屈辱と嫉妬と殺意!!
ひんやりと冷えた広い道場には、金平とソフィの二人きり。
ロッカールームに設置された自販機、そのコンプレッサーから漏れる低い音だけが、開け放たれた扉の隙間から響いている。
意識を取り戻した金平が最初に知覚したのは、甘く優しい香りだった。
「大丈夫?」
微かな吐息と共に、天井の光で陰ったソフィの白い顔が、金平の目の前を塞いだ。
「あっ、俺……」
片目は閉じたまま、もう一方の目を弱々しく開けながら呟いた。
「おじさんにやられちゃったね。でも、金ちゃん頑張ったよ。昨日の空手の人より全然」
『昨日の空手の人』の意味が一瞬わからず、金平は間を置いてから笑い出した。
「ハハッ……痛っ……あの人なら道場破りも簡単だろうね」
震える手を鳩尾の辺りに押し当てながら、笑いをこらえる。
「大体卑怯だよねぇ、いきなりあんなふうに攻撃してくるんだもんさぁ」
頬を膨らませながら、ソフィが語気を荒げた。
その愛くるしい表情と、ちょっとおかしな言い回しを聞いた金平は、痛みを忘れ思わず吹き出す。
『痛ぇのに……なんて心地よい場所なんだ』
ソフィの膝の上。
金平が頬に感じたその柔らかい感触は、自らの体と心中を侵す耐え難い痛みと屈辱を、僅かだが和らげてくれた。
香水なのか、それとも洗剤の匂いなのか、清潔な優しい香りが鼻腔の奥に広がり、少女の温かな体温と共に、金平の心を穏やかにさせる。
だが、いつまでもそれに甘んじている事をためらう気持ちも強くなった。
介抱してくれている少女は、自らより年下なのだ。これ以上の醜態は晒せない。
金平は左腕をついて、力無く起き上った。
「大丈夫?痛いでしょ?医者連れてこうか?」
プリーツの入った短いスカートから垣間見える、あられもないソフィの白い腿。金平は目を泳がせ、天井を見つめた。
「大丈夫、ありがとう」
精一杯の笑顔をソフィに見せた。
少年じみた爽やかな笑顔を間近で見たソフィが、突然真顔になり、頬をピンク色に染める。
そんな二人のやりとりを、扉の陰から盗み見る男が一人。
スキンヘッドに口髭。
いつものおちゃらけた表情はそこに無く、全米を震撼させた連続殺人犯の手配写真と同じ形相をしていた。
「ソフィ……あの子……」
握りしめた拳をわなわなと震わせ、額や首筋に血管を浮き上がらせる紅潮した社長の顔。嫉妬が凄まじい怒りを生み出していた。血走った眼球が、ソフィの後頭部を凝視する。
ふと、扉のほうに目をやる金平。
「どしたの?」
不思議そうにソフィが尋ねた。
「いや、誰かいたような気がして……」
ソフィも開け放たれた扉へ視線を送るが、ロッカールームのベンチと自販機の明かりしか見えなかった。
よたよたと金平が立ち上がる。
真っ白な手で金平の腰と腕を支えようとするソフィ。
「もう大丈夫だから、ありがとう」
「うん」
恥ずかしそうに目を伏せ、金平の強がりに答えるソフィだった。
一瞬の静寂の中で、グ〜っと音が鳴る。金平は目を丸くすると、ソフィのお腹へ視線を送る。
「あははっ、お腹すいちゃった」
白い顔を瞬く間に赤くする少女。
それを見て、もう一度吹き出す金平だった。




