さよなら!!
……時は再び現代に戻る。
マッスル引っ越しセンター食堂。
話を終えた増山が、一気にコーヒーを飲み干す。その目はどこか感慨に満ちている。
「ねぇ、それから李春王──芹沢さんはどうしたの?」
ソフィが小動物的な、どこか虚ろな表情で首を傾げた。
「三国大二郎氏のボディーガードを続けて、どういう訳かひどく三国氏に気に入られて、日本に帰化したそうだ」
「それがどうしてここにいるんですか?」
怪訝な表情の金平。
「三国氏はすでに引退して、ボディーガードも必要無くなったわけなんだが、そこにいる息子の三国さんが自衛隊を辞めて、何やら危険な仕事を始めるってのを耳にしてね。SEに関しては、特殊部隊の上の連中はまともに信じないっていうか、相手にしてくれなかったんだが、三国大二郎氏だけは信じてくれて。それで資産を使ってこの会社を立ち上げてくれて、社員に芹沢さんまで斡旋してくれたって訳だ」
「芹沢さんがこの会社に来た時ビックリしたでしょ?」
先ほどまでとはうって変わり、ソフィが興味深そうな表情を浮かべる。
「あぁ、それはビックリしたさ。俺と社長が二人がかりでもどうにもならなかった暗殺者が、仕返しにでもきたのかなって」
苦笑いを浮かべる増山が、懐かしそうに視線を漂わす。
「一つ聞いてもいいですか?」
金平が増山の目を真っ直ぐ見ながら、慎重に言葉を選び、口を開いた。
「今の増山さんなら、芹沢さんに勝てますか?」
その言葉を聞いた増山は、笑みを消して押し黙った。
「そうだなぁ……俺もあの頃とは違うつもりだが。それでも勝てないだろう。あの人はスペシャルだよ」
穏やかな表情で金平に答えると、コーヒーカップを持ちながら席を立った。
「ところで、町まで買い出しに行くんだが、金平君も来るかい?ついでに家に寄って、着替えや必要な物を持ってくるといい」
「そうですよね、いつまでも着のみ着のままって訳には行きませんよね」
金平がそう答えると、爽やかに微笑む増山。
「は〜い、私も行きま〜す!」
隣のソフィが、満面の笑みを浮かべて金平を見つめる。
そんなやりとりなど全く関係無いと言った様子で、チャックが大口を開け、うたた寝しながら寝言を発していた。
「もう……タベレマセ〜ん」
口から盛大によだれが垂れている。
ベタな寝言に吹き出す一堂だった。
「あの、私も連れてってもらっていいでしょうか?……研究所に行きたいので」
食事を終えた三国が増山に願い出た。
「いいよ、三国さん」
増山の言葉に、いそいそと食器をカウンターに運ぶ金平とソフィ。
幾らもしないうちに、四人は食堂を後にした。
◆◆
地下駐車場に降りると、キーレスのボタンを押す増山。快音を発し、ハマーのウィンカーが数回点滅する。
増山が運転席に乗り込み、助手席に三国、後部座席に金平とソフィが座った。
猛然と駆け出すハマー。
外は暖かな日差しが降り注いでいる。
増山がサンバイザーにかけてあったサングラスを取りだし、カーオーディオの再生ボタンを無造作に押した。
車内に小気味良いジャズが流れだす。
「金平君の家は市内だったよね?」
「はい。最近ショッピングセンターが出来た駅の近くです」
「ちょうどいい。そこへ買い物に行く予定だったから」
ハンドルを片手で回す増山は、ルームミラー越しに金平の表情を伺った。
「三国さんは先にラボに降ろすから、用事が済んだら携帯鳴らしてください」
「了解です」
心無しか浮かれている様子の三国。
「どうしたの?」
ソフィが、ルームミラー越しに三国のにやけ顔を見て尋ねた。
「いえ、黒光丸の試作品二号が完成しているはずなので、受領しに行くんですよ」
「くろびかりまる?」
金平が頬を引き攣らせ、困惑した表情で聞き返す。
「ええ。前回のSE戦で増山さんが使った、対SE兵器です」
「はぁ……」
三国のネーミングセンスに絶句する。
