芹沢の過去!!
二人がエレベーターから降りると、通路には家庭的な朝の食卓の匂いが漂っていた。ゆっくりとした足取りで歩を進める金平に、甲斐甲斐しく寄り添うソフィ。
常人ならば、起き上がることすらままならぬほど痛めつけられていたが、元々鍛え方が違う金平だったし、ソフィの手前もあり気丈にふるまっていた。
「金平さんは朝ご飯食べたんでしょ?」
「うん。食べたよ」
「さっきのでよく出さなかったね」
ソフィの言葉はもっともだった。
現役時代、血ヘドを吐く程の厳しいトレーニングに耐えてきた金平にとって、先輩や指導者からの鬼のしごきは日常茶飯事だった。
「まぁ、慣れてるっていえば慣れてるから、あーいうの」
ポリポリと頭を掻く金平。
「えー、そうなんだ」
以外そうな表情をするソフィ。
金平は一見すると、育ちの良さそうな雰囲気をしているからだ。色の白い顔に二重瞼の瞳、高い鼻。甘いマスクだ。
しかし、恵まれた体格と鍛え上げられた身体が、ただのお坊ちゃんではないことを如実に証明している。
そんなやりとりをしている間に食堂に到着する二人。
中に入ると、社長以外のメンバーがみんな揃っていた。
「オゥ!ソフィアさ〜ん、オカエリなさ〜い」
ソフィを見つけたチャックが満面の笑みを浮かべた。
ソフィは愛称で、本名は“ソフィア”のようだ。
「よっ、チャック」
片手を挙げ、男じみた挨拶をするソフィ。
チャックの脇には、一つづつ席を空けて増山と芹沢が座っている。キッチンに近い席には三国が座っていた。
チャック達とテーブルを挟んで対面する席に、ゆっくりと腰掛けるソフィと金平。
芹沢は、先ほど道場で金平を昏倒させたことなど知らぬ顔をしつつ、悠然とした態度で箸を口へ運んでいる。
金平がちらりと芹沢の表情をうかがう。
その視線に気づいているのかいないのか、芹沢は口を開いた。
「三国ぃ、SEの動向はどんなもんなんだ?」
相変わらず視線は変えない。
「ぶっ……は、はい。今のところレーダーに反応はありません」
突然話を振られた三国は、飲みかけたオレンジジュースを吹き出しながら、慌てて答えた。
「ほんの何時間前かに出たばかりですからね。しばらくは現れないと思いますよ」
食事を終えた増山が、席を立ちトレイを持ち上げながら、芹沢に一瞥をくれる。
「ふん」
味噌汁をぐびぐび飲むと、芹沢は面白くなさそうに音を出した。
お母さんがソフィの元に朝食を配膳し始めた。
金平の前にはコーヒーとクリープや砂糖を置く。
「ありがとう」
「ありがとうございます」
二人の声が重なり合った。
「あんた達、お似合いね」
クスリと笑いながら踵を返すお母さん。
互いに目を合わせ、赤面する二人。
「痛っっ」
痛みに顔をしかめ、金平は持ち上げたコーヒーカップを置いた。
「ケッ」
口を歪ませながら、若い二人のやりとりにそっぽを向き、食事を終えた芹沢が楊子を口にしながら席を立つ。
「ごっつぉさ〜ん」
肩で風を切りながら、ダウンジャケットを肩にかけ、食堂を出ようとする芹沢に向かって金平が口を開いた。
「あの」
「あ〜っ?」
呼び止められた芹沢が、ものぐさな表情で振り返える。
「さっき、俺に使った技って、どこかの武術か何かですか?」
「聞いてどーするよ」
煙草に火を点けながら芹沢が聞き返す。
「いえ……ただ……」
言葉に詰まる。
相手をするのが馬鹿馬鹿しいといった様子で、さっさと食堂から出て行く芹沢だった。
バツが悪そうな顔で、金平はコーヒーをすすりながら黙りこくる。
「元気、出しなよ〜」
隣で焼き魚を頬張る、あっけらかんとしたソフィ。
「金平君、芹沢さんに揉まれたみたいだな」
淹れたてのコーヒーを口にしてから、増山がニヤリと口元を歪めた。
