落ちた。

 そのまま、布を開いて落としたと錯覚する程、音も無く、静かに倒れていく。

 寸でで増山が正面から両肩を掴んで支えた。

 膝を屈めて刮目し、美空を抱きしめる増山。

「スッチン、ありがとう──ありが……と」

 小さな顔が増山の耳元に寄りかかり、美空が囁きながら意識を失う。

 増山は、打ち上げられた哀れな魚と見紛う表情を浮かべ、目と口を開いて固まっていた。

 震える手で、ゆっくり美空の首に手をやる。

「あっ!」

 思わず絶句する程の、おびただしい量の血液が噴き出し、手を濡らす。傷口を塞いでも、恐ろしい勢いで止めどなく溢れていく。

「──おい、ソラ、嘘だろ?おいっ!!」

 激憤する増山は全身を震わせ、慟哭する。

 司が駆け出した。バーの中の電話を使うためだ。

 増山は膝をつき、狼が遠吠えするかのような姿勢で、美空を抱きしめたまま。

 暮れかけた、薄暗く冷たい空気を震わし、咽びながら声を上げた。

「ソ、ソラーッ!!」


◆◆


 時は現代に戻り、増山の入院する病室。部屋を重々しい空気が包んでいた。

「増山さん、すいません……辛いこと思い出させてしまって」

 バツの悪そうな表情で頭を下げる金平。隣のソフィは、いつもの快活さが嘘のように瞳を伏せて押し黙っている。

「いいんだ。遠い昔の話さ」

 増山は優しく微笑んだ。

「増山さんは美空さんと、付き合ってたの?」

 ソフィの唐突な一言に、増山は心の中で、ソフィらしい質問だと呟く。

「いや、あいつは、ソラは、俺たち二人を同じように愛してくれてた。本当にどちらを愛してたのかは──」

 窓の外、風に揺られ落ちそうな木葉に視線を投げると、増山は押し黙った。


 チャックが入院する部屋を見舞い、静かに退室した司は、一人廊下をいく。エレベーターに乗り込むと、上の階へのボタンを押した。

 目的のフロアへ到着すると、迷う素振りも見せず、モデルさながらの均等な歩幅で革靴を鳴らし、目的の部屋へ向かう。

 深いグリーンの光沢を放つトム・フォードのスーツ。その胸ポケットから、透明なセキュリティカードを取り出すと、静かにリーダーに通す。

 認証を確認する電子音と共に、モーターの低くうねる音が響くと、分厚いセラミック製の自動ドアが開いた。

 薄暗い部屋に入ると、モニターや様々な医療機器に囲まれたベッドの傍らに立つ。

 心電図の規則的な電子音と、人工呼吸器のモーター音が、穏やかに寄せては返す潮騒に似ていた。

 ベッドには、安らかに眠る人影が。ふと、司がズボンのポケットに手を突っ込む。

 親指と人差し指、中指。

 自らの胸の前に掲げた、白い(かんざし)に見える司の細い指先には、古びた髪留めが。

 憂いを帯びた瞳で、その髪留めを静かに見つめる。

 退色し、塗装が所々剥がれ、かつては鮮やかに飾り立ていたであろうビーズの装飾も、今はもう無い。

 片方の手を差し出すと、永遠の眠りについている美しい女の頬に、優しく触れた。

「──ソラ」

 (はかな)げな司の微笑みが、暗い病室を静かに、仄かに……。

 灯した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