「増山さんが使った物は、まだ完全に強度が出ていなかったんですが、試作品二号は、カーボンの釜の圧力を上げて強度を二倍以上にしてあります。前回の戦闘では試作品一号を持ち込むのがやっとで……、二号はスタッフが昨日徹夜で仕上げてくれているはずです」
なんだかよくは分からないが、名前以外は凄そうな雰囲気だと感じる金平。
そんな会話をしているうちに、三国の言う「ラボ」に到着する。
工業団地の一角にある、平屋でコンクリート造りの建物。
門扉には「三国繊維研究所」と書かれた看板が掲げられていた。
「それでは後ほど」
車を降りてから笑顔で手を上げると、三国はドアを閉めた。
増山の運転するハマーは一路、金平の自宅へ向かう。
県内で最大の都市であるT市。
人口は20万人。海と山に囲まれ、古くから海外貿易が盛んであり、近年、大幅な発展を遂げている都市である。
市の中心部の駅裏、閑静な住宅街の中に金平の家はあった。
父親は自動車の輸出用船舶の船乗りで、年中家を空けている。
母と弟と三人暮らしと言って相違ない生活をしていた。
弟は医大に通い、エリートコースを順調に進んでいる。
金平の金メダル剥奪事件で押し掛けたマスコミのせいで、母親は情緒不安定からくる体調不良になり、家に籠もりがちになっていた。
「ただいま」
ため息をつきながら玄関を開けると、あまり見慣れない女物の靴が目に入った。その靴に視線を落としていると、廊下の奥から若い女性が走ってくる。
「……涼子」
女の顔を見て、金平は戸惑いの表情を浮かべた。
視線の先の女性は、黒々としたショートカットの髪を揺らしながら、悲しみに暮れた顔をしている。落ち着いた雰囲気を持っていたが、金平と同い年。色白で長身、アーモンド型の瞳が印象的な、男好きさせる美人だった。
「どこに行ってたのよ!?心配したのよ……お義母さんも心配されて……」
「就職先が決まったんだ。住み込みで働くことになったから、荷物を取りにきた」
ぶっきらぼうに答え、廊下を進む。
「住み込みって?……ちょっと、お義母さんに挨拶して行かないの?」
「お前、何しに来てたんだ?俺たちはもう──」
180センチの恵まれた体格の金平が、170センチ近い涼子と呼ばれた女の肩を片手で押し退ける。モデル並みの二人がすれ違うには、狭い廊下だった。
そのまま単身階段を駆け上がると、無言で自分の部屋へ入っていった。
クローゼットから一番大きな旅行カバンを引っ張り出し、ベッドの上に投げると、服や下着を無造作に放り込む。
ふと、机の上の写真立てが目に入った。
涼子と呼んだ先ほどの女性と金平が、互いに穏やかな笑顔を浮かべ、肩を寄せ合い写っていた。
その写真立てを無造作に手前へ倒すと、机上のノートパソコンをカバンに押し込む。
膨れたカバンを肩に担ぐと、部屋を出た。
階段の途中を塞ぎ、涼子が立っている。今にも泣き出しそうな顔だ。
「住み込みってどういうこと?説明して」
「どけよ」
涼子の肩を再び押し退けると、ドカドカと階段を降りて行く。
「ちょっと!」
「お前は先輩とできてんだろ?もう俺に関わるな」
眉間に皺を寄せ、不快感を露にしながら吐き捨てるように言うと、スニーカーの踵を履き潰したまま玄関のドアノブに手をかけた。
「あの時は……私……」
大きな瞳に涙を滲ませる涼子に一瞥すらくれず、家から出る金平。
外に路駐していたハマーのウインドウ越しに、増山とソフィがそんな二人の姿を静観していた。
頬に涙の筋を伝わせる涼子が、華奢な両腕で金平の太い腕を引こうとするが、その弱々しい静止を難なくふり解き、車に乗り込んだ。
「……いいのか?」
ドラマのワンシーンが車中に入ってきた。そう心中で呟きつつも、平静を装う増山が、サングラス越しに金平へ問い掛ける。
「……ええ……終わったことですから」
うつむきながら呟く。
それを聞いた増山が、アクセルに置いていた右足に力を入れ、無言で車を前進させた。
「あの人、泣いてるよ?お姉さんか妹さん?」
陽光に照らされて、白く輝く無邪気なソフィの横顔。
そんなソフィを、何故だかひどく愛しく感じる金平だった。