「あの人は大陸出身だからな。俺たちの知ってる格闘技とは違うのさ」
「大陸?」
「あぁ、中国大陸さ」
頬杖をつきながら増山が続ける。
「日本人じゃないのさ、彼は」
「えっ……」
絶句する金平だった。
「そうそう、おじさんの使う拳法、見たことないようなの沢山あるよ」
ソフィも心当たりがあるようだ。
「あの人は昔、俺と社長が陸上自衛隊の特殊部隊にいた時に追い掛けてた重要人物だったんだ」
「重要人物って?」
興味深そうに聞き入る金平。
「ある組織のトップ、その人物の用心棒をやってたんだよ」
そういうと、三国をちらりと見た。
増山の視線を感じ、ビクッと体を揺らすと、三国は読んでいた新聞で顔を覆った。
「三国さん、教えてあげるといい」
困惑した表情の三国だったが、増山に促されると新聞を畳み、ゆっくりとした口調で語りだした。
「芹沢さんは私の父親のボディーガードをしてたんです。当時父は、ある組織から命を狙われていました。そこで、中国でも指折りの実力を持つ芹沢さんを雇い入れたんです」
「当時俺たちは海外から入国する特殊な犯罪者を警戒する任務についてたんだが、その中でも特Aクラスだったのが芹沢さんだったんだ」
三国と増山の話が、なんだか作り話にしか聞こえない金平だった。
「あの、三国さんのお父さんて?」
「三国重工の元・社長さ。今は引退しているがね」
「えっ!?」
三国重工といえば、国内でもトップクラスの複合企業体で、身近なところでは家電、果ては船舶、旅客機の製造まで手懸けている大企業だった。
「そんな。でもなんでそんな大企業の御曹司がこんな、いえ、ここで?」
「三国さんは実家の後を継ぐのが嫌で自衛隊に入隊したんだ。で、技術部で働いていたんだが、社長の部下として様々な特殊兵器の開発に携わっていたんだよ。15年前のSE事件の後、社長についてきたのは俺と三国さんの二人だけ。まぁ、実を言えば、この会社の運営資金の一切は、三国さんの父親、三国大二郎氏が出資してくれてるんだ」
『三国さんがそんなお坊ちゃまだったとは……』
驚きを隠せない金平だったが、この会社の潤沢とも思える資金の出どころが、ようやく理解出来た。
「でも、なんで社長や増山さんが芹沢さんを?」
金平がもっともな疑問を口にする。
「芹沢さんは当時、闇の組織に深い繋がりを持っていた。その芹沢さんが、日本国内でも有数の企業のトップと接触するって情報を得た我々は、中国マフィアが当時手広く行っていた、麻薬取り引きに三国大二郎氏が関係しているのではと考えたのさ。まぁ、実際はそんなことは無かったのだが……三国氏は逆にマフィアからの誘いを頑なに断っていたために命を狙われる羽目になったんだ」
増山の言葉に頷く三国が、真剣な眼差しになった。
「父は当時国内だけに留まらず、中国にも自社製品を手広く販売していたんですが......そこに目をつけたマフィアのボスが、父に接触したんです。麻薬の流通ルートを一緒に構築しないかと」
困惑した表情を作る三国。
「断固として断り続けた父に、マフィアは刺客を送りつけるようになって……とてもじゃないですが、国内の警察やボディーガードではまったく話にならず……毒には毒を、ということで、大金を積んで、父は芹沢さんを雇ったんです。結果、マフィアは手を引きました」
芹沢がそんな恐ろしい男だと聞くと、背筋が凍り付く思いの金平だった。
「で、勘違いした我々特殊部隊は、芹沢さんと一戦交えてしまった訳さ」
肩をすぼめる増山。
「死者こそ出さなかったが、重軽傷者が山ほど出てね……」
過去を懐かしむ増山の表情は穏やかだった。その口から、芹沢との戦いが語られ始める。




